紅縞瑪瑙の想い 3 | ナノ


紅縞瑪瑙の想い 3




 小さな祠の中で、妙は腕を拘束されていた。しかしそれ以外に危害は加えられていない。攫った目的が、わからない。
「ふっ……そう睨むな」
「どういうつもりです?私を捕らえたところで何にもならないわよ。銀さんの女なんかじゃないもの」
「……それはどうかな」
「っ、銀さん!」
 岡田が立ち上がる……と、森の奥からガサリと音がして、銀時が現れた。その表情が、いつもより険しい。思わずびくりとしてしまい、それ以上声をかけることはできなかった。てっきりいつものように飄々とやって来ると思っていた妙は、目の前で起こっている現実にうまくついていけずにいる。彼が纏う雰囲気が、ピリピリとしている。
「いい目だ、白夜叉。怒りであの頃の感覚が戻ったか」
「……なんで、そいつを巻き込んだ。んなことしなくたって、俺は逃げも隠れもしねぇよ」
 銀時が抜いたのは、真剣。木刀も差してはいるが、そちらを手にしようとはしない。
「銀さん……」
 口の中だけで呟いた。ごくりと息を呑む。緊張が一帯を覆い、背中を冷や汗が伝った。
 構えた二人が向き合い、同時に地を蹴る。交わった刃が擦れる、ガキィィ……という耳障りな音。銀時の動きには迷いがなく、いつになく攻撃が鋭い。妙もそれなりに目は鍛えられている方だが、どちらの攻撃もはっきりとは見えなかった。
 詰めていた間合いを一度広げると、岡田は心の一方を仕掛ける。しかしそれに気付いた銀時は、「効かねえっつったろ!」と何事もなかったかのようにそれを破った。
(これが……白夜叉……?)
 いつもとは様子が違う銀時に、戸惑いを隠せない妙。キレているだけではない。何かが違う。
 そうでなくてはつまらない、とでも言いたげな笑みを浮かべた岡田は、次の攻撃へと移る。銀時はそれらの先を読み、すべてをギリギリのところでかわしていた。顔面をめがけた平突きを左に避け、後ろに飛んで続く横薙ぎをかわす。そして上から振りかぶってきたところを、柄の先で弾く。岡田の体勢が崩れた……が。
「っ!」
 右手に持っていた刀を背中で左手に持ち替え、向かってきた銀時の左肩をそのまま突き刺した。鈍い音がし、赤い鮮血が飛び散る。銀時はそのまま地に伏した。芝の上にドクドクと地が流れ出す。
「ぐっ……」
「銀さん!」
「ふん……まだまだ甘いな、白夜叉。まだ怒りが足りないのか?」
 つまらんな…と独り言のように呟いた男の視線が、妙を捕らえる。びくりと身を震わせたその瞬間、耳の奥でギギンッと鈍い音がした。ドクン、と心臓が大きく跳ねる。
「!」
「か……は……」
 息が苦しい。声を発することはもちろん、呼吸もままならない。ガタガタと身体の震えが止まらず、涙と冷や汗が溢れる。
「お妙!」
「心の一方を少し強めにかけたんだ。肺機能まで麻痺する程度にな」
「……な、んだと……?」
 もってせいぜい2分……強めにかけたから昨晩のように簡単には解けん。闇夜に低く宣告が響いた。
「てめえ……」
 グッと剣を再び握りしめた銀時。その身体が揺らめいたように見えた瞬間、消えた。その瞬間には、彼の剣は目の前の男の鼻背を捕らえていたのである。剣閃はおろか身体のこなしすら見えなかった岡田は、その攻撃をもろにくらう。
「……無駄話してる時間はねぇんだ。殺してやるからさっさとかかってこい」
 満月を背にした銀時の声が、静まり返った森に落ちる。怒りだけではない、冷たい声。
(銀さん……)
 声が出せない妙は、必死に心の中で彼の名を呼ぶ。殺してやる、なんて台詞は、普段の彼からはまったく想像ができなくて。いつもと雰囲気が違うどころの騒ぎではないことに、今更ながら気付いた。銀時の過去について詳しくは知らないが、当時のような状態に戻ってきているのではないかと、苦しみとは違う冷や汗が背中を伝う。
(銀さん……っ!)
 このまま、自分が知っている銀時がいなくなってしまうのではないかという恐怖。今の彼が振るう刀は、自らの魂を、そして護りたいものを護るためだけのものだろうか。
