臆するな、前へ


「てめーら全員、俺が粛清する」

列車内に一際大きく響く沖田隊長の声。目も表情も声も雰囲気も、すべてが肌を突き破るような殺気を放っている。沖田隊長は本気だ。伊東派についた隊士達の一番最後尾にいる私にでさえそれが痛いほどひしひしと伝わり、無意識に額に冷や汗が滲んだ。耳を澄ますと聞こえるのは私と同じく裏切りをした隊士達の荒い息遣い。皆刀を握りしめ目の前にひとり佇む沖田隊長だけを穴が開くほど見つめているんだ。そうか。こいつらも私と同じ気持ち。沖田隊長に恐怖を感じている。頬を伝って流れる汗をそのままに恐る恐る沖田隊長へ視線を向けた。
沖田隊長がここに来てから、隊長は一度も私と目を合わせていない。

「奴を粛清しろ」

言いながら伊東先生は局長を追うため列車から降りて行く。これでこの列車の中には裏切りをした隊士達と沖田隊長だけ。私の前にいる隊士達の息遣いが一層荒いものになり、一歩隊長に向かって足を踏み出した。見ると歯を食いしばる隊士達の顔からは私同様汗が滲み出ていて、刀を持つ手はかすかに震えている。そうだ、刀。こんな状況にも関わらず私の手の中は空っぽでなぜか刀は鞘に収まったまま。どくどくと血液が体中を巡る音ばかりがひどく耳に響き、隊士達とは逆に私は隊長から一歩後ずさる。鞘から刀を抜くことはできなかった。

「真選組一番隊隊長として、てめえらに最後の教えを授けてやらァ」

緊迫した列車内で冷静に怒りを発しているのは最早沖田隊長しかいない。私を含め裏切りをした隊士達は焦りと不安を露わにしてしまっている。沖田隊長、さすがです。さすが私の最も尊敬する御方。隊士達から一歩後ずさった私の耳に聞こえてきたのは、いつの日か沖田隊長が一番隊の隊員に説いて下さったあの御言葉だった。
圧倒的に力の差がある敵を前にしたとき、その実力差を覆すには数に頼るのが一番だ。
呼吸を合わせろ。心体ともに気を練り最も充実した瞬間、同時に一斉に斬りかかれ。そして。

言い終わるより先に私の前にいた隊士達が勢いよく目の前の沖田隊長に斬りかかって行った。動け。そう何度命じても私の足は動こうとしない。隊長、沖田隊長。情けなくもその場から動けず、祈るように襲いかかっていく隊士達の間から隊長の姿を見つめた。隊士達の刀が隊長に触れそうになった瞬間、初めて隊長は自身の刀に手を添える。同時に私の息も止まった。
斬りかかってきた隊士達に目を追うこともできないほどの速さで刀を向ける沖田隊長は一瞬、ほんのわずか。確かに私に目を向けた。それはいつも向けて下さるどこか優しい眼差しではなく、冷たく裏切り者を見る眼差し。

次々と隊士達が隊長の手によって斬り払われて行く中、私は静かに悟った。私は、私は本当に彼を。沖田隊長を裏切ってしまったのだと。女の身でありながら一番隊として周りから非難の声を浴びせられながらも、それでも必死に沖田隊長についていく私を隊長はいつも素っ気なく気遣ってくれた。それは本当に不器用で遠まわしで、嫌がらせのようにも取れてしまうその気遣いはしかしとても温かく。周りの非難の目からいつだってさり気なく私を護って下さった沖田隊長。
どさり。重苦しい音が聞こえ俯けていた顔を上げると、そこにはさっきまでいたはずの隊士達の姿は見当たらず。あるのは隊士だったはずの屍の残骸だけ。まっすぐ前を見つめれば体中に血を浴びた沖田隊長が血塗れの刀を手にじっと私を見つめていた。残った裏切り者は私ただひとり。沖田隊長。私は本当にこの方を裏切ってしまったんだ。例えそれが伊東先生の計算だったとしても結果的に私が裏切ったことに変わりはない。気がつくと私の手足は静かに震えていた。

「何してんだてめえ」

がたがたと古びた音をたて揺れる列車。数々の屍が投げ出されている列車内で、沖田隊長の声は恐ろしく低く私の心臓を鷲掴みにした。震える。もう手足どころじゃない、体中が。怖い。沖田隊長がこわい。今にもその場に崩れ落ちてしまいそうになりながらも必死になって私は立ち続けた。冷や汗が頬を伝う。どこか迷いがこもった視線を隊長に向ければ、隊長はそれを遮断するかのようにひどく冷たい目で私を睨んでくる。隊長のこんな目を見るのは初めてだ。なぜか、無償に泣きたくなった。

