10

どんっと背中に強い衝撃が走った。
突然のことに腕で守ることも間に合わず、顔面から勢いよく雪の上に倒れこむ。覚悟していた衝撃に襲われることはなく、降り積もった雪がやわらかく受け止めてくれたおかげで怪我もしていない。今が夏でここが硬い地面だったなら、きっと私の顔はひどく打ちつけられていただろう。これほど雪の存在に感謝したことはない。心の底から安堵する。雪が積もっていてよかった。

くすくすと背後から笑い声が聞こえ振り返ると、雪に倒れこむ私を見て笑う女の子たちがいた。以前、彼のことで文句を言いに来たあの子たちだ。
黙って立ち上がろうとすると再度背中を押され雪の上に倒れこむ。苛立ちを隠さずに振り返ると、ひとりの女の子がにやりと口角を上げた。

「八重子、あんたもやるもんねえ、ただの地味女がすごいじゃない」
「…なんのこと?」
「あんたがそんなに男好きだとは思わなかったわ」
「なに言ってるの」
「最近さあ、あんたの家からよく男の声が聞こえてくんのよね」

一瞬にして頭の中に分裂体の彼らの姿が浮かんだ。みんなが寝静まる夜とは違い、昼はみんな外に出ている。最近は、昼の時間帯にもくるようになったから声が聞こえてしまっていたのだろう。
焦りから言葉をなくす私を見下ろす女の子たちは、まるで新しい玩具でも見つけたように、にやにやと楽しそうに笑みを浮かべていた。

「そんなに焦るってことはほんとみたいね、すごいじゃない八重子、一体どこでそんな男みつけてきたのよ」
「ねえ、彼を振ったのもほかに男がいたからなんでしょ?」
「なんとか言ったらどうなのよ」
「なにしてんだお前ら!!」

辺りに響いた怒鳴り声に驚き女の子たちの後ろを見ると、そこには彼の姿があった。久しぶりに見た彼の顔は怒りで眉が吊り上がっている。女の子たちはすぐさま彼に近づくと、私を指差し高い声を上げた。

「やっぱり男を連れ込んでるのは本当みたいよ!否定しなかったもん!」
「そんなわけないだろ!適当なこと言うなよ!」
「適当なこと言ってるのはどっちよ!私と一緒に八重子の家から男の声がするのを聞いたくせに!」
「そ、れは、」

口をつぐんだ彼の視線が私に突き刺さる。それは疑いの眼差しだった。彼にも聞かれていたなんて。それならもう、ここで隠すための嘘をついたところで私の疑いは晴れないだろう。本当のことを言ったって結果は同じに違いない。彼はきっと、私を信じない。そう確信できるほど、彼が私に向ける目は以前とまったく変わってしまっていた。
彼の視線から顔をそらした私は静かに立ち上がり、自分の家に向かって歩きだす。彼の戸惑うような気配を感じたが、私は振り返らなかった。

「だから!八重子は牡丹色が一番似合うとさっきから言っているだろうが!!」
「空喜、お前はなにもわかっていない、八重子には紫だと決まっている」
「カカカッ、それはお前が勝手に決めたことではないか哀絶、揃いも揃って馬鹿ばかりじゃ!八重子には朱色が一番だと決まっておるのにのう!」
「腹立たしい、馬鹿はお前だということがわからんのか可楽、朱色などなにを考えればでてくるのか、八重子には黒以外ありえん」
「黒だと!?一番ありえんのはお前だ積怒!八重子には牡丹色じゃ!牡丹色以外認めんぞ!!」
「…やかましいやつめ、もう少し静かに話せんのか」

家に帰ると待っていたのはいつも以上の騒がしさだった。今日は珍しく分裂体が全員来ているらしい。それでこの騒がしさなのかと納得したが、これがひとりふたり減ったところであまり変わらないのではないかと思い直した。
村の女の子たちに噂されるまで、私が気づかなかっただけだ。結局のところ、半天狗たちといることに慣れてしまった私の配慮が足りなかった結果なのだ。

私が帰ってきたことに気づいた空喜は目を輝かせると、すぐに大きな翼を羽ばたかせ飛びついてきた。

「やっと帰ってきたか八重子!話が通じん馬鹿ばかりで困っていたところじゃ、八重子は何色がいい?牡丹色がいいだろう?」
「牡丹色は嫌いじゃないけど、どうして?」
「決まっておろう、八重子に贈る着物の色じゃ」
「そんな、別にいいのに」
「…どうした?元気がないように見えるが」

私の顔を覗きこんでくる空喜の無邪気さに荒立った心が少しだけ穏やかになる。
彼らに昼にくるのはやめてほしいと、一言そう言えばいいのかもしれない。きっと彼らは私の願いを聞き入れてくれるだろう。そして時が経てばいつかは変な噂も消えるはず。

「…なんでもないよ、ちょっと疲れただけ」

空喜の短い前髪を軽く撫でて私はその部屋を後にした。自分の部屋に向かいながら深いため息を吐く。
村の人にどれだけ変な噂をされようが、半天狗たちがこなくなってしまうほうがいやだと思ってしまった。昼も夜も彼らがいてくれて、帰ればいつでも出迎えてくれる。それだけでひとりきりだった家の中があたたかくなるのだから、いまさらこれを手放すことなどできるはずがない。以前、哀絶が私に救われたと言っていたが、私のほうが彼らに救われているに違いなかった。

そう思うと私は少しだけ笑った。





「寝ながら泣くとは、器用なやつじゃのう」

可楽の長い指が八重子のやわらかい頬を撫で上げる。自室の掃除をしていたらしい八重子は疲れたのかぐっすりと眠っていた。寒さから身を守るように小さくなって眠っている八重子に哀絶が掛け布団をそっと被せてやると、眉間にしわを寄せ苦しそうに眠っていた八重子の表情がいくらかやわらいでいく。
八重子の頬に伝う涙のあとを辿っていた可楽は少し思案したのち、静かに口を開いた。

「…なにかあったな」
「だろうな、でなければ泣いたりしない、なにがあったかはわからんが」

八重子のそばに腰を下ろした哀絶に続き、空喜と積怒も八重子のそばへ座りこむ。
かすかに目を細めた積怒は、湧き上がる怒りをこらえるように小さく呟いた。

「原因など八重子に聞かずとも予測はつく、ばれぬうちに排除すればいいだけのことだ」
「まあ村人が原因だろうな、しかし排除はどうする?村人に手出しはできんだろう」
「八重子との約束は破りたくない、約束を破ったら八重子はもっと哀しむだろう」
「それならば約束を破らずに罰を与えるまで、儂のものを傷つけた罪を思い知らせてやらねば」

八重子の瞼に可楽の唇がふれる。にやりと彼らの口が弧を描いた。

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