それにしても涙がとまらない
「ジョーイ!!」
呼ばれたと同時に勢いよく抱きつかれた兄が素っ頓狂な声をだしている様子を、アルドは横目で眺めていた。
「このバカ!帰って来てたなら連絡してよ!」
「あれ、連絡してなかったか?」
「全然してない!いつ帰ってきたの?」
「昨日だよ」
「もう!じゃあ休みはいつ?パーティーしようよ」
「いいけどよ、また俺とサヤだけかあ?胸と尻がでかいお友達連れてこいよ」
「だーめ、無事に生きて帰ってこれたことを祝うパーティーだもん、お友達は私ひとりで充分でしょ、それとも私ひとりじゃいや?」
「いいや?大親友のサヤちゃんが一緒でうれしいぜ」
「ふふっ、なによそれ」
「……パーティーなんてやってる暇なんかないぞ」
「あれ、アルドいたの?」
全然気づかなかったと、兄の腕の中で白々しい物言いをするサヤを、アルドは遠慮なく睨みつけてやる。
「気づいてたくせによく言うよ……」
「それよりなんでパーティーができないか説明してくれる?」
「俺たちデビルハンターは忙しいんだよ、お前みたいな一般人と違って」
「休みくらいは普通にあるでしょ?ねえジョーイ」
「あー、あるな」
「いつ?」
「明日」
「じゃあ明日ふたりでパーティーしよう!ジョーイのすきな料理たくさん作ってあげるね」
「おお、さすが俺のサヤちゃん!期待してるぜー」
「……なにがパーティーだよ」
「安心してよ、アルドは絶対呼ばないから」
「誰も呼んでくれなんて頼んでないだろ」
「そうですねー」
「……」
機嫌悪そうに口を閉じてしまったアルドを気にすることなく、サヤはまたジョーイと楽しそうに会話を弾ませている。
結局、最後までサヤはジョーイにひっついたままだった。
サヤは兄のジョーイが特別仲良くしている女の子だった。大きな仕事を終えて帰ってくると、決まってジョーイを労わっている光景をアルドは幾度となく目にしていた。
ジョーイとサヤの関係は深い絆で結ばれている。デビルハンターという仕事柄、殺伐とした空気を纏う者にとって、一般人であるサヤの無邪気な明るさにどこか心を救われているのかもしれない。
アルドはいつもサヤを見ていた。ジョーイと一緒にいるサヤを。お互いに馬が合わないアルドとサヤの関係は、ジョーイとは対照的に冷めたものだった。
アルドは先ほどのサヤを思いだし、ふつふつと苛立ちを募らせていた。自分を舐めきっているあの態度が気に入らない。なにかすっきりする方法はないかと辺りを見渡し、ジョーイの姿を目にとめた。
「……兄貴、お願いがあるんだけど……」
◇◇◇
翌日、インターフォンを鳴らすとすぐにサヤが飛びだしてきた。
「ジョーイ!待ってたよー!!」
ぎゅうっと抱きついてくるサヤに驚き、体がびくりと跳ね上がる。いつまでたっても抱きしめ返さないことを疑問に思ったのか、こちらを見上げたサヤが首を傾げてきた。
「どうしたの?ハグしてよ」
「……その、」
「……?まあいいや、ほら早く入って!」
「あ、ああ」
サヤに腕を引っ張られながらあっという間に家の中へと入ってしまう。初めて入ったサヤの家にアルドは圧倒され、そわそわと落ち着きなく辺りを見渡していた。
ソファに腰を下ろすと、目の前に広がる料理の品々にごくりと唾を飲みこむ。しかしこの料理はすべてジョーイのため。
ジョーイの顔をしているアルドは、もやもやとした晴れない気持ちを持て余し、拗ねたように口を尖らせていた。
「ねえ、やっぱりなにかあったの?」
いつの間にか近くに座っていたサヤが、神妙な顔をしてアルドを見つめていた。あまりにもまじまじと見つめてくるその目から、アルドは逃げるように目をそらす。
こんなに長くサヤに見つめられたことはない。焦りで激しくなる動悸を静めるように、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。黙ってその様子を眺めていたサヤはおもむろに立ち上がると、アルドの隣に場所を移した。
あまりの近さに硬直するアルドの背を、サヤは優しく撫でている。
「……大丈夫?」
「う、うん……」
「嘘、いつもより元気ないよ」
「……そんなこと、ない」