「こいつらと一緒になぜ斬りかかってこねえ、敵が目の前にいるってのになぜ刀を抜かねえ」
「沖田、隊長」
「敵を前にし、なぜ後ずさる」
「たい、ちょう、私」

一歩、また一歩と私に向かって歩み寄る隊長とは反対に、私は一歩一歩後ずさる。見たこともない隊長の怒りを露わにした姿に、もうどうしていいかわからなかった。弁解、謝罪、責任、切腹。こんな単語ばかりが頭の中をぐるぐると回りどうすれば沖田隊長に許してもらえるのかそればかり。隊長の口から敵という言葉が出るたび私は違うというように何度も頭を左右に振った。違う。違うんです沖田隊長。私は。
視界が滲んでよく見えない。声の出し方を忘れてしまった。混乱する私の頭は、ぴたりと歩みを止めた沖田隊長の叫びで一時停止を余儀なくされる。

「ふざけてんじゃねえぞ!てめえで決めた道最後までしっかり責任持て!!」

容赦なく突き刺さる、沖田隊長の言葉。私を睨みつける隊長の目は一層冷たいものへと変わっていた。痛い。隊長の言葉が、声が。痛い、いたい。後ずさり続けていた私の足はいつの間にか止まっていた。

「抜け」

薄暗い列車の中、そう冷たく言い放った隊長は同時に自身の血塗れの刀を私に向けて掲げる。斬る。沖田隊長の目が本気でそう言っていると私に訴えかけてきて。私はそっと、自分の刀に手を添えそれをゆっくりと鞘から抜いていく。ぽたり。どこから降ってきたのか、刀を抜く私の手の甲にひとつの水滴が落ちた。ひとつふたつみっつ。それは止まることもせずどんどん手の甲に落ちていく。しょっぱい水滴。あんなに耐えてたのにこれじゃあ意味がない。何してんだろ私。

鞘から完全に刀を抜いた私は、それでも腕に力を入れず刀の刃は床についたまま。ただ刀を引きずって持っている状態。そんな私を見る沖田隊長の目が細められたことに気付きながらも、私は刀を隊長に向ける気はさらさらなかった。こればかりはいくら隊長に命令されても絶対にしません。あなたに刀を向けるくらいなら私は死を選ぶ。何より、あなたに殺されるなら本望だ。
目を閉じ死を受け入れた瞬間、腹部に痛烈な痛みが襲い私は意識を失う。すぐに意識を失いその場に倒れこんだ私には気付けなかった。倒れる私をその優しい腕で抱きとめ、小さくバカ女と呟いた隊長の言葉を。

「謹慎処分?」

次に目を開けたとき見えたのはよく見知った天井だった。状況が掴めず辺りを見渡すとそこは明らかに私自身の部屋。なぜか布団に寝ていてなぜかお腹を手当てされているのも紛れもない私自身。おかしい。確かに私はあの方に、沖田隊長に。
混乱する私の部屋に突然訪れてきたのは近藤局長。私が上半身だけを起き上がらせきょろきょろと辺りを見渡してる姿を見ると、やっと起きたかと嬉しそうに笑みを浮かべた。それは私が裏切りをする前となんら変わらない、いつもの優しい表情。なんで。

「ああ、当分お前は謹慎だ、その間にゆっくり体休めて早く元気になれよ、謹慎がとけたらお前はまた一番隊として働いてもらうからな」
「何を、言ってるんですか」
「ん?」
「私は、真選組を裏切ったんですよ、それなのに、謹慎処分だけなんて、本当、なら切腹じゃ」
「伊東先生が最期のとき全部話してくれたよ、お前のこと」

辛かっただろ。そう言って局長は私の頭を撫でてくれた。局長の柔らかな表情に泣きそうになるのを顔を俯けて必死に我慢した。伊東先生が最期のとき。そうか、伊東先生はもう。それでも、伊東先生から本当のことを聞かされたからと言ってどうしてこの人はすぐに信じてしまうんだろう。嘘だと思わないのだろうか。形としては私が真選組を裏切ったことに変わりはないのに、どうしてこの人は。
この人も沖田隊長と一緒。いつもこんな私を疑うこともせず、まっすぐに信じてくれた。

しばらくの間、安静にしてろよと一言告げ局長は私の部屋を後にする。ひとりになった室内で私は静かに伊東先生と交わした約束を思い出していた。
沖田くんは僕についた。彼が最も信頼する部下として君も僕につかないか。彼は恐ろしく腕がたつが彼を護る存在として君がいてもいいだろう。君も沖田くんひとりを僕と共に行かせるのは何かと心配だろう?僕のことは気にしなくていい。君は沖田くんを護るために僕についてきてくれないか。君が僕についてきてくれると言うのなら、君が沖田くんのそばで彼を護るということを必ず約束しよう。

これは明らかに私を利用するための約束だった。よく考えなくても誰だってわかる。これを伊東先生から直接聞いたときだってすぐにわかった。それでも私はその場で伊東先生につくことを即答し、土方派から伊東派へ。はっきり言えば伊東先生よりも土方さんのほうが何倍も信頼できるし沖田隊長、近藤局長共々私は深い尊敬を持っていた。だからこの話がくるまで私はもっぱら土方派で伊東派につく気はさらさらなく。いろんなところから噂として沖田隊長が伊東派についたと耳にしたが、私は決して信じていなかった。それは今も変わらず。隊長がどんな人なのかは私もよく知っているから。

