例えば、教科書が湿って使い物にならなくなっていたり。ロッカーの中から物が無くなっていたり、靴が片方無くなったり、私は明らかな嫌がらせをされている。
だが私はいじめられているという自覚は無いし、友達も普通にいる。嫌がらせをする犯人はいまだにわからないまま。
回りの人間が気にするなと言うので気にしていなかった。

けど、さすがに今回は疲れが押し寄せてくる。
体育をやっている間に制服を盗まれ、ジャージで過ごす私は携帯が無いことに気が付いた。
女子高生の私に携帯は必要不可欠なもので、第一あの中には色々と見られたくないものだってある。
一日に制服と携帯が行方不明になった私は困り果てた。制服が無いなんて明日からどうしたらいいのだろうか。



放課後、職員室で制服と携帯が行方不明だと説明している内に空はオレンジ色に染まっていた。
最後にもう一度ロッカーと机の中を探そうと教室へ戻る。
誰もいない廊下は静まり返ってなんだか怖くなってきた。さっさと探して帰ろうと教室のドアを開けた時、私の席付近で何かがビクリと反応した。

「……え、ヒロ?」

そこにいたのは私の幼なじみである広瀬 悠太(ひろせ ゆうた)。私の椅子に突っ伏していた顔を上げ、ゆっくりと振り返る。
爽やかで人気者な彼の目は暗く淀んでいて、なんとなく恐ろしさを感じた。

「ヒロ、何して」
「やっぱり、いつまでも見つからないなんて無理か」
「は?」

具合が悪いのだろうかと近寄り隣にしゃがみこんで顔を覗く。

「どこか具合が、」

と言いかけて、手のひらに伝わる違和感。
椅子に置いた手のひらに伝わったのは、冷たくて固い木のものではなく、ぬるりと湿った感覚。

なんだこれはと手のひらを見つめていると、ヒロがくすくすと笑いだした。

「は、ははは、俺の唾液が、凪の手に、はは」

笑っているヒロを見つめながら私は今彼が言った言葉を理解しようと頭の中で繰り返す。

今ヒロは、俺の唾液が、と言ったのだろうか。

「何、言ってるの?」
「わからない?俺が今までこの教室で一人、凪の椅子に顔を埋めてたわけが」

その先は言わないで欲しいと無意識に願った私の気持ちはすぐに打ち消された。

「凪の椅子を」
「ヒロ」
「舐めてたんだ」

途端に胸へと浮かび上がってきたのは嫌悪。
あんなに心を許していた幼なじみが今この瞬間で一気に心の距離が離れた。

「あーあ……今までは口止め出来てたんだけど、さすがに本人を前に口止めなんて意味無いし」

バレたく無かったな、なんて呑気に言うヒロが信じられなかった。
そして同時に頭に浮かぶ数々の疑惑。

「もしかして……今までの嫌がらせも全部ヒロが?」

にこりと笑うヒロが放つ言葉に、私は大きな衝撃を受けることになる。

「もちろん。 教科書が濡れてたのは舐めたり自慰に使ったりしたからだし、凪の靴とか服もちゃんと保存してある。 全部全部、凪の身の回りから無くなった物は俺が綺麗に保管してる」

嘘だと言ってほしい。
近所同士で小さな頃から仲が良かった彼は、私の中では一番信頼出来る人物だったのに。
嫌がらせを受けているという相談に乗ってくれたあの時から、ずっとヒロは私に嘘をつき続けて来たのだと思うと今や彼への感情は怒りと嫌悪しかない。

「あぁそれと凪」
「………」
「携帯のアドレス帳、俺以外消しておいたから」

よくもそう笑顔で言えるものだ。

「最低」

ありったけの嫌悪を込めてそう言うと、ヒロは寂しそうに笑った。

「最低だな、本当。 でも俺はこういう愛し方しか出来ないから」

私の腕を掴む彼の手が小さく震えていることに気が付く。
まるで母親に置いてかれた子供みたいで、私は一瞬だけ嫌悪を忘れる。

「もう無理だよ、戻れない」

前と同じように仲のいい幼馴染みでいるなんて、もう出来ない。

「私、帰る」

俺も一緒に帰ると言うヒロを強く睨み拒否を示すと、彼は本当の子供みたいに今にも泣き出しそうな表情をする。

そんな彼に背を向けて私は教室を出た。
廊下に響き渡るは私の足音。
そしてもう一つ、私を追う足音が増えた。

「凪」

聞かない。
聞きたくない。
振り向かずに歩き続けると、ふいに後ろの足音が止む。

「……どうして、俺から逃げるんだ…」

今にも消え入りそうな声に思わず振り返ると、そこには廊下の真ん中に立ちすくむヒロの姿。

「好きなのに、ずっと好きだったのに!好きで好きでたまらない、凪を俺だけのものにしたい、他の人間に触れさせたくない、凪の声を聞かせたくない!!なんで、なんでなんで、凪は俺の気持ちをわかってくれないんだよ!!!」

突然叫び出したヒロはゆっくりとこちらに歩み寄る。その表情はいつものヒロの爽やかなものとはまるで違った。

「俺から、逃げるなよ、凪」

腕を強く掴まれ、私は悟った。
彼がどれだけ私を好きなのか。
そして、彼から逃げられないということを。

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