何度でも愛を | ナノ


二人で奏でるセレナーデ




 結婚を目前に控えた翔と春歌は、すでに新居で同棲生活を始めていた。その段階に至るまで様々な苦労はあったものの、いざ同棲が始まってしまえばその程度のことは軽く吹き飛んでしまう。それくらい、幸せな気持ちでいっぱいだった。
 これまでも互いの部屋を行ったり来たり、同棲に近いような生活をしてはいたものの、「行く場所」と「帰る場所」の違いは翔にとってなんとなく大きなものだった。同棲していても生活リズムがばらばらであることに変わりはなく、すれ違いになる日も多いのは相変わらずだ。それでも、なんだか安心感があるのは、一緒に暮らしているという事実があるからなのだろう。
「ただいま……」
 まだ明け方だからと声を潜めて帰宅すれば、案の定春歌はまだ寝ているらしかった。軽くシャワーを浴びてさっさと着替えると、翔も寝室へと向かう。できるだけ音を立てないように部屋に入り、自身のベッドへと潜り込む。大きめのベッドを一つ買うということも案にはあったが、この不規則な生活リズムを考えるとやめた方がいい、と判断した当時の自分は正解だったのだろう。時間が合うときにだけ、狭いベッドに二人で潜り込むのも、それはそれで楽しいというものだ。
 翔は布団の中で、ぼんやりと予定を立てていた。次の仕事は夕方からだが、できるだけ早く起きたい。そして、春歌と話をしよう。そうしたら、きっと安心できるから。
 そんなことを考えているうちにも次第に瞼は重くなり、すんなりと眠りについた。

* * *

(あれ……?)
 目を開けた翔は、その見慣れない景色に首を傾げた。一体、ここはどこなのだろう。霧のような白いもやがかかった世界。そこに伸びる一本道の真ん中に、翔は立っている。そもそも自分は寝ていたはずなのに、ここはどう見ても外で。まだぼんやりとした頭では、夢なのではないかと疑うことしかできない。あるいは、シャイニング早乙女の仕業か。
 どちらにせよすぐに元の場所へ戻ることはできないようで、しかたなく翔は歩き始めた。どこを目指したらいいのか見当もつかず、目印も目的もないのだが、一本道である以上進んでみるしかない。
 目の前にある道をひたすら歩いていくと、次第に景色は色付いていった。もやが薄れ、丘のような場所にいるのだとわかる。遠くには山があり、それより手前には家がぽつんぽつんと並んでいる程度。もやのせいだけではなく、雪が積もって白い景色なのだとわかったが、不思議と寒さは感じなかった。
(やっぱ夢か……?)
 夢なら早く醒めてほしい。しかし、万が一、これが現実の自分の身に起こっているのだとしたら。そう考えるとますます頭が混乱してしまいそうで、翔は一度考えることをやめた。ただまっすぐに、道を進む。
 シャイニング早乙女のドッキリには何度も驚かされているし、そうでなくてもバラエティ番組などで多少の事態には慣れている。しかし、今回はどうしたことだろう。驚くような、不安に思うべき事態なのかどうかの判断すらつかない。
 そうこうしているうちに、道なりには大きな建物が現れた。見上げた壁にはたくさんの窓があり、ベランダらしきものもついている。中央には時計が掛かっており、時刻は五時を指していた。午前か午後かはわからないが。
(学校か……?)
 翔は、何かに誘われるようにその建物の中へと入っていく。入口に下駄箱が並んでいるのを見ると、やはり学校で間違いなさそうだった。ドラマの撮影をしていることもあってか、懐かしいというより、すんなりと受け入れることができた気がする。
 予想はしていたものの、生徒が溢れているといった様子はなく、廊下は静まり返っていた。何か手掛かりがあるのではないかと期待していた翔は、ついため息を零してしまう。
 その時だった。
 翔の耳に、微かにピアノの音色が届く。
 ポロン、ポロン、と頼りなく響く音色は、曲を奏でているというより、迷いながら鳴らしていると言う方が近い。何フレーズか奏でたと思えば止まり、繰り返し、新しい音を続ける。
(どこだ……?)
 外から見た様子では、三階建てくらいだったはずだ。翔は階段を探し出すと、一段飛ばしで駆け上がった。
 か弱い音色が奏でられる部屋をすぐに探し当てたのは、やはり都合の良い夢だからなのではないかと頭の片隅で考えていた。邪魔をしないように、そっとドアを横に動かす。十センチ程の隙間から、見えたのは髪の長い少女の後ろ姿だった。制服に身を包み、ピアノの前に座っている。大きなグランドピアノと華奢な背中が対称的で、翔はこくりと息を呑んだ。
 迷いながらも手を動かす少女に気付かれないよう、そっと音楽室の中に入る。後ろ手にゆっくりとドアを閉めると、じっとその背中に見入った。作曲でもしているのだろうか、時々音は途切れるものの、作業自体には集中しているようである。奏でられる音色は優しく、キラキラと輝いていた。
 彼女が振り返らなくてもわかる。あれは、七海春歌だ。




2017.02.12.発行




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