 じりじりと二人の間合いが詰められる。先に動いたのは岡田だった。勢いよく地を蹴り、斬り掛かる。しかし彼の剣が振り下ろされるよりも先に、銀時の剣が左から右へと薙いだ。……が、間一髪のところで避けられた。
(!)
 勝った、とばかりに笑みを浮かべ、岡田は剣を振り下ろす。その右腕を打ったのは、先程と同じ剣閃を辿った、腰に差していたはずの鞘だった。苦しみに悶えながら倒れた彼の右腕は、肘の関節を砕かれ、筋が断たれている。もう、右手で剣を持つことすらできないだろう。
「……」
 銀時が真上に振り上げた剣が、月の光を浴びて鈍く輝く。絶体絶命の時であるにも関わらず、岡田は逃げるどころか静かにその時を待っているかのようだった。
「……どうした?早くしないとあの娘が死ぬぞ」
 黙ったまま、銀時は一瞬だけ妙に視線を移す。涙で視界が滲んでいるものの、妙にもそれがわかった。
「……そうだな」
 妙にはそれが、映画のワンシーンか何かのように映っていた。周りの音が聞こえなくなり、やけにゆっくりと時が流れているように感じる。理由などないけれど、あの人を止めなければ、という感情に襲われた。
『謝る必要なんてねーよ。誰も』
 ふと頭をよぎったのは、いつかの彼の台詞。諭すつもりというよりは、独り言に近いはずのその言葉は、ずっと胸の奥に残っていた。
『みんな、自分の護りたいもの護ろうとしただけ……』
 今、銀さんが護ろうとしているものは?私が護りたいと思うものは?
『……それだけだ』
 刀が振り下ろされてしまう、と感じ取った瞬間、胸が痛んだ。かけられた術のせいではない痛みは、銀時の目付きの険しさを見てさらに増す。彼を、止めなければ。彼と、彼が護りたいものを、今度は私が護らなければ。
「ダメェェェェーっ!」
 パァン!と何かが弾ける音がして、それと同時に声が出た。銀時の剣は止まり、二人の視線が声のした方を向く。目を丸くした銀時と、妙の視線が絡んだ。
「だ、め……銀さん……それは、だめ……」
 息も切れ切れに言葉を紡ぐ。言葉の意図が、きちんと彼に伝わればいい。そう思いながらも妙の身体は傾き、祠からぐらりと落ちる。
「お妙!」
 それを見た銀時は迷わず彼女の元へと走った。地面に倒れる直前のところで、左腕が妙の身体を支える。後ろで岡田が笑みを浮かべていることに、二人は気付かない。
「おい、お妙!大丈夫か!お妙!」
 必死の呼びかけに、妙はゆっくりと瞼を開ける。彼と目を合わせると、何かを確認したかのように、満足した綺麗な笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ、銀さん……」
 妙の額には汗が浮かび、頬には涙の跡が残っている。呼吸もまだ整っていないが、それでもほっとして銀時は安堵のため息を洩らした。
「……よかった……」
「よかったって……それは俺の」
 台詞だろ、と言おうとして、背後に気配を感じ取る。忘れていたわけではない。いや、駆けた瞬間はたしかに頭から飛んでいたのだが、けして油断していたわけではなかった。現に銀時の右手には、まだ剣が握られている。
「ふん、こんな小娘にまで心の一方を破られるとはな」
「……もう止めておけ。脇差し一本と左腕だけじゃどうにもなんねぇことくらいわかってるだろ。……もう、終わりだ」
 振り向くこともせず、銀時は岡田に語る。スゥ……と脇差しを上げる気配がして、銀時も右手に力を込めた。が、「まだ終わってないさ」と告げた岡田は、自分自身の左胸をそれで突き刺す。ドス、という鈍い音。予想外の行動に二人とも言葉を失い、銀時も思わず振り返った。倒れた彼からは血が吹き出ている。今夜の月は明るく、深夜であるにも関わらず、その赤がやけにはっきりと見えた。




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