ラブ・ミー・テンダー

よく晴れた青空の下、人混みをかきわけてどこに向かうわけでもなく歩き続けていたアルドは、ふいにその足を止めた。視線の先に異様な人だかりを見つけ、少しの好奇心から吸い寄せられるように近づいていく。人々の後ろからようやく顔を覗かせると、ぎょっと目を見開いた。

人だかりの中心にはベンチがあった。そこには見覚えのありすぎる女がひとり。女はベンチではなくあろうことか地べたに座りこんで食事をしていた。ベンチに置いたカルボナーラに躊躇することなく顔を突っ込んでいる。そうして口だけを使いカルボナーラを引っ張り上げると、ずるずると音を立ててすすりあげていた。顔を引きつらせてその光景を眺めている人々の冷たい視線など構うことなく、女は平然とした態度でぺろりと唇を舐めている。

そのとき一瞬、目が合った。ほんの少し顔を上げた女の両目が自分に向けられ、アルドは息をのむ。動揺するアルドとは反対に女は表情ひとつ変えずにまた顔を伏せ、奇妙な食事を続けていた。
明らかにいつもとは違う態度。自分の存在を見なかったことにされたようでむっとしたアルドは、人混みをかきわけ一直線にそれへと向かった。

「……なにしてんだよ」
「あれ、アルドいたの?偶然だね」
「しらばっくれるなよ、無視したくせに」
「なんのこと?」
「あのなあ……」

あっけらかんとした態度に深いため息をつくが、女は少し笑って気にすることなく再びカルボナーラに口をつけようとする。慌てて女の髪を持ち上げた。

「バカ!いつまでそんなことやってんだ!顔も髪もべたべたになってるだろ!」
「……あーもう、いいから行きなよ」
「なに?」
「私といたっていいことなんかないし」
「なに言って、」

言いかけた言葉のすべてが吐きだされることはなかった。四方八方からこちらに向けられる奇異の目。そうして、ようやく無視されたことの意味を理解した。
もやもやとした霧が晴れると見えなかったものが自然と見えてくる。女の両腕は飾り物のように、だらりと垂れ下がっていた。

「両腕が動かないんだな?」
「え?」
「悪魔との契約でそうなったのか?それとも仕事で?」
「……」
「どうなんだよ」
「……いいからさっさと帰ったら」
「いやだね、ちゃんと聞くまで帰らない」
「ふうん……」

目を細めて探るように見てくるその目をまっすぐに見つめ返す。長い睨み合いから先に目をそらしたのは相手のほうだった。素早く立ち上がり背を向けるその姿に、アルドも慌てて立ち上がる。

「続きは私の家で話そうよ」
「え、家?」
「大丈夫、ここから近いし」
「あ、いや、でも」
「カルボナーラ持ってきてくれる?」
「え?あ、ああ」

言われるがままにカルボナーラを手にし、おどおどしながら歩を進める。そんなアルドを、先を行く彼女は振り返って見ていた。
アルドと目が合うと不思議そうに首を傾げる。

「アルドって、私のことすきなの?」
「は、はあ!?そんなわけないだろ!」
「そう?」
「そうだよ!!」

アルドが力一杯否定するのを見て、楽しそうに笑っていた。

前を歩く女は、アルドの数少ない同期の中のひとりだった。名前はサヤというが、アルドはサヤの下品なところや平気で失礼なことを口にする性格が苦手で、あまり名前で呼んだことはなかった。そんなアルドの複雑な気持ちなど知る由もなく、サヤという女は平気でアルドの名前を口にする。そのたびにアルドは不可解な感情にさいなまれ、やはりこの女は苦手だと思いこむようになっていた。

家に向かう途中、サヤは自身の身になにが起きたのかを早口でまくし立てていた。
仕事で自身の悪魔を使うことになり、その代償として両腕を悪魔に差しだした。両腕は肉体としては生きている。でも魂を吸い取られたから二度と動かない。
それだけ言うともう説明は終わったと言わんばかりに口を閉じてしまった。

サヤはデビルハンターのくせに契約している悪魔を使わないことで、ある意味有名な存在だった。どんな悪魔と契約しているのかさえなぜか秘密にされており、上からの許可がないと悪魔を使用できないという噂が広まっていた。
そのサヤが初めて悪魔の力を使ったという。その事実に驚き、その代償として両腕を失った事実にも驚いた。たった一度でこの代償。一体サヤはなんの悪魔と契約しているのだろうか。

立ち止まったサヤが口で鍵を開けるとずかずかと中へ入っていく。いつの間にか家についていたようで、アルドはサヤについていくように中へと足を踏み入れた。その瞬間、鼻を刺激する甘い香りにアルドの全身は硬直した。

