幼獣


「今のおもしろかった?」
「うん」
「ふーん」

びゅーんと彼は一目散に飛んで行ってしまった。きっと目的地は校庭だろう。
窓から眺めると飛び出していったときと同じく飛行機のように両手を広げた彼が到着していた。何事もなかったかのように友達に交じってサッカーをしているけど、その顔は真っ赤な上に笑顔満載。彼は大変ご満悦らしい。
私の一言でこんなによろこんでくれる。小学生の遠野くんは素直でとてもかわいい子供だった。
遠野くんが何かふざけたことをして私がそれで笑ったとき、すぐに遠野くんは確認する。今のおもしろかったか?私は決まってうんと言う。それを聞くと遠野くんはうれしそうにびゅーんと飛んでいってしまう。彼のあとを追うことはしない。私も彼も照れてそれ以上の行動ができなかった。私は静かに遠野くんを想う。
遠野くんも私のことが好きなのかもしれない。
そう考えるだけでどきどきが止まらなかった、小学生時代。

中学生になった遠野くんは少しだけ変わった。クラスが一度も一緒にならなかったこともあるけど、学年が上がるにつれて遠野くんとは話さなくなった。さびしいけどしかたない。
私は遠くから友達とふざけあっている遠野くんを見つめる。そうしてると決まって遠野くんはすぐに私に顔を向けてくれた。そして声ではなく目で問う。
今のおもしろかったか?
私も決まって小さく笑って目で答える。びゅーんと、彼はもう飛んでいくことはしなくなったけど、真っ赤な顔で恥ずかしそうによろこぶ姿はそのままだった。
よかった、話さなくなったけど彼はなにも変わってない。素直でかわいい小学生の頃と同じ遠野くんだ。
高校生になったら同じ学校で、同じクラスになれたらいいな。そうしたらまた話せるようになるだろう。
そんな輝く未来を願ってやまない、中学生時代。

そして私と遠野くんは高校生になった。願った通り、同じ学校でまさかの三年連続同じクラスになった。三年間ずっと遠野くんと同じクラス。中学時代一度も同じクラスにならなかった私にとってこれ以上ないよろこびだった。そのはずだったのに。
遠野くんは変わってしまっていた。
すらりと高い身長、長く伸ばされた黒髪、鋭く吊り上がった目つきは常に周りを威嚇している。他人を攻撃する悪ふざけばかりして、バカにしたような聞きたくない高笑いを教室中に響かせる。
素直でかわいい遠野くんは攻撃的な人になっていた。
まるで獣のようだ、あの頃の遠野くんが。どうしてこんなに変わってしまったんだろう。

高校三年生になった私と遠野くんは、同じクラスにいる赤の他人同士になっていた。
小学生のまま変わらなかった私と、獣のように変わってしまった遠野くん。当然話せるはずがない。中学の頃、あんなに合っていた目も一切合わなくなっていた。私が遠野くんに目を向けなくなったから。
変わってしまった今の遠野くんを見たくなくて、高校に入ってからは自然に視界に入ることはあっても一度も自分から遠野くんに目を向けたことはない。だからたとえ遠野くんが私を見ていたとしても気づかない。いや、きっと彼も私を見ていない。高校三年間同じクラスなのに彼は私に一度も話しかけてこなかった。だから私も話しかけない。なによりこわい、今の変わってしまった遠野くんが。
静かな想いが消えていく。たぶん高校を卒業したら完全にこの想いは消えるだろう。
それでいい、それでいいのに。

「ねえねえ、遠野くんのうわさきいた?」
「うわさ?」
「なんか好きな子がいるみたい、ずっと好きみたいよ、だから彼女つくらなかったんだね遠野くん」

高校三年生が半分終わった頃、友達から遠野くんのうわさを聞いた。そのときにはすでに私の想いは枯れる寸前で、その話も右から左の耳へと流れて消えた。
そうなんだ、へえ。それだけ。今のこわい遠野くんに興味はない。昔の、あの頃の遠野くんがいい。あの頃の遠野くんに戻って、お願いします。なんて、到底無理なことを願ってしまう。私もそろそろ変わらないといけない。
静かな想いが音もなく、無様にしぼんでいく気がした。


「……おい」
「…えっ、わ、私…?」
「お前以外に誰がいんだよ」
「な、なに?」
「お前、俺のうわさ知ってる?」
「……えっ…」
「そういうことだから」
「え?」
「だから、好きだって言ってんだよ、お前がっ!」

放課後、誰もいない廊下で突然後ろから声をかけられたと思ったら、そのまま告白されてしまった。あの遠野くんに。
突然のことにぽかんとする私を睨みつける彼の口調は荒い。いらついている。こわい。
こんなに彼を近くに感じたのは本当にひさしぶりだ。近づくと彼の背の高さにあらためて圧倒される。私の目線が彼の胸あたりだから、顔を上げないと彼と目が合わない。ちらりと顔を上げるとすぐにずっと上から私を見下している彼の吊り上がった目が見えて、すぐに顔を伏せる。
目線の先は彼の手元。彼の手には表紙に処刑と書かれたおそろしい本があった。
こんな本を読むようになってたんだ。さびしい。今更な感情が私を支配した。

「おい、返事は?」
「……私も…」
「あ?」
「私も、好きだった」
「…だった…?」
「うん」
「なんで過去形なんだよ」
「私、小学生の頃の遠野くんが好きだった」

