榛名さんから逃げるように走ってきた私達は、西浦の座る位置へと急いで移動してきた。
まだ監督と千代は来ていないみたいで、私はあいている泉くんの隣に座った。会場内は他校の選手達で一杯になり、それを確認したかのように歌が鳴り響く。

「それでは、これから埼玉大会の抽選を始めます!まずAシード、せんだ高校とARC学園高校の主将は校名札と到着番号を持って前に出てください!」

舞台上にあがった人がマイクを持って指示を始める。それに伴い呼ばれた高校の主将は前に出てくじを引いていく。舞台には埼玉の硬式野球170校の名前が貼られるように、トーナメント式に書かれてある掲示が置かれてあった。
こんなに学校があってここを勝ち抜いていかないとだめなんだ。私はその迫力に圧倒され舞台から目を離せなかった。

「ねんな、コラ!!」
「は!吉田先輩!はよーっす!ちわっす!」
「昼すぎだバカヤロー!ねぼけんな!てめえなんざこうだ!!」
「ヨシー、その辺でやめとけよー、周りひいてるぞー」

すぐ後ろの席から大声が聞こえ少しだけ振り返る。どこの学校だろう、ここ来る前に覚えたのに。
私が必死に思い出そうとしていると、隣に座る泉くんが顔を青くしてすぐ後ろにARCがいると言った。そうだ、さっき呼ばれてたAシードのARC学園だ。

「三橋はARC知ってるか?」

三橋くんはうんうんと頷く。それを見た泉くんは、今年はここ10年で一番の不作だとか言われてるけど関東は決勝まで残ったしなーと言った。

「通路側の太田川ってのがタテもヨコもでかくてさ、アレで一年なんだって!」
「中学時代から県内じゃ有名なやつだよ」
「へえ」
「関東の準決、神奈川1位相手に3回投げてノーヒットだったんだってよ」
「かな、がわ、1位に、ノーヒット…」

泉くんの話に三橋くんは凄い凄いと頬を赤くしている。確かに神奈川1位相手にノーヒットは凄い、あの人の顔覚えておこう!
私の隣で泉くんと栄口くんと三橋くんが話を進めている。私は気づかれないように、こっそりとその話に耳を傾けていた。ここで少しでも強い高校の知識つけておかないと。

「桐青は去年、アレよアレよという間に勝っちゃったけど、やっぱ県内では今年もARCがアタマひとつ抜けてるよね」
「そうだなー、んでせんだと桐青が続くだろ、公立なら上尾商業と嵐山、春一回戦でARCとあたってシード入ってないけど大井北はずっと強い」
「あと今回、Bシードとった春日部市立は勢いあるな、その他、上昇株は美丞大狭山に越ヶ谷中央…」

泉くんがすらすらと話をしている間、三橋くんは容量が越えてしまったようで目を回している。
どうしよう、私も泉くんが何言ってるのかわかんなくなってきちゃった。
三橋くんが目を回していると泉くんが何かを思い出したように手を叩き、声を張り上げた。

「こないだ見た武蔵野第一も評価高いぜ!」
「榛名さん!!」

泉くんの武蔵野第一の言葉を聞き、三橋くんはいきなり大声で榛名さんの名前を呼びその場に立ち上がった。
前に座っている花井くんと阿部くんが私達のほうに振り返る。

「えーと、そうだ阿部!さっきトイレで榛名さんに会ったんだ!」
「ああ、そういやなんか言ってたな」
「阿部くん!榛名さん、いい人だったんだ!」
「いい人ー?ガムでもくれたのか?」
「オ、オレの、肩に、ポンとして…お、お互い、頑張ろうって、オレに!!あの凄い、人が、オレに!」
「三橋、落ち着け」
「あんま騒ぐなよ!」

興奮する三橋くんを栄口くんと花井くんが止める。三橋くんの話を聞いた阿部くんは眉間にしわを寄せ、不機嫌そうな顔をしていた。
さっきトイレで三橋くんは榛名さんにそんなことを言われたんだ。お互い頑張ろうって、榛名さんが、三橋くんに。

