「痛い?」
「大丈夫…です……」

赤く腫れたアキラの足首に包帯を巻く戌の表情は暗い。

「申し訳ありません」
「な、なんであなたが謝るの?あなたは悪くないよ…っ」

俺がちゃんとあなたを見ていなかったから、という言葉は声にならない。ただただ自分の不甲斐なさに頭を垂れるばかりだった。

事の始まりはこうだ――本日もお日柄よくアキラにチョッカイを出しに、正しくはアキラで遊びに来た二人組。
仲がいいのか悪いのか、だがアキラが絡むと目の色を変えて現れる寅と申。アキラ遊びの常習犯でもある二人に今日も彼女は追い掛け回されていた。

捕まったら何をされるかわからないという恐怖でいっぱいのアキラは懸命に逃げ、そしてされを待ってましたと言わんばかりに追い回す二人。
そして案の定アキラは足を挫いて転び、そこでようやく駆け付けた戌と亥によって助けられたのだ。

現在悪友の二人は、亥による無言の説教を受けている。空気さえも重く感じると言われる程の無言の中正座をし、思わず目を反らしたくなるくらいの睨みを効かせられるという精神的なダメージを受けている真っ最中だ。


「あの、大丈夫です…そんなに痛くないし」

軽度の捻挫で済んだのは不幸中の幸いだろう。
それでもアキラに怪我を負わせてしまったということに、戌は大きな罪悪感で顔を上げることすら出来ない。

「俺は、貴方を守りたい」

呟きにも聞こえりその小さな声と共に、ドアが開く音が耳に届く。
そこにいたのは巳。
長い髪は珍しく後ろで束ねられ、黒い革の手袋から血が滴り落ちたのをアキラは見逃さなかった。

「ここにいたのですか戌、未が探していましたよ。 これから仕事があるのでしょう?」

うつ向いているせいで戌がどんな表情をしているのかはアキラから見えないが、彼がまとう空気は重いのは確かだろう。
壊れやすい硝子細工に触れるように、包帯を巻いたアキラの足首を撫でた戌は立ち上がる。
その表情はいつもと変わり無い、高揚や落胆を知らぬかのような無表情。だが隠しきれぬ感情が、強く握った拳に表れていた。

「アキラ、あまり無理はしないで」

それだけ言い、戌は部屋から出ていった。
その様子を見ていた巳はアキラの足首に巻かれた包帯を静かに見つめ、後ろ手でドアを閉めた。

「その怪我は?」
「さっき転んでしまって…」

問い掛けながらアキラに歩み寄り、返ってきた言葉に巳の表情が曇る。

「転んだ?……また、逃げようとでもしたのですか?」
「いえ、あの……寅さんと申さんに追い掛けられて、それで躓いてしまって…」

この年齢で、しかも何もない場所で躓いて転んだという事実が恥ずかしくなり、アキラの頬はほんの少し桃色に染まる。
それでして巳から目をそらすその姿は、本来ならば巳の心を打つに違いない。
だが今の巳の目はアキラの足首に釘付けられたまま離れない。

「あの、大丈夫です…そんなに痛くは……」

アキラの声が聞こえているのかいないのか。アキラの足元に跪いた巳は先程戌が丁寧に巻いたばかりの包帯を取り、赤く腫れた足首に無遠慮に触れる。

「っ……」

心配させまいとして痛くないと言ったものの、実際は軽く触れただけでも痛い。
軽度の捻挫なので明日、明後日には良くなるだろうとは思うが、さすがに今日はあまり激しい動きは控えるのが身のため。

アキラの反応を見て、やはり痛みを我慢していたのかと思うと、アキラの気遣いに愛しさが湧き出ると共に怪我をさせた張本人である二人組への怒りも溢れる。
まったく違う感情が混ざり合い、ぐちゃぐちゃになった思考で巳は呟く。

「どうして、君は……」
「ご、ごめんなさい…」

苦しそうな表情をしたかと思いきや、巳はそのままアキラの足首に顔を近付けていった。

「……え、え、え?」

一体何をする気なのかと焦り出すアキラなどお構い無しに、巳は少しだけ口を開き長い舌を伸ばす。
まさか、とアキラが目を見開く。そのまま巳の舌は赤く腫れて熱を持ったアキラの足首に伸び、そして――。

「っ!!?ちょ、っと、待っ!?へ、巳さ…っ」
「暴れないで下さい、痛むでしょう?」
「でもっ!待って、待ってくださ……!き、きき汚いです!!」

ペロリと、巳の舌がアキラの足首を滑る。逃げようとも思ったがこの状態で大きな行動を起こしたりしたら、すぐそばにある巳の顔を蹴ってしまうと逃げるに逃げられない。
美しさの基準はわからないが、巳の容姿はこの世のものとは思えない程に眉目秀麗だということはわかる。その美しい顔を、美しくなかったとしても蹴るだなんてアキラには到底出来るはずもなかった。

「だっ、だだ大丈夫です!大丈夫てすから…っだから、あのっ…!!」

生暖かい舌が何度も行き来し、混乱するアキラは今にも気絶してしまいそうだった。
声にならぬ悲鳴を上げ、足元で蠢く美しい人を視界に捉えることすら恥ずかしくて出来ない。

どのくらいの時間がたったのかわからないが、アキラには随分と長く感じられた。どうしてこんなことになったのかいくら考えても理解に至らない。

「私の知らぬ処で君に害が及ぶのはとても不愉快でなりません」
「す、すみません……」
「君を蝕むもの、痛み、苦しみ、全てを私が背負うことが出来たらどれだけ幸せでしょうか」

まるで恨むように、憎むように巳の強い目はアキラの足首へと向けられる。
巳にとっては独り言だったのかもしれない小さな呟きをアキラは聞き逃さなかった。

「駄目だよ、そんなの駄目」

優しく咎めるように、アキラは巳を見つめる。

「私の痛みは、私が背負うよ」

その言葉に大きな愛しさを覚え、そして同時に絶望する。彼女は自分に痛みや苦しみをくれないのだと、全て自分が背負うと。
巳がアキラにしてあげられることなど限られているというのに、彼女はそれを拒んだ。

「でもねその代わり、楽しいことは分け合いましょう。 一緒に笑おう」

そうだった、と。巳は目を閉じた。
彼女はそういう人間だった。そんなこと、ずっと前から、何年も前から知っていた。だからこそ自分は、彼らはこの一人の少女を求めるのだ。
守りたいと、心から願うのだ。

「君は……君は、私の全てです。 君のいない世界など私には必要のないもの、存在する価値すら見出だせない」

困ったようにアキラは笑う。それでも巳は溢れ出す感情を止めることは出来なかった。
全身が、巳の身体を構築する全てのものがアキラへの愛しさで熱くなっていく。

「アキラ、私は……私は、」

紡ぎかけた言葉の先は声にならず、アキラは不思議そうに巳を見つめていた。
何があっても離したくはない存在。例え神が引き裂こうとしたならば神を殺そう。アキラを苦しませたくはないのだ。
彼女の中の闇は全て自分が引き受けてあげたい。
けれど、少女はそんな彼の願いを聞き入れてはくれないのだ。

優しくて壊れやすい、何よりも愛しい存在を、どうしたら守れるのだろうか。
人を守る方法など彼は知らないのだ。



――…アキラ、私は…。






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