首筋の汗 | ナノ


首筋の汗




 せっかくのオフだから、という理由で取る行動は人それぞれだが、逢坂壮五は寮の掃除を選んだ。エアコンに頼りきりで窓を閉めていることが多い夏。今日は天気がいいから、窓を全開にして空気を入れ替えたい。朝起きて空を見上げ、まず思い至ったのがそれだった。
 今はちょうど、他のメンバーたちは仕事に行っており、寮には壮五一人だ。正確に言うとナギはオフなのだが、彼にとってとても大事なイベントがあるらしく、朝早くから出かけていた。イベントの内容は、聞いてもわからないだろうと思って聞いていないけれど。
 掃除や洗濯、買い物などは自分たちで交代でやっている。料理はどうしても三月に頼りがちになってしまうけれど、彼が作る食事は本当に美味しいから。
(夜には三月さんも大和さんも帰ってくる。ビール、まだあったかな)
 掃除機を掛けながら、ぼんやりと冷蔵庫の中を思い出す。二人とも長時間の撮影があるはずだから、何かおつまみも用意しておきたい。買い物にも行った方がいいかな、などと考えていると、ポケットに入れておいた携帯が震えた。すごいタイミングの良さだ、と苦笑しながら掃除機を止める。静かになった部屋で通話ボタンを押すと、マネージャーの声が機械越しに届いた。

 電話から数十分後、買い物袋を下げた彼女がベルを鳴らした。玄関を開けると、ぱっと向けられた微笑みに、つられて壮五も笑みを零す。夏の日差しのような、春の陽だまりのような、マネージャーの明るい笑顔。
「これ、差し入れです。あと頼まれていたものを」
「ありがとう。重かった?」
「いいえ、これくらいなんてことないです!」
 ぐっと袋を上げて見せると、こつんとビールの缶が鳴る。差し入れにごはんを持ってきてくれるという電話越しの彼女に頼んだ、今晩のアルコールとつまみだ。
「ごめんね、まだあまり冷房効いてないんだ」
「ああ、いえ。大丈夫です」
 外を歩いてきた彼女の肌には、うっすらと汗の粒が浮かんでいる。まだまだ夏ですね、という言葉とともに、首筋を汗が伝った。

 二人分の麦茶を用意すると、並んでソファに腰掛ける。向かい合って椅子に座るのではなく、こうして並ぶようになったのはいつからだったか。まだ皆には秘密にしているこの関係は、ささやかな変化しかもたらしていない。たとえば、こうして隣に並ぶようになったこと。壮五がオフの日に少しだけ、二人きりの時間を作るようになったこと。照れたようにはにかむ紡を見られるようになったこと。触れ合うことも少なければ、話す内容も今まで通り他愛ないことばかりで。それでも今までよりずっと、心が満たされているように感じるから不思議だ。
 けれど、今日は少しだけ違和感がある。彼女の笑顔を見ていると、胸の奥に何かがつっかえるのだ。
「……マネージャー、もしかして具合悪い……?」
「え?」
「気のせいかもしれないけど、なんだか無理をしているように見えたから……」
「……」
 大きな瞳が、微かに揺れる。戸惑ったように口を開きかけて、けれどすぐに俯いてしまった。普段からしっかりものの彼女が、こういう曖昧な態度を取ることは珍しい。
(やっぱり、具合が悪いのかな)
 この時期、まだ外は暑い。部屋の中は次第に涼しくなってきているものの、熱中症のようなものかもしれない。グラスの中は一気に半分ほどなくなっており、氷がカランと音を立てた。
「温度、下げようか」
「っ……!」
 立ち上がりかけた僕を、小さな手が引き止める。
「……マネージャー……?」
「あ……」
 無意識だったのか、その手はすぐに離れていく。ごめんなさい、と溢れた言葉は微かに震えており、いよいよ心配になってくる。こんな時に、どうしたらいいのかがわからない。それがすごくもどかしい。
「…………あの」
「うん」
「少し、だけ……」
 そっと伸ばされた手が背中に回る。線の細い壮五の胸元に、それよりも小さく収まった紡の身体。ふわりといつもより近くで漂う甘い香りに、夏の匂いが混じる。見下ろした首筋には、もう汗の粒は残っていない。白い肌が、少しだけ熱を帯びて染まっていた。
「汗かいてるのに、すみません」
「気にならないよ」
「優しいですね、壮五さん」
「そんなことないよ。それに、マネージャーだって十分優しい」
「……紡」
「え?」
「つむぎ、です」
「……」
 拗ねたような声に、その名を呼んで応える。回された腕に、少しだけ力が込められた。
 普段どんなにしっかりしていても、彼女は年下の、まだ18歳の女の子だ。そんなことを、あらためて思い出す。
「……ごめんなさい。すぐに、戻りますから」
 だから、今だけ。
 胸元から聞こえる弱々しい声。光のような笑顔が陰った瞬間。それを愛おしいと、初めて抱いた感情に、心の中でごめんねと告げた。




17.09.10.
「フォロワーさんからリプ来たタイトルでSS書く」というタグでリプをいただきました
壮紡で「首筋の汗」です
女の子の汗や涙は美しいですね




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