08

運命の選択というのは、いつも突然やってくる。

「すみません!ちょっと道をお尋ねしたいのですが」

険しい雪道を歩いていると後ろから声をかけられた。振り返ると黒い服を着た男性がふたり、こちらを見て軽く手を振っている。ほかの村から来た人だろうか。近づいていくとだんだんと彼らの正体が明らかになってくる。違う、ほかの村から来た人じゃない。彼らは刀を所持していた。鬼狩りがうろついているらしいという空喜の言葉が脳裏をよぎる。たぶん、この人達がその鬼狩りだ。ひやりと寒さとは違う冷たさが体を襲った。

「この先の村に行きたいんですけど、雪で道がわからなくて」
「…この先の村でしたらここをまっすぐ進めばすぐに着きますよ」
「ほら、やっぱりそうじゃないか!さっきの人もそう言っていただろう!」
「ええ?じゃあ俺の聞き間違いかあ」
「お前のせいで到着が遅れるだろうな、被害も増えることだろう、お前のせいで」
「そんなに責めるなよ!悪かったって!ああ、そういえばさっき道を尋ねた人に聞いたんですが、この村は一年ほど鬼の被害がないそうですね」
「…はい、そうです」
「それはよかった!鬼がいないに越したことはないですからね、さっきの人も言ってましたがきっと神様がこの村をお守りしてくださっているんでしょう」

にこにことほがらかに話してくれる男性を見ていたらなぜだか無性に後ろめたくなり、目を合わせていることができず逃げるように俯いてしまった。
うまく笑うことができない。私はこの村を守るためにいいことをしているはずなのに、悪いことをしているような気持ちになってくる。私は鬼狩りの人達を裏切っているのだろうか。

「どうしました?どこか具合が…」
「あ、いいえ、大丈夫です」

あまりに俯きすぎたため心配させてしまったらしい。なんとか笑みを作り顔を上げると、黙って私を見ていたもうひとりの男性が静かに口を開いた。

「なにか、気になることでもあるのですか?」

ぎくりと、全身に緊張が走る。その男性の目はすべてを見透かしているようだった。もしかしたら、これが半天狗から逃れられる最後のチャンスなのかもしれない。ここで洗いざらいすべて吐きだすことができたのなら、私は自由になれるのだろうか。そうなれるのなら言ってしまえばいい。半天狗から解放されることを私は望んでいたはずだ。半天狗がいなくなれば、私はひとりになって、あの家で静かに暮らしていく。

死ぬまでずっと、ひとりさびしく暮らしていくだけ。

「…気になることはなにもありません、急いでいるのでこれで失礼しますね」
「あ、はい!ひきとめてすみません、道を教えてくださりありがとうございました!」

結論がでるよりも先に言葉がでていた。彼らに救われることより、鬼と一緒にいることを選んだのだ。
ほがらかに手を振る男性とは反対に、もうひとりの男性がじっとこちらを見ていたが気づかないふりをした。無心に歩き続け気づけばかなりの距離を歩いていた。背後に鬼狩りの姿がないことを確認し、ようやく立ち止まった私は白い息を吐きだす。

「手はださないで」
「なぜだ、鬼狩りどもは村の人間ではない」
「それでも、手はださないで」
「それは約束が違うのではないか、八重子」
「…お願いだよ積怒」

木々の間から姿を現した積怒は、日陰に身を潜めじっとりと私を睨みつけている。私はどうしたら積怒が手をださないでいてくれるか、ただそれだけを考え続けた。

「鬼狩りどもは儂の敵だ、お前の命令を聞いてやる道理はない」
「命令じゃない、お願いしてるんだよ」
「ならばそれ相応の態度を見せることだ」
「どうすればいいの?」
「こっちにこい」
「…積怒があの人達に手をださないって約束してくれるなら行くよ」
「なに?」

ざわりと肌を突き刺すような風が吹き荒れた。この辺一帯が積怒の怒りに戦慄いている。それでも私は譲る気はなかった。怯みそうになりながらも、なんとか両足を地につけ立っている。

