「一ヶ月以内に俺を殺すことが出来たらお前を自由にしてやるよ」



それを聞いたのは一ヶ月前。
今日はその最後の一日で、薄暗い部屋の中でアキラは考え込んでいた。

食事に毒を仕込んでも食べる前に気付くか、もしくは昔から少しずつ毒を飲んで身体に耐性がついているらしく即効性の毒でもあっけらかんとしている。
寝込みを襲おうとした時も、どれだけ忍んでも気配を感じ取ってしまうらしく逆にベッドに押し倒された時もある。
暗闇で不意討ちを狙っても返り討ち、麻痺や睡眠を促す薬も効かない。そればかりか失敗する度に彼――シキは溶けるような甘い愛の言葉を囁き、対するアキラはうんざりとする。

「……どうやれば殺せるんだろう」

物騒なことを呟きながら部屋を見回す。
自分を殺す為にとシキが用意した毒や鋭利なものを見つめ、アキラは溜め息をついた。

「もう、諦めようかな」

この毒を飲めば、このナイフで喉をかき切れば――自分は死ぬことが出来る。
どうせシキを殺すことが出来ないならば、一生ここで彼に飼われることになるのならば、いっそのこと死んでしまった方が楽なのではないと。

ナイフの先を自らの体に向けると、心臓がうるさいくらいにどくどくと脈打つ。
鼓動の音がアキラの聴覚を支配し、ナイフを握り締める力を強めた。

「くだらねぇことしてんじゃねぇよ」

後ろから伸びた手がナイフの刃を握り、少ししてぽたぽたと赤い血が滴り落ちる。

「………」
「このナイフはお前が死ぬ為に用意したものじゃねぇ、お前が俺を殺す為のものだ」

まるで愛を囁くような甘い声が鼓膜を震わせ、アキラの表情は嫌悪に染まる。
どうせこうなるならばナイフに毒を塗っておくべきだったかと考えるがもう遅い。
ナイフから手を離すと、シキは安心したように目を細めて刃を掴んだままナイフを投げ捨てた。

「なぁアキラ」
「………」
「お前に殺されるなら構わねぇんだ……でも――」

後ろから包まれるように抱き締められ、腕に感じるぬるりとした感覚にアキラは表情を険しくする。
それは赤く染まったシキの手のひらから伝わる血。アキラの腕を伝い床にぽたりぽたりと落ちる。

「お前には俺を殺せねぇよ」

最後の一日が終わってしまう。
カチカチと時計の針の音が響き、シキはアキラの首元に顔を埋める。生暖かい息が肌をくすぐり、身をよじらせるアキラを逃がさんとばかりに抱き締める力が増した。
その時、アキラの口角が上がる。
隠し持っていた細身のナイフを取り出し、振り返りもせずにシキの腹部へと突き刺した。しっかりと手に伝わった、人の皮膚を突き破るという感覚。
吐きそうになったが、同時に身体中を駆け巡るのは達成感によく似た感情。

恐る恐る首を後方に向けると、そこには眉間に皺を寄せるシキの表情。少しずつ体に巻き付く腕の力は弱まり、チャンスだとアキラが駆け出した時にはシキは床に倒れていた。

「……や、やった…」

震える両手を握り直し、アキラは部屋を出て廊下を走り抜ける。
縺れて転びそうになりながらもようやく玄関へと辿り着き、全力で走ったせいで震える足に気合いを入れ直して希望へ繋がる扉へ手を伸ばす。

開いた扉の隙間から差し込む月明かりに思わず泣きそうになった、その時――。

「どこ行くんだよ、アキラ」

低い声が聞こえたかと思いきや扉は強い力で閉められ、後頭部に痛みが走ったと同時に何かにもたれ掛かる。
どうやら髪の毛を引っ張られたらしく、何本か引き抜かれたアキラの髪の毛がその背後にいる男の手に握られていた。

その男が誰かなんて考える必要もなく、気付いた時には既に体にシキの腕が巻き付き痛いくらいに抱き締められた。

「最後に夢を見せてやったんだ、感謝しろ」

心のどこかで薄々感じてはいた。
この一ヶ月間、どれだけ不意をつこうがシキを殺すことは叶わなかった。それなのに今回はおかしいくらいに簡単に物事が進んだ。
窓から差し込む月明かりに照らされて見えたのはシキが纏う衣服の腹部が赤く染まっているもの。
確かにナイフはシキの腹部へと刺さった。服に滲む赤がその証拠である。

「お前の力じゃ人は殺せねぇって言ったろ」

どうやら傷は浅かったらしく、シキにとって膝を付けるには値しないらしい。それでも常人からすればどんなに浅い傷でも痛いものは痛い。
彼は異常なのか――たったそれだけの結論でアキラは全てを諦めたように項垂れる。

「もう終わりだ、こんなつまらねぇ遊びは。 お前に希望は無い、ここから出さないし誰の目にも触れさせない」

お前はもう俺のものだ、と耳元で囁かれたと同時に、0時を知らせる鐘が鳴り響く。
それはアキラにとって全ての終わりを告げる音、そしてシキにとっては彼の中での幸福が始まる音。

「時間切れだ、アキラ」

囁かれた甘い声と共にアキラは絶望へと堕ちた。



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