「どうしたの?入っておいでよ」
「いや、それは……」

サヤの堂々とした言葉にアルドは口ごもる。どうして自分は苦手なはずの女の家に来てしまったのか。焦りながらも懸命にここに来たことへの意味を探し、手に持つカルボナーラに目を向けた。

「いや、俺は帰る、これ持ってきただけだし、話も全部聞いたし…」
「ここで渡されても困るよ、私持てないし」
「そ、うだな」
「部屋に来てよ、テーブルに置いてちょうだい」
「……でも、」
「話もまだあるから、ほら早く!」

困惑しながらもサヤに言われるがまま、アルドは部屋へと歩きだしてしまう。歩くたびに女の子の甘い匂いが鼻をかすめるため、アルドは顔を伏せ手に持つカルボナーラばかりを見ていた。
部屋に案内されたアルドはテーブルにカルボナーラを置くと、そのまま近くのソファへ腰を下ろす。帰ろうとしない自身に違和感を抱きながらも、まだ話があると言っていたサヤの言葉を思いだし、それを聞いてやるためだから仕方なくここにいるんだと必死に自分自身を納得させていた。

「傑作だったでしょ?」
「……え?」
「さっきの私」

ソファの上で固まるアルドの隣に腰を下ろすと、サヤはにこりと笑ってみせた。

「本当は家で食べようと思ったんだけど、見せつけてやろうと思ってわざとあそこで食べてたの、あんたたちを守るために私は両腕を悪魔にくれてやりましたよーって、いい見せ物だったでしょ」

終始にこにこしているサヤを、アルドは静かに見つめている。

「……そんなこと言うなよ」
「ん?」
「自分のこと、そんなふうに言わなくていいだろ……」

苦しそうに歪められたアルドの顔にサヤはぱちぱちと瞬きを繰り返し、それからゆっくりと口角を上げた。

「アルドくんは優しいねえ」
「……バカにしてるのか」
「本心だよ、ねえ、彼女いる?」
「は?」
「今までは?もしかして一度も付き合ったことない?」
「い、いきなりなんの話だよ!!」
「いいじゃん、教えてよ」

サヤの突拍子もない言葉にアルドは目を白黒させて顔を真っ赤にしている。その様子をサヤは嬉しそうに眺めていた。

「へえ、彼女いたことないんだ」
「お前に関係ないだろ!!」
「じゃあしたことない?」
「は、」
「えっちなこと」

その一言にアルドはかちんこちんに固まってしまった。動かないアルドに近づいたサヤは上半身を傾けてその首筋に顔を埋める。ちゅっとそこに口づけると勢いよく両肩を掴まれ引き離された。
耳まで真っ赤に染まってしまったアルドは、信じられないものを見るような目でサヤを見つめている。

「なに、なにを、してんだバカ」
「アルド、手を離して」
「おま、お前、」
「続きができない、手を離して」
「……続きって、」
「アルド」

優しくも有無を言わせないその透き通った声が、アルドの最後の理性を削ぎ落していく。次第に両肩から離れていくアルドの手を確認したサヤは、再度目の前の首筋に顔を埋めた。

自分は一体なにをしようとしているのか。苦手な女が相手でいいのだろうか。そもそも、なぜ自分はこの女を苦手としていたのだろう。
こいつにアルドと呼ばれると心臓がざわついて仕方なくなったのは、もうずいぶん前からだったような気がする。

沸騰した脳味噌では正常な思考をすることさえままならない。口を使いアルドの服を脱がせようともがいているサヤの姿に、どうしようもなく胸が締めつけられた。

「ま、まて、いい、自分で、自分で脱ぐ」

思いもよらなかった言葉に自分自身が驚きながらも、震える両手を使いサヤを優しく引き離す。
見上げたサヤの瞳と、至近距離で目が合った。

「私のことすきなの?」

声がでなかった。自分の息をのむ音が異様に大きく聞こえる。数分前までは即答できたはずの答えが、喉にべったりとはりついてしまったように口からでてこない。少しだけサヤが笑う。その瞬間、アルドはソファの上に押し倒されていた。驚く間もなく上にサヤが倒れこんでくる。

「ふふっ」
「な、なに笑ってんだ」
「かわいいなあと思って」
「かわいい!?」
「アルドくんはかわいいですねー」
「この野郎……!」
「私も付き合ったことないの」
「……え?」
「えっちもしたことないよ」

一緒だね。そう言って笑うサヤはぐりぐりとすり寄るようにアルドの胸に顔を押しつけていた。どくどくと慌ただしい音色を奏でる心臓に耳を傾けうっとりと目を閉じている。
アルドはなんの変哲もない天井を眺めながら、ぎこちなくサヤの背にふれた。

「サヤ」
「なに」
「俺のことすきだろ」

アルドの言葉にこたえることなく、サヤは楽しそうに笑っていた。

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