男は村人から神だと崇められていた。そして同時に男は村人から恐怖の対象として恐れられていた。

男の名は御門(みかど)。
蛇の化身である御門の皮膚の所々には蛇のような鱗が浮き出ていて、そしてその肌の色は青白く、神々しいようでいて不気味にも見える。
切れ長の目は鋭く、村人達の間ではその目に捕らえられると魂を奪われてしまうというありもしない噂が流れている。

森で道に迷った村人を出口まで案内したならば、次の日には蛇神様にあの世へ連れていかれる所だったと村人は怯える。
雨が続くと村娘を生け贄として捧げられ、捧げられたその娘はあまりの恐ろしさに怯え死ぬか、泣きながら素直に喰われようとするか、はたまた泣き喚いて御門に拒否を示すか。

勿論人間を喰う嗜好など持ち合わせていない御門は、ショックで死んだ娘は森の奥深くにある美しい花畑へと埋め、生きている娘はこっそりと逃がす。


そして今日。
長い雨が続き、もしやと森の祠へ行けば生け贄という名の娘が入った棺がそこにあった。

開けるとそこには目を閉じた一人の娘。死んでいるのかと思ったが小さく呼吸をしているのを見て御門は安心する。

「…………」

眠っているのだろうと御門はその顔を覗き込んだ瞬間、娘の口が開いた。

「蛇神様?」

その声色は落ち着きがあり、いつもの反応と違うことに驚いた御門は少しだけ身を引いた。

「……違う?」
「……………っ。 違わ、ない」
「良かった、蛇神様なのね。 三晩明けても来ないからもうこの森にはいらっしゃらないのかと不安になったわ。 ……初めまして、私は凪といいます」

雨を止ませる代わりに私を贄として喰らって下さい、と。
いつもならば会話も成立しないし、何よりもあまりにもその声が冷静で御門は混乱する。

どうして目を閉じたまま彼女は言葉を紡ぐのか、どうしてそんなに落ち着いているのか、三晩ずっとこの棺の中にいたのか、ぐるぐると頭の中を行ったり来たりする疑問。

そして御門の頭が出した答え。この醜い姿の自分を見ない為に目を閉じ、恐怖を表しては自分に失礼だと泣きたいのを必死にこらえ、その恐怖をこらえていたら三晩明けたというもの。
だが次に口を開いた凪の言葉は御門の考えが的外れなものだと知らせる。

「ごめんなさい蛇神様。 食べ物をあまり貰えなかったので骨と皮ばかりの体で、その上この目は何も映しません。 あまり満足してもらえないかもしれない」

それで御門は全てを察した。
目を閉じているのは凪の目が見えないから。三晩この中にいても平気だったのは普段から食事を与えられていない為に慣れていたから。
そしてこの落ち着きは、今までたくさんの絶望を経験してきたのであろう彼女にとって生け贄になることは怖くはないのだろう。

「ひもじい体ですが、どうぞ骨まで喰らってください」

絶望を知り尽くした凪は今から喰われるというのに微笑む。

その優しい笑みを向けられた御門は大きな罪悪感に蝕まれ、凪から目をそらした。
初めて向けられた笑みは、嘲笑うものでも家族を思い出して微笑むものでもなく、ただ自分を受け入れる笑み。
御門を恐れず、そしてその目に御門を映さないのでこの醜い姿が見えない。
何も知らない凪に対して、罪悪感が広がるのと同時に感じたことのないものが胸を染めた。

この子が、欲しい。

それは今まで一度も感じたことのない、御門にとって初めての欲。

「……ない、よ」
「蛇神様?」
「君のこと、食べ、ない」

その言葉に凪は悲しそうな表情をする。
やはり欠陥だらけの自分では贄にさえならないのかと、凪は自分が嫌になる。

「た、食べ、ないから、だから、僕と、一緒に……いて、くれない、かな」

初めての会話と欲で不安が混じった弱々しい言葉。
返事の代わりに、凪はその口元に優しい笑みを浮かべた。


*



あれから数ヵ月の時がたち、凪はまだ御門と共にいた。

「凪、探した」
「この木の上から猫の声がするの」

見やればそこには一匹の子猫。
どうやら降りられなくなったらしい猫は小さく鳴きながら震えていた。

慣れたように木に登った御門により猫は助かり、今度は安心したようでにゃあにゃあと鳴いて御門の胸に顔を擦り付ける。

「ありがとう、御門」

地面に下ろされた猫は御門にしたのと同じように凪の足元でお礼を言うように擦り寄り、どこかと行ってしまった。

「御門は優しいね」

あの後、贄として捧げられた村娘にもう生け贄はいらないと凪が説明をしてからは村娘が犠牲になることはなくなった。
凪がいなければ人間と会話をすることも無かったし、誰かを探して森の中を歩き回ることも無かった。
初めての感情を、笑顔を、愛しさを教えてくれたのが凪だった。

