愛は天国またきて地獄

「半年後に死ぬらしいよ」
「……は?」
「私の余命、あと半年みたい」

会話の途中でなんでもないことのように言うものだから、アルドは最初、なにを言われているのかわからなかった。
ぼんやりと見つめる先、ベッドの上で上体を起こして座りこんでいるサヤは、きれいな顔に不満をのせて部屋の隅ばかりを見つめている。

「代償の話じゃないよ、今回の怪我は相当ひどいみたいで完治は無理らしい、私の体は半年しかもたないって、デビルハンターの死に様として最悪だよね、どうせなら戦ってる最中に死にたかったよ」
「……はあ」
「それにエッチもまだしたことないし」
「は……」

この女はなにを言っている?
自分は何度、耳を疑えばいいのだろう。

状況を再確認するため、アルドはぐるりと辺りを見渡した。
自分は今、病院にお見舞いに来ている。仕事中に怪我を負ったという仲間の顔を一目見るために。だから決して怪しい店などではないはずだ。それなのに、どうしてこんな言葉を耳にしなければいけないのか。

「エッチもしないまま死ぬなんて、ありえないなあって思って」

混乱するアルドに構うことなく、サヤは言葉を続けてしまう。

「だからしようよ」
「え」
「私とエッチしてくれる?」
「な、なん、」
「だってアルド、私のこと好きでしょ?」
「はあ……!?」

勢いよく椅子から腰を浮かせると足がもつれてしまい、大きな音をたててその場に倒れこんでしまった。なんて格好悪い。全部この女のせいだ。
ぐっと睨み上げたアルドだったが、その場の雰囲気が一変していることに気がついてしまい、一瞬にして表情を凍りつかせてしまう。
床に這いつくばるアルドをベッドの上から見下ろすサヤの顔には、一切の感情がなかった。

「早く立ちなよ」
「……あの、」
「無理なら今すぐ出て行って、二度と私の前に現れないで」

この女は本気だ。一度もまばたきをしないその両目が、一心に、されど冷たく、アルドを見つめている。
小さな個室の中でふたりの息遣いだけが空気を揺らしていた。沈黙は数分のようで永遠にも感じられる。半開きの口が呼吸をするたびに乾いていき、アルドは無意識に喉を鳴らして唾を飲みこんでいた。
微動だにしないふたりに変化が生まれる。ゆらりと立ち上がったアルドを追うように突き刺さる視線。背を向けることはせず深く俯いたまま一歩、前へと進むアルドの腕に、サヤの細い指がふれる。ぐっと引き寄せられると、力の抜けたアルドの体はいとも簡単にベッドへと沈んだ。

真っ赤な顔で石のように動けずにいるアルドの耳に、やわらかな唇が寄せられる。

「……思いだしたんだけど、あれ買ってきてよ」
「え……」
「もってないよね?」
「な、なに」
「だからあれだよ」

耳に唇をぴったりとくっつけ、直接ふきこまれたその言葉に、アルドは声もなく絶叫する。
女好きの兄ふたりと違って無駄に生真面目なアルドには、その言葉のもつ威力は、計り知れないほどすさまじいものがあった。

「今度アルドが来たときにしよう、忘れないで買ってきてね」

さも当然のように言われてしまい、アルドは頷くことすらできなかった。
半年後に死ぬらしい目の前の人間は、そんな素振りをひとつも見せずにきれいな顔でにっこりと笑う。なんてぶっ飛んだ女だ。デビルハンターの中でも群を抜いてイカれている。
そんな女が本当に死んでしまうのだろうか。
呆然と立ち尽くすアルドとは反対に、サヤは穏やかに笑うばかりだった。


デビルハンターとして日々を忙しく過ごしながらも、サヤを考えない日などあるはずもなく、アルドは心身ともに疲労していた。
次行ったときにはそういうことをしてしまうのだと考えれば考えるほど、全身が燃えるように熱くなる。個室といっても、あんな病院の一室で、そういうことができるものなんだろうか。無理だ、無理無理、絶対無理。サヤならもっと、人気のない場所を知っているかもしれない。
そして、誰の目も届かない場所で、サヤと。