「私に隠しごとなんてしないで」
「な、」
「無理しなくていいよ、今日はやめにしようか」
慌てて首を横に振るアルドに、サヤはそっかと呟く。
「抱きしめてもいい?」
ぱくぱくと声にならない言葉を発するばかりのアルドに、サヤは優しく笑いかける。目を見開いたアルドの視線は、サヤの顔に釘づけだった。
慈愛に満ちたその表情に、胸がひどく締めつけられていく。伸びてきた両腕に抱きしめられると、どうしようもなく切なくなった。
「大丈夫だよジョーイ、私がいるよ、ずっとずっとジョーイの味方だよ」
やわらかい声がアルドの鼓膜を震わせる。
当初の目的などすでにどこかへ消え去り、今はただ、理解しがたい感情だけがアルドの中を埋め尽くしていた。
今起こっていることは本当に現実なのか。自分の妄想かもしれない。だっておかしい、サヤがこんなに優しいなんて。
膝に置かれた自身の両手をぎゅっと握りしめると、サヤが落ちつかせるように優しく背を撫でてくれた。流れる髪が鼻をくすぐる。とてもいいにおい。細くて華奢な腕が一生懸命自分を抱きしめてくれている。かわいい、すごくかわいい。
その日、アルドはなにかを耐えるように動かず、ずっと固まり続けていた。
◇◇◇
「それで?昨日はどうだったんだよ」
「……なにもなかった」
「はあー?なんだそりゃ」
「ごめん兄貴、昨日のことうまく口裏合わせておいてくれ」
「は?正体ばらさなかったのか?」
「うん……」
「いやそこが一番面白いとこだろうが!」
サヤがどれだけ驚いたのか聞きたかったのにと、ぐちぐちと文句を言い続ける兄の言葉は、ぼんやりと遠くを眺めているアルドの耳には届いていなかった。
衝撃的な連続のあまり、昨日は一睡もできていない。あくびを噛み殺しつつ前方に目を向けると、昨日会ったばかりのサヤの姿を見つけた。
「おはようジョーイ!」
慌てたように駆け寄ってきたサヤは、ジョーイをじっと見つめている。
「な、なんだよ」
「……もう大丈夫なの?」
「は?なにが?」
「昨日すごく落ちこんでたでしょ?」
「落ちこむ!?なんで俺が、あー……」
「どうしたの?」
「いや、大丈夫、もう大丈夫だ」
「ほんと?よかった……」
ほっと胸を撫でおろしたサヤは安心したのか、いつものようにジョーイとハグをした。ジョーイが責めるようにこちらを睨んできたが、アルドは腕の中で幸せそうに笑っているサヤを眺めていた。
ふいに、ぱちりと視線がかち合う。
「あれ、アルドいたの?」
いつもの問いかけが、なぜだか無性にむなしく感じた。
「……いつまでくっついてんだよ、さっさと離れろよ」
「あともう少し、いいよねジョーイ?」
「はいはい、いいですよ」
「ふふっ」
ジョーイの腕の中で、サヤは嬉しそうに微笑んでいる。アルドは自分の手のひらを見つめた。昨日まであったはずのぬくもりが、欠片も残さず消え去っている。腹の奥底で、なにかがじりじりと焼け落ちていくようだった。
サヤにとって、ジョーイとアルドではなにもかもが違う。アルドのままではサヤに見向きもされない。ジョーイにならなければ。
昨日の、かわいらしく寄り添ってくれたサヤに会いたい。
去って行くサヤの背を眺めていたジョーイに声をかける。こちらを振り返ったジョーイは、訝しげに目を細めていた。
◇◇◇
ある日の休日。
ジョーイの顔を借りたアルドは、待ち合わせの場所でサヤを待っていた。
「ごめんジョーイ!ちょっと遅れちゃった」
息を切らして駆け寄ってきたサヤは、アルドを見つめてにっこりと笑っている。感極まったアルドは、なにを言うでもなくサヤを力一杯抱きしめた。
いいにおい。小さくてすごくかわいい。
驚くサヤをぎゅうぎゅうに抱きしめて、アルドは熱い息を吐きだす。
覆いかぶさるようにして抱きつくアルドの背に、サヤの手がふれる。はっとして少し体を離すと、サヤが覗きこむようにしてアルドを見上げていた。
「びっくりしたよジョーイ、そんなに私に会いたかった?」
アルドはなにも言えずに、またすがりつくようにサヤを抱きしめた。
サヤをひとりじめできるなら、一生ジョーイのままでいい。
たとえそれが、どんなにむなしいことだとしても。
title by 大佐