恋の灯火 早乙女学園の近くにある公園で、夏祭りがあるらしい。ポスターは前に見かけていたような気がしないでもないが、特に気にしてはいなかった。少なくとも、見たかどうかさえはっきりと覚えていないくらいには。 夏祭りの、あの独特の空気が好きだ。ただでさえ暑い季節ではあるのだが、人混みによる熱気と、はしゃぐ声。出店から漂う良い香り。 「なぁ、行ってみようぜ」 不意に目に止まった夏祭りのポスター。日付を確認すると、夏祭りはどうやら明日開催のようで、思わず隣を歩いているトキヤとレンに声を掛けた。 (……断られそうだけど) 声を掛けてしまった後で、そういえば夏祭りなんてキャラではない二人であったことを思い出す。トキヤは冷房の効いた部屋で読書をしている姿の方が想像できるし、レンが祭りに行くとすれば、女子との方が想像に容易い。もしかしたら、すでに行く相手が決まっているかもしれない。 「……ふーん。夏祭りねぇ」 「……え? 興味あんのか?」 「誘っておいて失礼だね、おチビちゃん。興味はあるよ。行ったことないしね」 「マジで!?」 「人混みの中を歩くのは苦手でね。レディ達から誘われたこともあるけど、一人だけ選ぶわけにもいかないし、大勢の女の子を連れて歩くような場所でもないんだろう?」 「まあ……そうだな」 男だけで仲良く行くような場所でもないけど、とは言わないでおく。なんとなくこのくらいの歳になると、祭りはカップルで行くイメージだ。家族連れのイメージもあるし、女性だけのグループも見かけるが、男性だけのグループはあまり多くない。 「トキヤは?」 「私が行くと思いますか?」 「だよなぁ……」 「……と、言ったところで無駄なのでしょう?」 トキヤはため息をひとつ吐くと、たまにはいいですよ、と意外にも了承してくれた。 「よし! じゃあ、あとは春歌にも聞いてみるか」 「え?」 「え? なんだよ。ダメか?」 「いや、ダメじゃないけど……レディと行けないからオレたちのこと誘ったんだと思っていたよ」 「そういうんじゃねーよ。急に行きたくなっただけ。それに、どうせならみんなで行った方が楽しいだろ?」 「それは……まぁ、否定しませんが……」 「聖川は呼ぶなよ?」 「はいはい」 携帯電話を取り出すと、早速春歌の番号を探す。先日も電話をかけたはずだから、まだ履歴から辿れるはずだ。 (俺、そんなにおかしいこと言ったか?) ちょっとだけ戸惑ったような二人の表情を思い出す。今も後ろでひそひそと何か話しているようだ。春歌はクラスメイトであり、パートナーであり、家来だ。レンやトキヤと仲が悪いわけでもないし、素直に誘いたいと思っただけで、深い意味はない。それに、今まで友達がいなかったと言っていたから、あまり夏祭りに行ったことがないかもしれない。だから誘っただけ。 数回の呼び出し音の後、『もしもし』といつもと変わらないソプラノが聞こえる。 「よう、春歌。今大丈夫か?」 『はい、大丈夫です』 「あのさ、明日学園の近くの公園で夏祭りがあるんだ。暇だったら一緒に行かねえ? トキヤとレンも珍しく行く気になってくれてさ」 『あ、えっと……』 「……もしかして、用事ある?」 『あの、用事というかですね、その……わたし、トモちゃんから誘われてて……』 「あー……」 先越されたか、と思わず口にしそうになった言葉を飲み込む。そうだ、今の春歌には渋谷という親友がいるのだ。 『ごめんね、せっかく誘ってくれたのに』 「いや、こっちこそ急にごめん。お互い楽しもうな」 『うん』 電話を切ると、二人にバレないようにこっそりと息を吐き出した。 「七海さん、用事があるんですか?」 「用事っつーか、渋谷と行くらしい」 「なんだ。おチビちゃんフラれちゃったのか」 「ふ、フラれたんじゃねーよ!」 