「八重子、自分がいかに馬鹿なことを口にしているか気づいているのか、お前の願いを聞き入れるかわりにこっちにこいと儂は言っているのだぞ」
「だから、積怒があの人達に手をださないって約束してくれるなら行くよ」
「それは今しがた聞いたわ!お前は自分の立場を理解していないのか!!」
「わかってるよ!でも、先に約束してほしいの!」
「くだらん!!いいからこっちにこい!」
「先に約束して!」
「いい加減にしろ!!」

爆発した怒りは叫びとなって冬の空に響きわたる。積怒のかつてないほどの怒りにふれ、少しだけ後悔したがすべて後の祭りだった。もし今が夜だったなら、私は確実に喰い殺されていただろう。こんなに強気でいられたのも太陽のある時間だったからだ。
全身から力が抜け両膝が雪に埋もれる。そのままうずくまるように丸まり、必死に言葉をつむいだ。

「お、お願い、積怒、約束してください、お願いします…」

私の体温と息で雪がとけていく。永遠とも感じるほど長い沈黙が続いた。その間、私は一度も顔を上げることができなかった。忘れかけていた、人ではない鬼の恐ろしさ。あまりに気安い態度をとるものだから錯覚してしまっていた。彼らは人を喰らう鬼。人間の敵。鬼狩りに倒されるべき存在なのだ。

「…わかった」

ひどく弱々しい声が私の鼓膜を震わせた。恐怖に塗り固められた私の思考がぴたりと止まる。ゆっくり顔を上げると、木々の間で俯いている積怒の姿が見えた。

「八重子、お前の言う通りにしてやろう」
「…本当?あの人達に手はださない?」
「ああ」
「約束してくれる?」
「ああ」

積怒の声はひたすらに弱々しかった。さっきまでの怒りがかき消されたようになくなっている。立ち上がり一歩、また一歩と積怒に近づくと彼の表情がよく見えてくる。近づく私を一心に見つめる積怒は、なぜかとてもさびしそうだった。あと一歩で日陰に入るというところで一度立ち止まったが、意を決して日陰の中に踏みこんだ。積怒の目の前まで近づき顔を上げる。薄暗い森の中、積怒はただ静かに私を見つめていた。

「ありがとう積怒」
「……」
「積怒?」
「お前に、これを」

差しだされたそれは見たこともない美しい花だった。
まさか、空喜が言っていたことを真に受けたのだろうか。そっと受け取ると積怒はばつが悪そうに顔をしかめて視線をそらす。照れているのかもしれない。そう思ったらどうしようもなく胸が高鳴った。たまらず花を潰さないように優しく抱きしめる。積怒が私のことを気にしていてくれたことが素直に嬉しい。

「気に入ったか、八重子」
「うん、ありがとう積怒、こんなきれいな花どこでみつけたの?」
「お前には到底見つけられぬ場所だ」
「秘密ってこと?でも、ふふっ」
「なにを笑っている」
「積怒が、空喜の言っていたことを気にしてたんだなって思って」

積怒は口を閉ざすと優しく私の頬にふれてきた。指先を頬の上で遊ばせ、そのまま流れるように手を背中に回すとそっと私を抱き寄せる。積怒がここまで私に近づきふれるのは初めてのことだった。私を傷つけないように気をつけてくれているのか、背中にもほとんどふれていない。そんな積怒のぎこちなさが私を甘く溶かしていく。私は積怒の胸に身を寄せ、ゆっくりと目を閉じた。

忘れかけていた、人ではない鬼の恐ろしさ。

鬼は人間の敵。鬼狩りに倒されるべき存在。そんな恐ろしい鬼の内面がこんなにも繊細だということを誰が信じるだろうか。恐ろしくも離れがたい、不思議な存在。それが私にとっての鬼だった。
その考えこそが、鬼に心を奪われているということに私はまだ気づけずにいた。

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