処刑と書かれた本から顔を上げて遠野くんを見ると、遠野くんはわからないというように、不思議そうに私を上から見つめていた。
この顔は少しだけあの頃と似てる。そんなむなしい懐かしさを背負い、私はうなだれながらその場を去った。

家に帰ってから寝るまでずっと、頭の中は遠野くんだらけだった。
遠野くんがそういうことだって言ってたから、あのうわさは本当なんだろう。じゃあずっと私を好きだったってこと?もしかしたら私と同じ小学生のときから。だとしたら遠野くん自身は変わってしまったけど、想いだけはずっと変わっていなかったってことなのか。
それが本当だとしたら、私とは逆だ。
私自身は変わらなかったけど、私の想いはすでに小学生の頃とは違う。今の私は遠野くんに恋をしていない。今日、口にしたことではっきりした。遠野くんのことが好きだったと言ったらとても安心した。きっと満足したんだと思う。小学生からの想いが静かに消えていく前に、ちゃんと伝えることができたから。
満足して今の私は変わりつつある。あの頃の遠野くんは過去のもの。さびしがることなんてない。
これでやっと、私の想いは消えていける。


翌日、すがすがしい気分で家から出て学校に向かっている途中で、むずかしい顔をしている遠野くんと出くわした。登校で一緒になることが一度もなかったから驚いたが、どうやら彼は私を待っていたらしい。眉間にしわを寄せて何やら考え事をしている。
どうしよう、早く学校行きたいんだけどな。
目の前に立ちふさがったままだった遠野くんは、目を細めて私を見下ろす。私はさながら肉食獣に睨まれた草食動物のように体を小さくした。

「…やっぱ、わかんねーんだけど」
「……なにが?」
「なんで過去形なんだよ、好きなら好きでいいだろ、お前俺のこと好きじゃん」
「…いや、好きじゃないよ」
「は?昨日好きだって言っただろ!」
「だから、それは過去のことで…」
「それ、小学生の頃の俺が好きだったってやつ、なんで小学生限定なんだよわけわかんねえ、俺は俺だろ」
「…別人だよ」
「はあ?変わってねえだろ!」
「全然ちがう、変わったよ!」
「変わってねえ!!」
「変わった!!」
「はああっ?んだお前、久々に話したらぜんっぜん可愛くねえっ!」

それはお互い様だ。こっちだって久々に話してあらためて嫌いになってるよ。私のことお前お前って。
もういやだ話したくない。せっかくすがすがしい朝だったのに、遠野くんのせいで全部台無しだ。もう強行突破しよう。
気合いをいれて遠野くんの横を通り過ぎようとしたら、すかさず遠野くんが目の前に移動してきて道を塞いだ。
なんなんだ一体、もう話は終わりでいいじゃん。

「おい、勝手に逃げようとすんじゃねえ」
「もう、なに、なんなの」
「だからお前の言ってる意味がわかんねえんだよ、説明しろ!」
「今の遠野くんは好きじゃないってことだよ!」
「は…いやだから、俺は俺で…」
「遠野くんは変わったんだって、自分じゃわかんないかもしれないけど変わったの!私は、小学生の頃の遠野くんがいい…」

私の言葉に遠野くんの口は閉じ、辺りは一気に静まり返る。早く学校に行かないと遅刻になる。頭の片隅でそんなことを考えながら、私はじっと顔を伏せて遠野くんの靴を見つめていた。さっきまでうるさかった彼は奇妙なほどに静かだ。
なんでいきなり黙ったんだろう、私言い過ぎた?どうしよう、こわい。謝るべき?なんて言う?わからない、どうしよう。
いつまでも続く沈黙に耐えられず遠野くんの顔を見ないように、逃げるようにその場を去ろうとした瞬間、私の手が遠野くんの大きな手に包まれた。その感触に驚いて顔を上げ、見えた遠野くんの表情に言葉を失う。

「…小学生の頃の俺って、どんなだった?」
「……」
「俺は変わったとは思わねえからわかんねえよ、やっとで言えたっつーのに、これで終わりとか、いやだし…」
「……」
「なあ、小学生の頃の俺ってどんなだったんだよ」

私の手を握りながらさびしそうに私を見つめる、この目の前の彼は、本当にあの遠野くん?
ぎらぎらと周りを威嚇していた鋭い眼光は、もはや悲しさに濡りつぶされている。私の倍はある大きな体は小さくうなだれて、この遠野くんは今の遠野くんと同一人物とは到底思えないほどだった。
あんなにこわかった獣が、今はかわいい子犬に見える。あの頃の遠野くんに見える。
ふと、自然に口元に笑みが浮かんだ。それを見た遠野くんはすかさず問う。

「今のおもしろかったか?」

そこには私が静かに想い続けた遠野くんがいた。
まぎれもなく、目の前にいる彼はあの頃の素直なかわいい彼だ。
彼は、変わってしまったようで本当は変わっていなかったのかもしれない。遠野くんは遠野くん。あの頃からずっと変わらず、彼は彼のままだった。
私の手を包む遠野くんの大きな手をゆっくりと握り返す。遠野くんは私と同じく顔を真っ赤にさせて、ぎゅっと私の手を包みこんでくれた。

さびしい気持ちが溶けだして歓喜が生まれる。
枯れかけていた静かな想いが音もなく再生し始めた。

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