07 あいになる

それは私が決意してから二週間後のことだった。

「あれ見ろよ、救急車が止まってるぜ」

友達の声につられるように向けた視線の先には、堂々と大学の前に居座る救急車の姿があった。きっと誰かが怪我をしたのだろう。あれは本物の救急車でそのうち人が降りてくるはずだ。
そのはずなのに、救急車からは一向に人が降りてこない。それどころか運転席にすら人がいない。奇妙な存在に吸い寄せられるように、救急車の周りは人混みであふれている。ただの救急車のはずなのに、その人混みの間を縫って、たしかに私と目が合った。

「私が大学の場所を教えたの」

そばにいたカーリーがなんでもないことのように言った。
それが許せなくて責めるようにカーリーを見てしまう。

「教えちゃだめとは言われてないわ」
「そ、そうだけど」
「リリーだって私になにも話さないんだもの、これでおあいこよ」
「……」
「でも聞いてきたのはラチェットのほうからよ」
「……え?」
「リリーと話がしたいって言ってたわ」

だんだんと焦りが増していく。早くここから逃げなければ。とっさに掴んだのは隣にいた友達の腕だった。

「な、なんだよいきなり」
「そのまま歩いて」
「は?なんで?」
「いいから歩いて」
「わ、わかったよ」

たじろぐ友達の腕を引っ張りながら、ラチェットと目が合わないように下ばかりを見て歩いた。
ラチェットを取り囲む周りの人の声が、雑音となって私の耳を刺激する。

「なにを考えてるのか知らないけど、リリーが考えてることだけが正解じゃないのよ!リリーはひとりで考えすぎなの!わかってるのリリー!!」

耳に痛いカーリーの言葉を背中に受けながら、人混みにあふれるラチェットのそばを通り過ぎた。その瞬間、火がついたように救急車が走りだす。無人で動くそれは確実に私のほうへ向かってきている。私も負けじと友達の腕を掴んだまま走りだした。
必死に走って走って走り続けて、なんで自分が逃げているのかすらわからなくなってきた頃。私たちの前に先回りした救急車が道を塞ぐように現れ華麗に姿を変えた。

二週間ぶりに見たラチェットの姿は、前と変わらず私の心を魅了した。

「なぜ逃げるんだリリー」

愕然とした。気が遠くなりそうだった。
状況について行けず戸惑う友達の腕を強く掴み直すと、それをめざとく見つけたラチェットが友達に厳しい視線を向ける。

「すまないが席を外してくれないか、リリーと少し話があるんでね」
「あ、その、はいもちろん!あの、俺もう帰りますから!あとはお好きにどうぞ、じゃあなリリー!」

一息に言い切ると友達は私の肩を軽く叩いてジェット機のごとく走り去って行った。残された私は、ラチェットに目を向けることなく深く俯いている。
いつの間にか路地裏のようなところに来てしまったらしく、辺りは薄暗く人の気配もない。完全に私とラチェットのふたりだけになってしまった。

「リリー、なぜずっと基地にこなかったんだ?」
「……」
「聞いてるのかリリー」
「……聞こえてるから何度も名前を呼ばないで」
「リリーが返事をしないからだろう」

聞き違いだと思いたかったのに、ラチェットが何度も口にするから嫌でも現実だと思い知らされてしまう。
今まで一度だって、私の名前なんか呼ばなかったくせに。

「さっきの人間は君のなんだ」
「友達だよ」
「そうは見えなかったが」
「どう見ても友達でしょ」
「基地にこなくなったのもさっきの彼が原因なんじゃないか」
「なに言ってんの、そんなわけないじゃん」
「違うなら本当の理由を教えてくれ」
「……」
「……君は、私のことが好きなんじゃなかったのか」

ラチェットの言葉を理解した瞬間、体中の血液が沸騰し顔面が爆発するほどの熱を発した。壊れるほどに鳴り響く心臓の音が私の焦りを助長する。たまらずラチェットを睨み上げた。

「私がいつそんなこと言った!?勝手に私の気持ちを決めないで!!」
「言ってはいないがそうとしか思えないだろう!私が怪我をするくらいなら死んだほうがましだとか、自分をみてほしいとか私に言ってきたじゃないか!!」
「み、みてほしいって、それは夢だったはず!」
「いいや、現実だ!私の記憶回路にしっかりと残っているからな!!」

あまりのことにいっそのこと気絶してしまいたかった。夢だと思って素直に話した自分の気持ちを、ラチェットに聞かれてしまっていたなんて。
熱かった顔が度を超えた羞恥でさらに燃え上がる。もう自分を止められなかった。

「よく聞いて!私が基地に行かなかったのはみんなに飽きたから!人間の友達と遊ぶほうが何倍も楽しいし!ラチェットのことだって、好きになんかなるわけないじゃん!私が好きなのは人間だけ!人間でもないラチェットなんか絶対好きになんかならない!!」

全力で吐き出した叫びは薄汚れた空気と混ざり、青い空へと吸いこまれていく。
あとに残ったのは激しい後悔と、怖いほどの静けさだけだった。

「そうか、よくわかったよ」

突き放すようなラチェットの声色に熱かった体が一気に冷えていく。思考停止した私の体はぴくりとも動かず、ラチェットの顔さえ見ることができない。

「ひきとめて悪かったね、もう二度と君の前には現れないよ」

遠ざかっていく足音を耳にしながらも、ひきとめるすべを知らない乾ききった喉は、無意味な呼吸だけを繰り返す。
ラチェットの足音が完全に聞こえなくなったとき、心の声が堰を切ったようにこぼれでた。

「……嘘だよ……」

とめどなくあふれだす涙が、汚いコンクリートにいくつも落ちていく。

「ぜんぶ、ぜんぶ嘘!ただラチェットに、幸せになってほしかっただけ!なのになんで、」

どうして私はいつもこうなんだろう。
ラチェットを傷つける言葉はたくさん言えるのに、優しい言葉はなにひとつ言えない。私なんか死んでしまえばいい。この薄暗い路地裏でゴミのように死ねばいい。ぐずぐずに泣き崩れうずくまる醜い私にはお似合いの最期だ。このまま溶けるように死んでいけば、きっと本当のゴミになれるだろう。





「リリーがいなかったから、ちっとも幸せじゃなかったよ」

数秒、たしかに時が止まった。
顔をあげると立ち去ったはずのラチェットの姿がぼやけながらも目に映る。無様に泣き崩れる私の前に来たラチェットは膝をつき、無防備な私の目をしっかりととらえた。

「ちっとも幸せじゃなかった」

ラチェットはまっすぐに言いきった。暗闇の中に一筋の光がさす。
ラチェットの大きな両手が私の前に差しだされ、その意味を理解したとき、私は静かにその手に足を乗せた。私が手のひらにおさまると、ラチェットは包みこむように私をやわらかく持ちあげる。ぼろぼろと涙を流す私の顔を見て、ラチェットのきれいな青い瞳が苦しそうに歪められた。そのままラチェットは頬ずりをするように私に顔を寄せる。恐る恐るふれると、冷たい金属の感触が手に伝わってきた。私とはまるで違う。これが私の愛する人の体。

たまらず彼の頬に全身で抱きついた。
言葉はいらなかった。

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