虫も殺さぬ夜

吉田ヒロフミを殺せ。

んな無茶な。

「前々からあのガキは目障りだったんだ、今回のことがなかったとしてもお前に命令していただろうよ」
「……あの、」
「なんだ」
「私程度の実力じゃ、返り討ちにあっておしまいだと思いますが」
「どうでもいい、やるのかやらねえのか」
「……」
「やらねえならお前が死ね」

理不尽すぎるだろうが。
どんなに怒りを覚えたとしても、そんなことを口にできるはずもなく。俯くばかりの私に上司の鋭い視線が突き刺さる。

「なんのためにお前をあいつと同じ学校に通わせてやってると思ってる」
「……」
「サヤ」
「はい」
「仲間を殺されたことを忘れるな」

忘れるわけがない。その人は、私のことを人間として扱ってくれた唯一の人だ。心のやわらかいところにふれて、体温がとてもあたたかいということを教えてくれた。私の世界のすべて。
悪いことはするもんじゃないと、つくづく思う。いつだって悪者は正義に罰せられる。
今回のように、どれだけ心を傾けた人間だとしても、それは私に限っての話であってほかの人間には関係のないことだ。だからこんなにも簡単に罰を与えられてしまう。すべては私たちが悪者なのがいけない。そして、悪者はいつだって性根の腐った奴が多い。自分がどんな奴かなんて、私が一番よくわかっている。

「あんなタコ野郎を殺すなんて、できるわけないじゃん……」

チャンスはすぐに訪れた。
その日はおかしなほど私に有利だった。

誰もいない教室に、私に背を向けて窓の外を眺めている吉田ヒロフミの姿。いつもはやさしいばかりの夕日が今日に限ってぎらぎらと、血のように赤く教室に降り注いでいる。
異様なほど微動だにしない吉田の背中が私を明らかに誘っていたとしても、今、やらなければいけない。自分が殺されるのはまっぴらごめんだ。

銃の悪魔から支給された拳銃を手に、息を殺して狙いを定める。
撃てるものなら撃ってみろと挑発を繰り返す背中の少し上、吉田の真っ黒な頭部が、開け放たれた窓から入りこむ風によってさらさらと揺らいでいた。きれいな黒髪。
そういえばこの前、落ちた消しゴムを拾ってくれたっけ。騒がしい男子たちのところへ運悪く落としてしまって拾うのを諦めた私を見ていたのか、吉田は難なく消しゴムを拾って私に手渡してくれた。
まだ、ありがとうと言っていなかった気がする。
吉田ヒロフミは見た目もいい男だけど、性格も結構いい奴だった。

自分のことは私が一番よくわかっている。
世界で一番大切な人を殺された翌日には、すでになんとも思わなくなってしまうほど薄情で、新しく世界で一番大切な人物を作り出すほど切り替えの早い、性根の腐った悪者。そして結局は自分が一番かわいい。

お前を殺さないと私が死ぬ羽目になるからごめんね。
そう心の中で呟くのはこれで何度目か。いくら引き金を引こうとも、なぜか少しも指が動かない。
私みたいな奴にもいつもあいさつしてくれて、本当にいい奴だよ。ありがとう吉田。
そんなことばかり考えてしまうせいで、いつまでたっても引き金を引けやしない。いつから私はこんなに弱くなってしまったのか。

なんの前触れもなく吉田が振り返る。さらさらと揺れる黒髪の奥から、すべてを見透かしているようなあの両目がこちらを静かに見つめていた。それを見てしまったが最後。あーあーあーもうどうにでもなれ。
ぐずる子供のように唇を尖らせ、銃を鞄にしまう。近づいてくる吉田とは目を合わせられない。

「帰ろうぜ」

何の気なしに軽く、吉田は言った。今起こっていただろうすべての事実を目にしていながらも、それを見なかったことにして、私に帰ろうと言っている。普通の高校生のように、友達に言うように。
涙があふれてきたのはすぐだった。

「ごめ、ごめんねえ、よしだあっ」
「サヤ?」
「うう、むりだよお、私にはむり、ぜったいむりー!」
「落ち着けって、どうしたんだよ」
「消しゴムひろってくれて、あり、ありがとう」
「え?あ、ああ」
「いつもあいさつしてくれるのも、うれし、かったあ」
「そうか」
「明日も、いっしょに、かえろうね」

吉田はたしかに頷いてくれた。そして、いつまでも泣きわめく私のそばに、辛抱強く寄り添ってくれている。
それだけでどこか救われたような気がしてしまう私は、本当に単純な奴だ。

自分のことは私が一番よくわかっていたはずが、どうやら違ったらしい。あそこで引き金を引けない自分がいることに驚いた。私もなかなか捨てたもんじゃない。悪者もたまにはいいことをしてみるものだ。

帰ったら私は死ぬわけだが、明日も吉田が一緒に帰ってくれると約束してくれた。
世界で一番大切な人にそう言ってもらえたのだから、やっぱりあのとき引き金を引かなくてよかったのだと思った。

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