「どうした」

顔を俯けていたらふいに隣から声が聞こえた。急いで顔を上げると、泉くんが顔色を伺うようにこっちを見ている。

「具合悪いのか?」
「だ、大丈夫だよ」
「具合悪いならちゃんと言えよ」
「うん、」

泉くんはもう一度私の顔色を伺うと、顔を舞台のほうに向けた。泉くんと話したのはこれが初めてだった。クラスは同じだけど話したことは一度もない。なんか緊張してあんまり顔見れなかった。泉くん、変に思ったかな。
そうこうしているうちに、花井くんが舞台でくじを引いたみたいで、その結果に会場からは盛大な拍手が送られていた。

「なになに!?」
「こりゃあお礼の拍手だな」
「なんのお礼だよ!」
「花井が、桐青引いたんだよ!」

田島くんの質問に泉くんは確かに桐青と言った。
桐青って、確か去年の優勝校だったはず。うそ、初戦から去年の優勝校だなんて、もしかして、私達の夏大は。

「弱気はダメ!!」
「イデーッテテテ!!」

泉くんの悲痛な声に驚き隣に顔を向けると、そこには泉くんの頭を力一杯握っている監督の姿があった。

「勝てねえかな?」

ぐるぐると初戦のことで悩む中、突然前の席から聞こえてきた田島くんの声。その声にみんなは一斉にえええっと声を出す。

「阿部も弱気か?」
「まさか!きちんと打順組んで田島を使えば1点くらいとれるだろ、監督、春の県大準ヶ決以降のビデオ撮ってますよね」
「うん」
「初戦はノーデータ覚悟してたけど、桐青は露出が多いからある程度準備できる、バッテリーのくせとバッターのくせ分析して、あとは守備でへんなミスさえしなきゃあ、こいつが完封してくれる!」

阿部くんはぐいっと三橋くんの襟元を掴んでみんなに説明をした。
阿部くん凄いな、野球って試合前こんなにすることがたくさんあるんだ。阿部くんも田島くんも初戦は勝つ気で臨んでる。
阿部くんと田島くん以外のみんながまだ青い顔をして心の中で非難の言葉を呟いていると、監督はそれで行こう!と阿部くんの意見に賛成し、みんなに強い高校と弱い高校の絶対的な違いを話だした。

「強いって言われてるところは練習時間が違うのよ、今の練習時間のままだと、やりたいことやりきる前に夏大が始まっちゃうんだよね、西浦には照明がないけど、知ってる?今の時期、4時半には充分、外が明るいってこと!」
「4時半…!」
「とは言っても4時半じゃ電車が動いてないから…5時集合にしましょ、夜は片付け含めて9時上がりにしましょ、それでも午後授業を全部、部活にあてるような学校にはかなわないけど」

監督の衝撃的な言葉の数々にみんなの顔色がどんどん悪くなっていく。
朝5時から朝練だなんて、起きられるかな。

「シードに勝てればあとしばらく楽だからね、一緒に頑張りましょ!」
「はい!!」

監督の言葉にみんなは気合いを入れて返事をした。
そうだ、監督は私達が授業してるときもずっとバイトで肉体労働してるんだ。私も頑張らないと。
私は隣に来た千代と顔を見合わせ、深く頷いた。

「…西浦って軟式だった気がするけど、硬式になったのか」
「あ、ナルホドね」
「だから今年は初出場なんだ」
「うわ、点差つきそー」

桐青高校は初戦、西浦高校とあたることになり、口々に西浦について話をしていた。

「ベンチ入りイジれねえから2軍ってわけいかねっすもんね」
「控え優先で先発、組むのかなあ」
「他レギュラーでも準太が投げないとか…」
「夏の初戦だぞ、レギュラーが出るし、エースが投げるよ」

