私には大きな悩みがある。

「おかえりー!凪ちゃん!」

バイトを終えて彼氏と同棲しているマンションへと帰る。
無邪気に駆け寄ってくる彼が私の一つ年下の彼氏だ。身長は私よりも低くて、人形みたいに可愛い。

そんな自慢の彼が、私の大きな悩みの理由だった。

「ちょ、ソウキ!」

雨宮ソウキ、それが彼の名前。
焦る私の視線の先には血で真っ赤な彼の太もも。大きなワイシャツで傷口自体は隠れているが、流れる血が足を伝って床を赤く染めている。

「早く血止めなきゃ!」

リビングへ走り、治療道具の入ったボックスを手に玄関へ戻る。慣れた手つきで簡単な応急手当をして、寝室へ連れて行きベッドに寝かせた。

「……ソウキ、今度は何をしたの?」
「んー?あのね、ここに凪ちゃんの名前を掘ろうと思って」

そう言って指差したのは包帯が巻かれた太もも、詳しく言うなら太ももの内側。

「僕が凪ちゃんのものっていう証が欲しかったから」
「そんなものなくてもソウキは私のだから大丈夫だよ」

えへへ、と照れたように笑う彼の体にはたくさんの傷がある。手首は勿論、足や腹、胸に腕。端から見れば私がソウキにDVをしているかのようだ。

「お願いだからソウキ、もうこんなことしないで」

毎回同じことを私は言う。
二度とやるな、自分を傷付けるな、それでもソウキはやめない。
こんな自傷癖のある男、今すぐにでも別れることが出来るのだが、どうもその決心が付かない。

なぜなら彼が自分を傷付ける原因が私だからだ。
私に構ってほしくて彼は自らの体に傷を付ける。だから私は出来る限りソウキに付きっきりでいる。大学に行っている間も数分事にメールをして、授業が終わる度に電話を掛ける。

だがバイト中はさすがに何度もメールや電話をすることが出来ず、休憩に入って携帯を確認するとソウキからの新着メールと着信が山のように来ている。

たまに休憩に入れないくらいに忙しい時、まさに今日だ。
帰って来るとこの状態。応急手当をするスピードは今や看護婦並なんじゃないかと思う。

「今日バイト忙しかったの?電話もメールもくれなかったね、僕すごく寂しかったよ、すごくすごく不安だった」
「ごめんね」
「ねぇ早く結婚しようよ、早く僕を凪ちゃんだけのものにしてよ」

正直言って、別れたい。だから結婚なんて絶対にしたくない。
でも別れたりしたらソウキが何をするかと考えただけで罪悪感に包まれ、結局私は彼の隣に身を置く。
いつまでこんな暮らししていなきゃいけないのだろうか。

「あー……凪ちゃんに噛んでもらった所、ほとんど治りかけてる。 見て、ここ」
「……うん」
「仕方ないなぁ、凪ちゃん、噛んで!早く、消えないうちに」
「……嫌だよ、痛いでしょ?」

君がくれる痛みは僕の幸せだよ、なんて、健気に聞こえるが明らかに狂っている。
いつからソウキはこうなったんだろう。

「聞いて、凪ちゃん」

落ち着いた声色のソウキは丸い瞳を細めて微笑む。

「僕は凪ちゃんになら殺されてもいいよ」

あまりにも幸せそうに彼が笑うから。

「そしたら一生、僕のこと忘れることが出来ないからね」

そんな絶望的な台詞で、私は明日も明後日も、ずっと……彼と共にいるのだろう。
見えない鎖に繋がれた不透明な未来に、私は小さく笑った。

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