私が伊東派についたのは、伊東先生を慕っているわけでも土方さんを嫌っているわけでもない。沖田隊長。すべてはこの御方を護るために。真意がわからない隊長は伊東派についていないながらも、途中までは伊東先生と共に行動していたのは事実。ただ、護りたかった。女でしかも剣術もまだまだな私が何を言うのかと言われればそれまでだが、それでも護りたかった。ひとりで伊東先生についていったあの御方を。隊長に刀を向ける敵すべてから。あの伊東先生からも、隊長を護りたかった。隊長が今まで私にしてくれたように、私も。
そのことしか頭になかった私は今更ながらに本当に無能だったと思う。伊東先生の頭の良さを忘れていた私に待っていたのは思いもよらない現実だった。なぜか裏切りをした隊士達と一緒に私がいて、なぜか隊長はひとりで隊士達に刀を向けられていて。違う。こんなんじゃない。私は裏切るために伊東先生についたんじゃない、私は。

「沖田、隊長」

その日は、涙が止まらなかった。

翌日。謹慎処分がまだとけていないながらも少し部屋を出たくて、そっと部屋を後にした。お腹は大分痛みも引いて回復に向かっている。沖田隊長は峰打ちで私を気絶させていた。どこまでも、優しい人。どうしても謝りたくて、どうしても顔が見たくて。誰かに気付かれないように必死に足音をたてずに隊長の部屋へと向かって行く。
あともう少しで隊長の部屋だと足を急がせると、ふいに隊長の声がして慌ててその場に立ち止まる。気づかれないように顔を覗かせると、少し先の廊下で沖田隊長と隊士の人が何か話をしている光景がそこにはあった。私に刀を向け冷たい目をしていた隊長とは一変し、いつも通りの涼しい顔をしている沖田隊長。なぜだかとても久しぶりに隊長を見た気がして、胸の辺りがぎゅっと苦しくなる。

話を終えた隊士が隊長の前から去っていき、隊長がひとりになったことを確認すると覚悟を決めて一歩前に踏み出した。その瞬間、私のほうに振り返った沖田隊長と見事に目が合ってしまった。突然のことに言いたいことも言えずただ立ちすくむ私と、私の姿を見て一瞬目を見開いた沖田隊長。私と隊長の距離は数メートル。言え。言うんだ。今しかない。ぎゅっと拳を握りしめ一歩前に踏み出したと同時に、沖田隊長は私から目を逸らしさっさと歩いて行ってしまった。

わかっていた。本当はもう、あの頃には戻れないって。わかっていて私はあの人の優しさにすがろうと醜いことをしたんだ。本当になんて醜い。私は真選組を、沖田隊長を裏切った。
自室に戻った私の手には今まで一番隊として沖田隊長と一緒に命をかけて戦ってきた愛用の刀がひとつ。鞘からそれを抜き、綺麗な光を放つ刀の刃をじっと見つめた。

ごめんなさい。こんな私を、不器用にも優しく護ってくれたのに。いつもいつだって。私の表情ひとつですぐに私が傷ついてることを察してくれて、遠まわしにそれでも気を遣って私に声をかけてくれた。それが本当に嬉しくて嬉しくて。隊長の前だというのにも関わらず泣いた私に、わざと気付かないふりをしてただそばにいてくれた沖田隊長。
震える両手で刀の柄を掴み、ぐっと刀を自身の腹へ向ける。目を閉じても開いても、沖田隊長の顔がちらついて離れない。自分で決めた道は最後までしっかり責任とれ。あのとき、私に叫んで言った隊長の言葉。沖田隊長。裏切り者の私ですが、あなたの最後の教えはきっちり守ります。

深く深呼吸をし、ゆっくりと目を閉じ刀の刃を自身の腹に突き立てようとした瞬間。勢いよく部屋の襖が開き私の手は止まる。見上げた先には驚くことに沖田隊長の姿が。隊長は私が切腹をしようとしていることに気づくと、怒ったように顔を歪ませ私の手から刀を取りそのまま私を部屋から引っ張り出す。無言のままずんずん歩く沖田隊長に手を引かれ、私は訳もわからず焦っていた。

「たい、ちょう、沖田、隊長」
「うるせえ、黙ってついてこい」
「隊長、私」
「何勝手に逃げようとしてんでィ、まだまだやることあるんじゃねーのかィ、俺との約束はどうした、山崎のミントン粉砕もチャイナとの決闘も呪いの儀式のやり方もその呪いで土方コノヤローを抹殺することもまだやってねーじゃねえか」
「隊長…」
「逃げんな」
「……」
「逃げんなよ」

あの頃と同じ、優しい声色で。前を歩く沖田隊長は決して振り返らずにそう私に命令した。相変わらずの不器用な言葉と行動。それでも誰よりも温かな優しさが、私の手を掴む隊長の大きな手からじんわりと伝わってきた。また視界が滲んで前がよく見えない。隊長。沖田隊長。私は本当に。
ふいに振り返った隊長は、ぐすぐすと泣きじゃくる私を見てにやりと悪びれた子供のような笑みを浮かべた。

「手始めに土方コノヤローを抹殺しに行きますかィ」

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