ふたりぼっちの部屋に魔法が降り注ぐまで | ナノ



 サッチのバカ。バカバカバカ。もうどれくらいバカかっていうと、言葉じゃ表現できないくらいバカ。別に私はサッチに学が無い事に対してバカって言ってるんじゃなくて、なんていうか つまり。


「また他の女の所行ってたんでしょ、サッチのバカ!最低!」
「だーかーら、今回はマジで行って無ェって言ってんだろ!」
「そんな女物の香水プンプンさせてる人に言われたって信じられるワケないでしょ!」



 もたれ掛った扉の向こうからサッチの苛立ちがこもった溜息が聞こえる。あの男は何を考えているんだろう、溜息をつきたいのは私の方だ。昨晩サッチはどこの誰ともわからない女の元へ足を運んだ。マルコに聞くとこの島に停泊するのは何度目からしく、顔馴染みも多いというじゃないか。生憎私は新入りでこの島に来るのは今回が初めてだし当然島の事は知らない。サッチは島に錨を降ろしたとほぼ同時に島に繰り出していくはしゃぎっぷりだ。それでもその時はわたしも一緒に連れて行ってくれたし、酒場やショッピング施設にも案内してくれて楽しい時間を共有できたと思っていた。なのに。


「もう、そういう事無いかなって、期待してたの。ばかみたいだね」
「、だから――」「もうやめてよ!!」



 そう叫んだ私の声はサッチの言葉を飲み込んだ。この感情が怒りか悲しみかもうわからない。でもこの涙の理由はこんなバカでもまだ好きだからなんだと思う。たしかに私はサッチの好きなグラマーな女の人とは似ても似つかないしスリットの入ったドレスも着なければ真っ赤な口紅だって付けやしない。そんな私でも良いと言ってくれたサッチはもうどこにも居ないのかな、なんて。


「おい、そこ退きな」
「放っておいてよ、私の事なんてどうでも良いんでしょ」

「ゴチャゴチャ言ってねえで今すぐ扉から離れろって言ってんだよ!一緒に蹴り飛ばされてェのか!!」



 あまりの剣幕にビリビリと体が震えている。これだけ声を荒げたサッチを私は一度だって見た事が無い。今のサッチはこのままで居れば本当に問答無用で蹴り飛ばしそうな気さえする。いくら戦闘員の私でもあの脚力で蹴られたら一溜まりも無い。驚きでうまく体が動かず本当にぎこちない動きで扉から離れる。それとほぼ同時に、今まで背にあった扉が宙を舞った。一瞬の出来事だった、と思う。勢いよく蹴り飛ばされた扉は直線状にあるベッドにすさまじい音を立てて崩れ落ちる。扉の後に続くのはもちろんサッチ本人だ。


「なっ、何も本当に壊す事ないでしょ!」
「お前がちゃんと俺の話聞こうとしねェからだろ!」
「なにそれ!?逆切れしないでよ!」



 壊れた扉からずかずかとやってきたサッチの髪はまだセットされてなくて、綺麗な金髪がサラサラと目にかかっていた。それを鬱陶しそうにかきあげてキッとわたしを睨む。私も負けじと睨み返そうにもこんなに怒っているサッチを見るのは初めてなので情けない事にぼろぼろと溢れそうになる涙を堪えるので精一杯だった。


「…悪かった」


 サッチがしゃがみ込んでわたしの頭を数回ポンポンと撫でた。船の軋む音がする。波の音と、カモメの鳴き声。それといつものサッチの優しい手のひらが相俟って、うっかり涙が頬を伝ってしまった。怒っているはずなのに、それでも優しくされるとこうも簡単に許しそうになるなんて本当に馬鹿だ。とてもじゃないけどサッチのことをバカなんて言ってられない。


「けどな、本当に浮気じゃねェんだ。ほら、手ェ出しな」


 おずおずと手のひらを向ければ、しゃり、と細やかな砂のようなキレイな音がした。そこには細いチェーンにきれいな宝石があしらわれたネックレスがあった。わけがわからない私はネックレスとサッチの顔を交互に見る。サッチの初めて見る照れ笑いに、不覚にも心がきゅんとした。


「本当はもっと良い雰囲気で渡すつもりだったんだけどよ、こんな時で悪かったな」
「…えっ、サッチ これって…?」
「プッ…ったくお前鈍すぎんだろ?まァそこが良いんだけどよ」
「なっ、なによ!ねぇどういう事なの?」


「前の島で見てただろ、ネックレス」
「えっ、やだ、サッチ見てたの?」
「あたりめーだろ」



 思わず顔から火が出そうになる。確かに前の島でふらっと立ち寄った宝石店でネックレスを少し見た気がする。でも戦闘員であるわたしにそういう類のものは邪魔になるだろうし、なにより私なんかでは到底似合わないからやめたのだ。その時見ていたネックレスに似ている…いや、それよりもずっと素敵なものが今手の上にある。それもサッチがくれたものが。


「でも、私似合わないよ」
「俺はそうは思わねェ」
「それに、戦闘員だから千切れちゃうかもしれないし…」
「それなんだけどよ、」



 サッチにしては珍しくモゴモゴと言い淀んでいる。どうしたの、とサッチの肩に触れようとしたら逆にぎゅう、と抱きすくめられてしまった。不意打ちだった事もあってうっかり口から心臓が出そうになる。でもその時に、サッチの耳も真っ赤だった事に気付いた。サッチがここまで照れるなんて、珍しいどころじゃない。ぎゅう、と私を抱きしめる腕の力が強くなった。


「俺と、一緒になってくれねェか」


 じゅわ、と目から涙が溢れだす。嗚咽交じりにうん、とだけ言って、あとはずっと泣いてしまった。まさかこんなことを言われるなんて思ってもいなかったし、こう言われる事がこんなに嬉しいなんて想像できなかったんだから。ごめんなさい、だいすき、ありがとう。こんなにも私を愛してくれて、本当にありがとう。この幸せを私の一生をかけてあなたに返すね、サッチ。



ふたりぼっちの部屋に魔法が降り注ぐまで

「でも、この香水はなに?」
「これ作ってもらった馴染みの宝石店のおばちゃんのだって。今度一緒に行くか?」
「…行きたい」
「よし、じゃァ次は揃いの指輪作ってもらうか!」




120125/しろ
涙墜さまへ提出しました
素敵な企画を本当にありがとうございます