「うわああああっ」
「うるせえよアルド!!さっきからなんなんだてめえは!」

次男のジョーイが声を荒げても、叫ぶアルドの耳には自身の心臓の音しか聞こえていなかった。
いくら時間が経とうとも、アルドの脳内はあの瞬間で止まってしまったため、どうにも感情のコントロールができずにいる。いつもなら真っ先に相談しているだろう兄たちにも、どう説明していいのか、そもそも話していいことなのかがわからず、ひとりで悶々としていた。
頭を抱えてじたばたするアルドを見て、ジョーイは不思議そうに首を傾げる。

「どうしたんだよ、ここ最近ずっとおかしいぜ、なんかあったのか?」
「……いや、なにもない」
「ふーん?そういやお前、サヤの見舞いには行ってるのかよ?」
「ぶっ!!」

飲んでいたジュースを盛大にぶちまけると、ジョーイがきったねえな!と大げさなほど騒ぎ立ててくる。
ごめんと謝りながらジュースを拭いていると、離れたところでソファに座っていた長男がおもむろに口を開いた。

「アルド」
「な、なに」
「お前、サヤとなんかあっただろ」
「……いや、なにも……」
「そうか?」
「……うん」
「ならいいが、あまり近づきすぎるなよ」
「な、なんで」
「サヤはもうすぐ死ぬ人間だ」

そういえばそうだった。
知っていたはずなのに、なんで忘れていたんだろう。

「……知ってるよ」
「そうだろうな」
「アルドよー、お前最近見舞い行ってねえみたいじゃねえか、サヤから聞いたぜ?」
「え?兄貴、サヤの見舞いに行ったのか?」
「一昨日な、お前が一ヶ月も見舞いにこないって、拗ねてたぜ」
「そ、か……」
「ジョーイ、見舞いには行くなって言っただろうが」
「わかってるって、もう行かねえよ」
「どうだか」
「信用ねえなー」

兄たちの会話をどこか遠くに感じながら、アルドはぼんやりとカレンダーを見つめていた。
あの日から一ヶ月が経過している。それに気づかないほど、アルドはあの日の動揺を引きずってしまっていた。それももう終わりにしなければ。タイムリミットが迫っている。
答えはすでにあの日の病室でだしていて、しないという選択肢は存在しない。

あれはどこで売っているんだっけ。
アルドはあてもなく、ただただ街中を歩き続けていた。


◇◇◇


「遅いよ」

病室に入ったと同時に投げかけられた言葉に、アルドはばつの悪い顔をする。
あの日から一ヶ月と半月、時が経過していた。

「サヤ、あの……」

ベッドに近づく気配にサヤが顔をあげる。はっと息をのむアルドの口から、続きの言葉がでてくることはなかった。

「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」

明らかに、あの日よりも確実に、痩せ細っている。
現実をありありと見せつけられ、困惑のまま、かける言葉も見つけられずに視線をさ迷わせるばかり。そんなアルドを見つめて、サヤはため息をつく。

「くるのが遅かったね」
「……ご、ごめん」
「わかってる、忙しかったんだよね」

それだけじゃない。お前があんなことを言うから行きづらかったんだ。
そうは思っても言葉にすることはなく、アルドはただ深く俯いた。

「その袋って、もしかしてあれが入ってるの?」
「……」
「あははっ、顔が真っ赤だよ」
「見るなよ!」
「どれどれ」
「見るな!」
「ふふ、じゃあ早く見せてよ、袋の中身」

耳まで真っ赤に染めて動けずにいるアルドの手から袋を奪い取ると、ばらばらと中身を布団の上にばらまいてしまう。
あっと声をだすアルドが止める間もないまま、驚いたようにサヤが口を開いた。

「こんなにたくさん買ってきたんだ」

かあーっと赤い顔がさらに濃い赤に染まる。
爆発寸前のアルドを前に、サヤは楽しそうにひとつの箱を指先でつまみあげた。

「そんなに私としたかったの?こんなに何回も」
「ちちち、ちが、ちがっ」
「ふふ、もうなんなのアルド、ほんと無茶苦茶だよ!」
「え、え?」
「こんなにたくさんなんて、あははっ!」

ベッドの上で腹を抱えて笑いだすサヤの姿に、アルドはとまどいつつもほっと胸を撫でおろす。
ここにくるまでにあったはずの葛藤や、想像を絶するほどの羞恥、それらがすべてなくなったわけではないがなんだか毒気を抜かれたような気持ちになって、そこでやっと、椅子に腰を下ろすことができた。