河合の言葉に桐青のレギュラーメンバーは口を閉じた。尚も話続ける河合から視線を離さずに耳を傾けている。

「去年と同じ道がオレたちにも用意されてる、なんて錯覚すんなよ?夏大には道なんてないぞ、3年はおととしの1回戦負け、スタンドで経験したからわかるよな」

河合の言葉に利央はぐっと両腕に力を入れ、眉をひそめる。
それに気づいた河合は笑いながら利央の背中を乱暴にゆすった。

「ビビらせ過ぎたか?1年生!」
「なんスか、オレァ別に…」
「大丈夫だよ、これが夏大だってことさえ忘れなきゃ、勝つのはうちだ…!」

河合の力強い言葉に促されるように、桐青メンバーは前を見据える。
初出場西浦高校の初の夏大は、去年の優勝校の桐青とあたることが決定した。

「千代ちゃん、サヤちゃん、これ桐青の試合のビデオ、しっかりデータとってちょうだいね!」
「はい!」

会場から帰ってきた私と千代に監督は1本のビデオテープを渡し、ダッシュでみんなのもとへ戻っていく。私と千代はそれを持って視聴覚室へと移動した。

「よし!頑張って桐青のデータとるぞー!!」
「ねえ千代」
「ん?なに?」
「あの、データって、なにをとるの?」

私の問いかけに千代は丁寧に教えてくれた。打者別のリード、リードに対する投球、投球に対する打球の方向、各打者の打席の立ち位置、見送った球、手を出したボールカウントと手を出した球のコース、実際に打った球のコースと打者の方向、そしてストライクゾーン。
これらを最低試合の3日前までにデータとしてとり、監督に渡さなければいけないのだと千代は言った。

「や、やることたくさんあるね」
「うん!サヤにも見方教えるから頑張ってやっちゃお!」
「うん!」

それから私と千代は何度も何度もビデオを見返し、家に帰ったのはもう辺りが真っ暗になったころだった。

翌日、朝練に行くとそこには金髪の長身の男子が居た。
あれ、もしかしてあの人って。

「浜田くん?」
「サヤ、知り合い?」
「うん、同じクラスの浜田くんだよ」

私は千代を連れて、田島くんと三橋くんと栄口くんと花井くんが集まる浜田くんのところへと急いで駆け寄って行った。

「ハマちゃん、なつ、なつ、なつかしっ」
「なんだよいまさら、教室で毎日会ってんじゃねーか」

三橋くんは目の前に居る浜田くんを涙ぐみながらハマちゃんと呼んだ。それに首を傾げていた私と千代に、三橋くんと浜田くんは小学生のころに会ったことがあるらしいんだと栄口くんが教えてくれた。
なるほど、だからハマちゃんか。

「あ!しのーかと名字だ!」

田島くんが私達に気づき声をあげる。浜田くんが私達のほうに顔を向け、それと同時に私と千代は野球部のマネジですと言って頭を下げた。

「名字ってオレと同じクラスだよな、オレ、野球部の応援団長やるからこれからよろしくな!」
「応援団長…?」
「なんか、オレらの応援団つくってくれるみてー」

田島くんがつけ加えてくれた一言に私と千代は驚きで顔を見合わせた。
応援団!?応援団がいてくれるなら試合のとき盛り上がるし、みんなもやる気が上がる!
私は背の高い浜田くんを見上げた。浜田くん、応援団をつくるくらいだから、きっと野球が大好きなんだろうな。
それから三橋くんと浜田くんが話をして、浜田くんが私達より一個上の年上だということがわかった。浜田くん本人が言うには留年らしい。
浜田くんが留年してたなんて知らなかった。

「ギシギシ荘まで行ったこと、あるんだよ!」
「へー、知らなかったな、いつごろ?」
「ギシギシ荘は、無くなってた、よ!だからオレは、ひとりで、投げてたけど、ハマちゃんは…?」

三橋くんの言葉を聞いた浜田くんの表情がさっきまでと一変し硬直している。浜田くんどうしたのかな。
それがなんなのかわかる前に先生が集合!と声をかけたため、そこで話は終わってしまった。

