あなたなんかどうにでもできるのよ | ナノ


あなたなんかどうにでもできるのよ


 そんな言葉を発したわけでもなければそう唇が動いたわけでもない。睨みつけるような視線だって向けられちゃいないし、刃物のたぐいを持ってるなんてことも、もちろんない。ただ、伝わったんだ。(愛しい女からの、愛のテレパシーが!)


「相変わらずクソ暑いな…、なぁ何か飲むか?」
「カモミール・ティー」
「んな小洒落たモンあるわけ無ェだろ。麦茶で我慢しろ」


 ぎし、と軋むベッドから上半身を起こしながら今日はじめての会話を交わした。自慢のリーゼントもセットしてなきゃただの髪だ。それを乱暴にかきあげながら欠伸をひとつ。ヨレたTシャツにグレーのボクサーパンツだけを身に付け台所に向かうと、ソファーにだらしなく腰掛けながら子猫のような柔らかな髪を指先で弄ぶ女の姿が見える。「カモミール・ティーが好きって言ったじゃない」そう言いたげなアーモンド色の大きな瞳が俺をじろりと睨む。見ないふり、見ないふり。
 タバコに火を付けながら冷蔵庫から取り出した麦茶をセンスの欠片もないマグカップに注ぐ。いつかの彼女と揃いで買ったマグカップは縁が欠け、茶渋は付き、とても見れたものじゃない。買いに行くのが面倒だからとずっと食器棚に置いていたが、あいつはどうも嫌いらしい。普段はすましたあの顔が不機嫌そうに歪むのをどうしても嫌いになれず、今日もこうしてわざとそのマグカップを使うのだ。


「ほらよ、麦茶」


 コトリ、とガラスのテーブルに例のマグカップを置く。その様子をひどく冷たい目で睨みながら彼女は「いらない」とだけ呟き、再び毛先を弄りはじめた。想像通りのこの表情が、やっぱりたまらなく好きなのだ。


「悪い悪い、これ嫌いだったよな」
「わかってるのに何で使うのよ」


 (その表情がたまんねぇんだよ)なあんて言った日には軽く1ヶ月は口を聞いてもらえないだろう。さすがにそれは色々と辛いものがあるので口には出さないでおく。

 こんなにも楽しい状況だったせいか、それがうっかり表情に出てしまっていたらしい。ぱちりと目があった瞬間、彼女の顔が見る見る険しくなっていく。そんな顔も可愛いよ、なんていつもの俺なら言えるんだけどどうもその瞳が言わせてくれない。出かかった言葉をごくりと飲み込んだ。


「サッチ」


 いきなり腕を捕まれ、バランスを崩した俺はソファになだれ込んだ。ぎし、とソファが鳴く。女の陶器のように白い四肢がするすると俺に絡みついていく様はえらく官能的だ。ひんやりとした舌が首筋を這っていく感触。そんなゆるい快楽に浸っていると突然首元に痛みを感じた。


「ッ!」

「あら、どうかしたのかしら」


 にっこりと、彼女の薄く形の良い唇が弧を描く。恐る恐る首筋に触れればぬるりとした嫌な感触。追って鼻に障る鉄の匂い。(…この女、)ひとしきり楽しげに笑い、するりと俺から退くとあのマグカップの麦茶を飲んだ。



あなたなんかどうにでもできるのよ
(どうにだってなるよおれは)



2013/08/15 〆