「凪、あまり僕から離れないで。 凪がいないと不安になるから」
「うん」

もはや凪が隣にいることが当たり前になっている御門。
あの時に知った欲が、日に日に大きくなっていくのを彼は気付いていなかった。

「いい香りがする……もしかして花がある?」

凪の近くに咲いている花を取り、凪の鼻先へと持って行く。幸せそうに綻ぶその表情に御門もつられてほんのすこし口角が上がった。

「ねぇ凪」
「なぁに?」
「僕は凪からたくさんのものを貰った。 でも僕は君に何もしてあげられない」

凪は小首を傾げる。
自分は何を御門にあげたのだろうかと。

「凪、僕も君の為に何かをしたい……だから凪?好きなものは何?欲しいものは?何でも言ってよ、君の願いなら何でも叶えてあげる」

欲しいもの、と呟いた凪は少し考えた後に意を決したように顔を上げた。

「光が、欲しい」

その答えに御門は戸惑った。
凪の為ならどんなことでもしてあげたい、その気持ちに嘘は無い。
光が欲しいというのはつまり、目が見えるようになりたいということ。暗闇しか知らないその目に、全てを映したい。それが凪のたった一つの願いだった。

「……見てみたいなぁ。 この花も、大きな空も、御門も」

ちくりと、欲に隠れたはずの罪悪感が顔を出す。
神と崇められる御門にとって凪に視力を与えるのは出来ないことではない。

ならばなぜ罪悪感がまた溢れ出したのか。
それは凪が盲目だということを良しとしていた自分がいたから。この蛇のような鱗を、鋭い目を、青白い肌を、この人間離れな醜い姿を凪に見られたくはなかった。

「嘘だよ、私は何もいらない、御門と一緒にいられて幸せだもの」

そう言って微笑む凪に、御門の胸は罪悪感でいっぱいになる。

「………いいよ」
「え?」
「君に、光をあげる」

そう言った御門は凪の目に手を当てた。

「でも、光をあげる代わりに、僕も貰うよ」

御門が手を離した次の瞬間、凪は違和感を覚える。

ゆっくり目を開けてごらん、と御門に言われて凪は少しずつまぶたを上げていく。

「………っ!」

目に入ったのは痛いくらいの光。
初めて色を映したその瞳はキラキラと綺麗に輝き、あまりの衝撃に凪は言葉も出なかった。

「……凪」

呼ばれた方を見ると、そこには一人の男。
今にも泣いてしまいそうな、不安そうな表情をする御門がいた。

「……っ……、」

そこで凪はまた違和感を覚えた。今度は喉の辺りに。

「君に光を与える代わりに、」
「………?」
「君の声を貰うよ」

凪の声が無ければ自分を否定する言葉も、悲鳴も聞かなくて済む。
だから御門は凪に光を与え、凪の声を奪った。

「僕はもう君を離したくはないから、だから、ごめんね」

自分を罵倒する凪の声など聞きたくない。
たくさんたまった御門の罪悪感は零れ落ちそうなくらいに広がり続け、そんな御門を凪は見つめる。

「っ………、…っ」

ただひゅうひゅうと空気が漏れるだけの凪の喉。
それでも凪は微笑んだ。声を奪われても尚、凪はその表情に笑みを浮かべたのだ。
とうとう涙が零れてしまった御門はただごめんなさいと言い、涙でぼやけた視界に凪を映す。

「離れたくない、離れたくないんだ……っ、僕は、君の口から拒否を聞きたくない」

泣き崩れそうな御門の手を取った凪は何かを伝えようとぱくぱくと口を動かす。

「…っ…やめ、やめて…聞きたくない……!」

凪を見ようともしない御門はただ握られた手を握り返す。
どんなに微笑んでいても、手を握ってくれても、口からはどんな罵声が出てくるかはわからない。
そう決め込んだ御門はまたごめんなさいと謝り、凪から目をそらした。

「凪、僕は君を、っ君を愛してるんだ……こわいから、離れるのが……っ…だから、ごめんなさい…」

凪は御門に言葉を伝えようと口を動かすが、声は出ない。

『思ってた通り、御門はとても綺麗な人だね。ありがとう御門、ずっと一緒にいよう』

声にならない凪の言葉を、御門は知らない。






お題企画サイト言葉贈りさまに提出したお題から作ったものです。
素敵なお題ばかりあるので興味のある方はどうぞ。

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