「こんなところで一体何をしているんだ」
「…え、」
「よい子はとっくに睡眠中の時間だぞ、ああ、こんな夜更けに屯所を抜け出している時点で君はよい子ではないな」
「え、え?えええ!?」

まさか、まさかまさかまさかそんなバカな!聞き覚えのある声と私の目の前に立つその姿はまさしく伊東鴨太郎、本人?うそだ、だってこの人はつい先日、亡くなっているのだから。

伊東さんが亡くなってからなんだかやる気が起きなくて、毎日がただただ無意味に過ぎ去っていった。おかしいな、伊東さんとは一度もまともに会話したことなんてなかったのに。もともと下っ端の私と伊東さんとじゃ接点なんて真選組という同じ職場なとこだけで、あとは、ない。まるで皆無だ。会えば業務的な挨拶をし頭を下げ遠くからその姿を見ている、ただの上司と部下の関係。伊東さんが真選組を裏切ったときも副長に斬り捨てられたときも私は何もしなかった。ただ命令されたままに行動し、伊東さんが副長に斬られる場面を遠くから静かに傍観していた。
それなのにどうしてだろう。こんなにもやる気が起きないのは。まるで心の中にぽっかりと穴が開いてしまったみたいだ。仕事をしていても友達と話していても私の意識は空中をふよふよ。すべてのことに興味がない、私は何を見ても何をしても何も感じなくなってしまった。一体どうして。抜け殻のようになってしまった私に隊士のみんなが心配そうに声をかけてきてくれたけど、私自身なにが原因なのかわからないのだからどうしようもない。そのせいでここ最近は仕事でミス連発で本当に困ったものだ。

原因はわからないけどとにかく、伊東さんが亡くなってから私がおかしくなった。今日はなかなか寝付けなくて布団の中でぼーっとしててとりあえず散歩でもしようかと外に出て歩いてたら見覚えの無い原っぱにいてのんきにここどこだろうなんて思いながら夜空を見上げたら、きれいな星が、星が。そして耳に届く、あの人の声。振り返ると、亡くなったはずの伊東鴨太郎がぼんやりと立っていた。

「いやあ、今夜は星が多いな」
「い、とう、さん」
「なんだ」
「ほ、ほんとうに、伊東さん?」
「正真正銘、伊東鴨太郎だよ」
「ほ、ほんとに?」
「しつこいな、何度も同じことを言わせるな」
「うそ!だってだって、もっもしかして、生きてたん、ですか?」
「いや、死んでるよ」
「でも、いま目の前に」
「忘れたのか?君も見ていたんだろう?僕の最期を」
「でも今、私の目の前に、いますよ」
「…そこまで信じられないのならふれてみたらどうだ」
「え、」

私の動揺をよそに、伊東さんはゆっくりと右手を私に差し出してきた。その右手は空気のように生気がなくほとんど透明で、私はたじろぎ一歩後ずさる。いつまでもふれようとしない私に伊東さんは深いため息をひとつ。だっていやだ。それにふれたら最後、なにかが終わってなにかが始まる気がする。そんなのはいやだ、絶対に。だって目の前には伊東さんがいるのに。せっかくふたりきりなのに。私だけを、見つめてくれているのに。
あれ、おかしい。私なに考えてるんだろう。だってこれじゃあ私が伊東さんのことを、いやちがう。伊東さんは上司で私は部下で下っ端で、なんにも接点なんてなくて、伊東さんは私のことなんて絶対知らなくて、私が、どんなに見つめていたって、気づかない。あれ、なにこれ。おかしい、私ほんとにおかしいよ。誰かにぎゅっと握り締められてるみたいに心臓が痛くて痛くて苦しい。どうしようもなく切なくて、たまらず両手に力を込めた。

「…まったく呆れるね、元気だけが取り柄の君がそれさえも無くしたらもう救いようもないぞ、その間抜け面、仕事中くらいはどうにかしろ」
「え、」
「それから、最近土方に目をつけられてるじゃないか、奴はなにかと面倒だ、早いうちに態度を改めたほうがいいぞ、僕だって気が気じゃなくていつまで経っても成仏できやしない」
「伊東さん、もしかして」
「ああ、ずっと君のそばにいたよ」

言いながらふいっと顔を背ける伊東さん。よくよく見ると半透明な彼の頬が少し赤く染まっていた。大体、君は僕がいた頃から、ぐちぐち顔を背けたまま呟き始めた伊東さんの声に仕草にますます心臓がぎゅっと痛みだす。いたい、苦しい。伊東さん、伊東さん伊東さん。

「伊東さん、私のこと、知っていましたか」

たまらず出た言葉は情けなくも震えていてなんともよわよわしい。伊東さんが、私を見る。そして数歩、私に近づいて。少し手を伸ばせばお互い触れられる距離になった。もう本当に視界は伊東さんでいっぱい。見上げた先には私を見つめる優しい瞳。満天の星空の下、あなたとふたりきり。なんてあたたかい、なんていとしい。

「…知っていたよ」
「本当ですか?私、伊東さんと全然話してなかったのに」
「でも君の存在は知っていた」
「私、私がいつも、あなたを見ていたことは?」
「それも知ってる、僕だっていつも、君を見ていたからね」
「私は、気づきませんでした」
「だろうね、気づかれないようにしていたからな」
「伊東さん、ずっと、私のそばにいてください」
「だめだ」
「どうして」
「僕は死んでる」
「生きてます」
「いいや、僕は死んだ」
「でも、」
「聞くんだ」

僕は死んだんだよ。
伊東さんの静かな声がゆっくりゆっくりと、心に染みる。ぽっかりと開いていた穴が塞がり、抜け殻の体に血が巡りだした。そうだ、本当は理解してたんだ。私はずっと、現実から目を背けて受け入れようとはしてなかった。
さっきのように伊東さんが右手の手のひらを私にかざす。さあ、終わりにしよう。本当はもう少しこのままでいたい。だってやっと自分の気持ちがわかったのに、やっと伊東さんが私を見てくれたのに。躊躇する私に伊東さんが小さく頷く。わかってます、それじゃあだめなんですよね。ここで終わり、そして始まる。伊東さんの手のひらに同じく私の手のひらを。それは透き通る伊東さんの手のひらにふれることなく浮遊する。ああ、本当に伊東さんはいないんだ。こんなにこんなにふれたいのに。ぽろり、涙があふれた。

「いいかい、仕事は真面目にこなすんだ、ほかのみんなにも無駄な心配をかけさせるんじゃない、上司の言うことはきいて、ああ、土方の言うことだけはきかなくていい、わかったな?」
「ふふ、はい」
「もう大丈夫だろう?」
「はい、…伊東さん」
「なんだ」
「もっと早くに、もっとたくさん、あなたと話したかった」
「…そうだな、でもきっと、僕が生きていたらこんな風に君と話すことはなかっただろう」
「そんな、こと」
「そうだよ、君も僕も気づくことなく一生を過ごして終わっていただろうね、現に僕は死んでから自分の気持ちに気づいた、君だってそうだろう」
「は、い」
「そう考えると死んで得している部分もあるな、最期に君と話すことができたんだから」
「私も、最期に伊東さんと話しができて嬉しかったです」
「今日からはぐっすり眠れそうか?」
「はい」
「それはよかった」
「…さよなら、伊東さん」
「さよなら」

おやすみ、どうかいい夢を。

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