「あー笑った笑った、久しぶりだよ、こんなに笑ったの」
「……悪かったな、次からはもっと早く見舞いにくるよ」
「ぜひそうして」
「うん……」
「……」
「………あの」
「なに」
「し、しないのか」
「しないよ」
「えっ」
「もうしたから」

アルドを見つめるサヤの瞳が、ゆっくりとひとつ、まばたきをする。

「だから遅いって言ったんだよ」

時が止まったかのようにサヤばかりを凝視するアルドから顔を背け、窓の外の、どこか遠くを見つめてサヤは言う。

「アルドがこない間に、ジョーイがお見舞いに来てくれたの」
「ジョーイ……?」
「そうだよ、だからジョーイとやった、アルドがあんまり遅いからね」

そういえば、サヤの見舞いに行ったと言って、アルドがこないと拗ねていたと教えてくれたのは、兄のジョーイだった。けれどあのとき、ジョーイはそれ以上のことはなにも言わなかったはずだ。隠していたのだろうか。
ジョーイとサヤがふたりでしたことを、同じ屋根の下にいながらずっと、隠し続けていたのだとしたら。

「な、んで……」

地を這うような掠れた声にも、サヤは律儀に返答する。

「知っている人で相手がいいよって言ってくれる人なら誰でもよかったの、ただあのとき近くにいたのがアルドだったってだけ」
「それだけ……?」
「それだけ」
「じゃあなに、お前は、好きな奴とかじゃなくて適当に、」
「そうだよ、適当に選んだだけ、好きなひとなんていない」
「お、おれが、どれだけ悩んだと思ってんだ」
「知らないよ、遅いアルドが悪い」
「ふざけんな!!」

激情のままにベッドに押し倒すと、その体は思いのほか骨ばっていて、あまりの頼りなさに涙がこぼれ落ちそうになる。
自身もベッドに乗り上げると、痛みで顔を歪めるサヤを上から見下ろして、奥底から込み上げる思いをすべて叫びに変えた。

「俺とするって言っただろ!!今度来たときにしようって言ったのはお前のほうなのに、買ってこいって言ったくせに!絶対ゆるさねえ!!」
「ア、ルド」
「お前は俺とやるんだよ!兄貴なんかとじゃなく、俺と!!それなのになんで、なんで兄貴とやっちゃうんだよ……!」

その事実のせいで、胸が張り裂けそうなほど痛い。

「……なんでだよぉ、サヤ……」

ぽろぽろと降り注ぐ涙の雨を、サヤは目を見開いたまま受け止め続けていた。
サヤのバカ野郎と、震えた声が鼓膜をくすぐり、サヤは静かに瞼を下ろす。同時に騒ぎに気づいたらしい看護師たちがなだれこんできて、病人を押し倒しているアルドは呆気なく病室から追い出されてしまった。



「病院にこんなもん持ち込んでバカかお前は、しかもこの量」
「……」
「アルドー、わざわざ病人相手に盛んなくてもよ、そんなにやりてえなら今度女紹介してやるぜ?」
「うるさい!!」
「なんだとてめえ!俺は兄貴だぞ!?」
「今は兄貴の顔なんて見たくないんだよ!!」

思いっきりドアを閉めて自室に閉じこもってしまったアルドに、ふたりの兄は反抗期か?とため息をつく。
その日からアルドは、ジョーイとは口をきかずに極力避けて日々を過ごすようになった。あからさまな態度に最初は怒りを爆発させていたジョーイも、それが一週間と続くと逆に慣れてしまい、本来考えることが苦手な軽い性格も相まって今では怒ることもなく普通に過ごしている。長男は従順なアルドの急激な変化になにか思うところがあるようだったが、結局は口をだすことをしなかった。

不穏な空気のまま三人でデビルハンターの仕事をこなし、淡々と時が過ぎていく。
アルドはサヤと喧嘩してから、一度も病院には行っていない。もちろん連絡もなく、こちらから連絡することもない。
やりきれない思いを蓄積するだけの毎日に嫌気がさしていた、そんなときだった。

