01
喜怒哀楽によく似たその鬼の名は、憎珀天というらしい。
憎珀天は喜怒哀楽がひとつに混ざった姿だという。その割には私と変わらないほどの背丈で、顔は相当恐ろしいがどこか幼さも兼ね備えている。
そんな少年のような鬼が、あの喜怒哀楽のすべてだと言われてもすぐに信じることはできなかった。
「私も気づいたらここにいたの、足を滑らせて落ちたまでは覚えてるんだけどそのあとがどうしても思いだせない」
「……」
「ここってほんとになにもないんだよ、ねえ、ここはどこだと思う?」
「……」
「……私、死んじゃったのかな」
ぽつりと呟いた言葉にも憎珀天は反応しなかった。ただ機嫌が悪そうに足元ばかりを見ている。
本当にこの少年のような鬼の中に喜怒哀楽が存在しているのだろうか。意味のわからないこの空間に来てからずっと半天狗に会いたいと願っていたのに、やっと会えたと思ったら私の知らない姿をした鬼になってしまっているし。おまけに半天狗の本体は行方不明だという。脱力したようにうなだれると、すぐさま憎珀天が睨みつけてきた。あ、今のは積怒によく似てる。
「憎珀天、本体がいないと不安だよね?」
「……」
「私も、自分が死んだのかまだわからないけどお母さんとお父さんを探してみようと思う、この世界にいるかもしれないし、だから一緒に探さない?半天狗の本体と私の両親」
私の提案に憎珀天は尚も答えなかった。ただじっと私を睨むように見つめてくるばかりで、会話をしようとする気配すら感じられない。
やっぱり喜怒哀楽が混ざっているというのは嘘なんじゃないだろうか。こんなにも無口な分裂体なんていなかったはずだ。見た目は少年で目線もほとんど変わらないから話しやすさはあるのだが、相手が口を開かなければ会話などできるはずもない。
私はお手上げとばかりに肩をすくめると、とりあえず歩こうと憎珀天に背を向け足を一歩前に踏みだした。
「……八重子」
小さく呟かれたその言葉に、私の全神経が支配された。
その声はたしかに、私の名前を呼んでくれる彼らのものだった。
一気にあふれだす喜怒哀楽との思い出に胸が熱くなる。ゆっくりと振り返った先に見えた憎珀天の姿は、ひとり取り残された、ただの少年の無防備な姿だった。たまらず両手を広げ憎珀天を包みこむように抱きしめる。冷たい憎珀天の体に私の熱が伝わるように、ぎゅうっと抱きしめた。
「私を探してくれてありがとう」
「……」
「ずっと、ずっと探してくれてたんだよね、勝手にいなくなってごめんね、ずっと会えなくて、ごめんね」
「八重子……」
少年にしてはたくましい憎珀天の両腕が私の背にふれた。それがあんまりにも優しいものだったから、私は泣きそうになるのを耐えるのに必死だった。
さっきまでの疑いが嘘のように晴れていく。憎珀天はまぎれもなく彼らだ。空喜であり、積怒であり、哀絶であり、可楽なんだ。こんなにも私を幸せな気持ちにしてくれる腕の中は、彼ら以外ありえないのだから。
「ずっと一緒にいてね、憎珀天」