今日の朝練には浜田くんも参加する。私と千代は1日交代でビデオのデータとりを行っていた。今日は私の番だったため、私はマネジの仕事をせずひとりでビデオを観てデータをとらなければいけない。
視聴覚室のドアを開け、誰もいない静かな空間へ足を踏み入れる。今日はストライクゾーンを区切る作業だったはず、よし頑張ろう!
デッキにテープを入れ、桐青の守りの回をじっと眺める。ほとんど素人の私には見分けがつきにくくて、私は何度も何度も桐青の守りの回を見直していた。
桐青のピッチャーはフォークのほかにシンカーを武器として使ってくる。急激に落ちるフォークとは違い、シンカーは急激に変化を起こし曲がる球。

変化球にもいろいろあるんだなと、ビデオを観ながら思っていた。たしか三橋くんは4つくらい変化球を投げられたはず。三橋くんは頑張って練習してたんだ。
何度もビデオを見返し、背伸びをして窓の外に目を向けた。外はもう暗くなり始めている。みんな今の時間帯はたぶん休憩中かな。
もう一度桐青の守りの回を見返すため、ビデオを巻き戻しする。みんなも頑張ってるんだから、今日中にストライクゾーン区切っておかないと。
桐青のピッチャーが投げている場面を見ている中、ふいに視聴覚室のドアが開く。千代が見に来たのかと思いながらドアのほうに顔を向けた。

「よ!頑張ってんな!」
「た、田島くん!?」

入って来たのは千代ではなく、まったくの予想外な人、田島くんだった。
田島くんは私のすぐ隣に立ち、桐青の守りの回が映されているテレビ画面をじっと見つめていた。田島くんどうしたのかな。

「田島くん、いま休憩中だよね?」
「おう!しのーかに聞いて名字がここで桐青のビデオ観てるっていうから、急いで来た」
「桐青の?」
「桐青のピッチャー、フォークとシンカー投げっからさ、特にシンカーは試合前にちゃんとビデオで確認しときたいんだよね」

口は動かしながらも田島くんの目線はずっとテレビに向けられたまま、瞬きもしない。田島くんは桐青のピッチャーから一時も目を離さなかった。
それから田島くんは、桐青のピッチャーがシンカーを投げている場面を何度も何度も繰り返し見返していた。
その間ずっと無言の田島くん。たぶん隣に私が座ってることも忘れてるんだろうな。
私はまだストライクゾーンを区切りきれていないノートを見て、小さくため息をついた。それからゆっくりと顔を上げ時計に目をやる。
そろそろ休憩時間終わっちゃうな。

「田島くん」
「……」
「田島くん?」
「……」
「た、田島くんっ」
「なに?」

何度呼んでも一向に気づかない田島くんの腕を軽く引っ張りながら名前を呼んだ。田島くんはいつもの笑った顔じゃなく、真剣な顔つきで私に視線を向ける。
今の田島くんの顔はバッターボックスに立ってたときの田島くんと同じ顔だ。集中してるときの田島くん。私は一瞬、言葉に詰まった。

「あ、あのね、もう休憩時間終わりそうだよ」
「へ?あ、ヤッベ!早く行かねーと!」

時計を確認した田島くんは、すぐにいつもの田島くんの顔つきに戻った。私はなぜかほっとして胸を撫で下ろす。
田島くんは、あ!と声を出し、データ用のノートにすらすらと何かを書き出した。

「た、田島くん?」
「ホームビデオだとわかりにくいから、ストライクゾーン4つに区切んのが精一杯だな」
「え?」
「よし!名字、これ桐青のストライクゾーンだから、んじゃ!」

唖然とする私に田島くんはニッコリ笑って手を振ると、さっさと教室から出て行ってしまった。
え、田島くん今の時間でストライクゾーンわかっちゃったの?私はあんなに時間かけてもわかんなかったのに。

「…やっぱりすごいな」

私はまだ、みんなの力になれてないんだ。

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