「サヤ、もうだめらしいな」

久しぶりに耳にするその名前に、アルドは無意識に顔をあげた。
離れたソファに座りくつろいでいるジョーイは、だるそうにこちらを見ている。

「……サヤが?」
「お、なんだよ、会話する気になったか?」

はっとして口をつぐんだアルドを面白そうに眺めているジョーイは、意地悪な表情とは裏腹に、優しさを言葉に滲ませた。

「どーしよっかなー、教えてやってもいいけど、アルドは俺のこと無視してやがるしなあ」
「……あ、」
「なに?もっとでっけえ声で言えって」
「……兄貴が、兄貴が悪いんじゃないか、サヤに手をだすなんて最低だよ!見損なった!!」
「はああ!?なんのことだよ!」
「だから!サヤとやったんだろ!?いまさら隠さなくていいよ!」
「やってねえわ!!するわけねえだろ!いいか、あそこは病院だぞ!?あんなもん持ち込んでたお前はわからねえかもしれねえが、病院はそういうことをする場所じゃねえんだ!覚えとけ!!」

こっちが怒っているはずなのになぜか逆に叱られてしまって、アルドは顔を真っ赤にする。
俺だって別にやりたかったわけじゃない、あいつが買ってこいって言うから持っていっただけなのに。

「じゃあなんだよ!兄貴は普通に見舞いに行ってただけだってのか!?」
「そうだっつの!病院でやろうとする変態はお前だけだバカ!」
「変態じゃない!俺だってしかたなく持ってっただけなんだよ!!」
「どーだか!」
「だいたい、変態は兄貴のほうだろ!?サヤは兄貴と、ジョーイとやったって言ったんだ!隠したって無駄だ!!」
「俺がサヤと?サヤがそう言ったのか?」
「だからそうだってば!」
「意味わかんねー!なんでサヤはそんな嘘ついてんだ!?やってねえもんはやってねえんだよ!!」
「嘘……?」
「俺はやってねえ!兄弟に嘘はつかねえぜ、それはわかるな?」
「……うん」
「サヤがお前に嘘ついたってことだ」
「サヤが……?」

なんでそんなこと。

「お前らうるせえよ、外まで丸聞こえだぞ」

いつの間にか買い物から帰宅していたらしい長男の声に、アルドとジョーイはお互いにそっぽを向いてそれぞれの椅子に座る。その様子にため息をついた長男は、煙草に火をつけて煙を吐きだすと、難しい顔をして俯いているアルドに向き直った。

「アルドもサヤも面倒くせえ性格だよな、とくにサヤの面倒は周りを巻きこむ辺り、余計タチが悪い」
「……どういうことだよ」
「例えば、相手の迷惑も考えずにでかい口を叩くわりには、言ったあとで後悔しているところとか」
「後悔……?」
「サヤはそういう奴だろ」

まっすぐに見つめてくる長男の目が、アルドをとらえて放さない。

「お前は今まで、サヤのなにを見ていたんだ?」

アルドは静かに、テーブルに反射している自分の顔を見つめていた。そうして思い浮かべるのは、サヤと過ごしてきた今までの日々。
同時期にデビルハンターになった、自分と同じ年齢の女の子。はじめまして、よろしくねと手を差し伸べてきてくれたのは、サヤのほうからだった。人見知りからそっけない態度をとることが多かったアルドにめげずに話しかけてきてくれて、その何者にも動じない精神とぶっ飛んだ行動力に、サヤはアルドにとって、いつからか目が離せない存在になっていた。
そんなサヤがあんなことを言うものだから、もしかしたらサヤも同じ気持ちなんじゃないかとバカのように舞い上がってしまった。サヤが突拍子もないことを言ったあとは、決まって後悔している姿を幾度となく目にしてきたはずなのに。サヤがどれだけ不器用な人間なのかを、知っていたはずなのに。

「……サヤはなんで、嘘なんかついたんだろう」
「ジョーイとやったって言えば、お前が怒ってもう見舞いにこなくなると思ったからだろ、実際あれから一回も行ってないみたいだしな」
「なんで、そんなこと」
「俺は深くは知らねえから、あとは自分で考えるんだな」

兄の言葉に背中を押され、アルドはふと、考えを巡らせる。
サヤは、後悔したのだろうか。セックスをしようと言ってしまったことを。だから遠ざけようとしたのかもしれない。
なんでもないふりをしながらも自分の死を悟り、内心はひどく動揺していたに違いない。
あんなに近くにいたのに、どうして気づいてやれなかったんだろう。

「ジョーイ、お前また見舞いに行ったんだってな」
「ああ、そうそう、わりーって」
「しょうがねえ奴だな、で?サヤはどうだったよ」
「それがさ、もうやばいみてえで会わせてもらえなかったんだよなあ」
「余命半年じゃなかったか?まだ三ヶ月だろ」
「早まったみたいだぜ」
「え……」

口をついてでた言葉に兄ふたりが反応する。
向けられた視線に気まずさを覚えながら、アルドはようやく呟いた。

「……兄貴、ごめん」
「なに?俺か?」
「うん、その、さっきも言いすぎたし、ずっと無視してて、ごめん……」

ジョーイはにかっと歯を見せて笑うと、俯いてばかりのアルドの頭を乱暴に撫でまわす。髪がぐちゃぐちゃになるのも構わず兄の優しさに寄り添うように、アルドはされるがままだった。
ぎゅうっと握った拳で何度も目元を擦りながら、アルドは勢いよく立ち上がる。すべきことは決まっていた。
抜け殻のようだった弟が生き返った様子に、長男は呆れたように煙草を吹かす。

「ジョーイの話を聞いてただろ?会わせてもらえないらしいぜ」
「行くよ」
「無理だ、サヤは死ぬ」
「それでも行く」
「そんなに好きか」

そんなに好きなんだよ。



病院につくとジョーイの言っていた通り、面会は断られてしまった。それならばと、人気のない場所で悪魔の力を使い顔を変えて医者へと変装する。狙い通り、今度は難なくサヤの病室に入ることができた。
一歩、足を踏み入れたその瞬間、言いようのない不安がアルドの全身を覆いつくしていく。

サヤは、喧嘩した日に会ったときよりもさらに痩せていた。骨と皮で形作られた人間のような塊が、おぞましいほどの死を身にまとい、ベッドに沈むように寝かされている。
横を向いている紙のように真っ白な顔を見下ろすと、薄く開かれた瞳からぼんやりとした黒目が覗いていた。アルドではない、どこか遠くを意識することなくただ見つめている。
アルドは静かに笑った。自身の顔に手をかざして医者の顔を剥ぎ取ると、本来の顔をサヤへと近づけていく。あれを買ってこいと言われたときのように、今度はアルドがサヤの耳へと唇を寄せた。

「……約束をするよ」

半分死んでいる人間の鼓膜を揺らして、語りかけるように、直接言葉を流し込む。
サヤの瞳は薄く開いたまま、黒目は動かない。

「ここから出ることができたら、俺とセックスをしよう」

さあ、こっちを見ろ。
お前の望む言葉を、俺は知っている。

「お前がもういやだって言っても絶対放してやらないから、お前がどれだけいやがったって俺はしつこく続けるよ、朝も昼も夜もずっとだ、何日だって抱いてやる、永遠にずっと」

しばらくして、ゆったりとした動作で黒目がアルドのほうに向けられた。
至近距離で見つめ合う中、サヤの唇が怪しく弧を描く。

「……それ、最高……」

サヤのか細い声は、けれどアルドの耳にはしかと届いていて、からっぽの心があふれでる幸福で満たされていく。
俺を知っているのはお前だけ、そして、お前を知っているのも俺だけだ。

「サヤ、約束だ、これは絶対に破ったらいけない約束なんだ、忘れるなよ、わかったな?」

そっと、まばたきをひとつ。それをイエスととって、アルドは穏やかに笑う。
この約束が破られることはないだろう。
屍間際の朽ちる寸前、そんな女とふたりきり。冷えた部屋の中で愛を誓い合った。



数日後。サヤが息を引き取ったという事実を、アルドは長男から聞いた。

「意外に平気そうだな」
「まあ、大丈夫だよ」
「それならいい」
「なんだよー、アルドが泣きわめくと思って、こちとら新しい女の子紹介する気満々だったんだぜ?少しは悲しそうにしろよなー」
「紹介なんてしなくていいよ、そりゃあ、ちょっとは悲しいけど」
「ちょっとだけかよ!薄情な奴だな、サヤも地獄で泣いてるぜ?」
「……そうかな」
「おいジョーイ、もうそのへんにしとけ」
「わーってるよ」

「アルド」
「なに?」

「……なんでもない」

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