「からかうのはやめなさい、レン。それより翔、いいんですか? 私たちと三人でも」 「? なんでそうなるんだよ」 「……いえ、なんでもありません」 先程からトキヤの態度に違和感はあるが、まあいいやと明日の待ち合わせ時間だけ決める。出店はもちろん、ラストの花火も楽しみたい。 (あー……) 電話越しに聞いた、春歌の声がなかなか頭から離れない。 (なんで俺、春歌も一緒に行けるって思ってたんだろう) どこか当然のように考えていた。春歌に友達がいないとか、そういう意味じゃなくて。ただ単純に、誘ったら笑顔で承諾してくれると思っていた。頭の中に浮かんでいたのだ。想定していなかった彼女の答えは、思っていた以上にダメージだった。 Are you jealous? ページを捲れば、翔のライブツアーを追った記事と、音也の主演映画についての記事が並んでいる。どちらも注目を浴びていたことと、二人が同期の同い年ということで、今回は二人分の特集記事を組んだようだ。 「それにしてもさー、翔くんかっこよくなったよねぇ」 不意に聞こえた声に、春歌はぎくりと反応する。 「うん。デビューした頃はさ、もっとかわいいーって感じだったのに」 「そうそう、今はかっこいいって言っちゃうもん」 「音也も目付き変わったよねー。この写真とか特に!」 まぁ、デビューしたのなんてもう五年くらい前だっけ? そんな笑い声を聞きながら、春歌の胸にはざわざわとしたものが込み上げていた。 翔と音也、そして春歌は、今年で二十三歳になる。普通の高校、大学を出ていればようやく新社会人という年齢であるが、早乙女学園という一年制の学校を出た彼らは、デビューしてからの年数もそれなりになる。アイドルとしての活動も安定してきていた。 翔の活動は、多方面に渡っている。歌や映画はもちろん、得意のダンスでちょっとしたイベントに出演する機会も多い。二十代前半という年齢が映えることもあってか、雑誌やテレビ出演もどんどん増えていた。その中で、今回と同じように、同期との共演もある。もちろん、同事務所の先輩や、他のアイドルたちも紙面を賑わせてはいるのだが。 一つ二つの違いとはいえ同期の中で年下の彼らは、他のメンバーに比べて可愛らしさや無邪気さをキャラクターとしていることが多かった。しかし、最近はどうだろう。先程の女の子たちが話していたように、「かっこいい」と言われるような一面を見せることが多くなってきたように思う。この写真もまさにそうだ。レンのように、初めから色っぽさを売りにしていた人とも異なる、徐々に滲み出てきたオトコの人の部分。 (わたしは、知ってたけど……) もちろん、翔の恋人である春歌は知っていた。彼がこうやって、大人びた表情をすることも。ふとした瞬間に見せる笑顔に、何度もドキドキと胸を高鳴らせているのだから。 けれど、アイドルとしての彼は。春歌としては、翔はあえてそのかわいいというキャラクターを崩さずにきたのだと思っていたし、実際そうなのだろう。男気溢れ、憧れの日向先生のようにかっこよくありたいと言いながらも、仕事としてやるべきことはきちんとやる。だからこそ、彼は「翔ちゃん」だったはずなのに。 (さっきの子たち、翔くんって言ってたな……) それは、本当に些細なこと。たったそれだけのこと。 彼がアイドルとして人気があることも、どんどん大人っぽくなっていることも、全部わかっていたはずなのに。それでも、心のどこかで、春歌だけの翔だと思っていたのかもしれない。 ぼくらはそれを愛と呼ぶ しばらく歩いたあと、適当な場所にハンカチを敷いて腰を下ろした。どれくらい歩いただろう。月の位置が、少しだけ高くなったような気がする。 「寒くないか?」 「うん、平気」 肩が触れ合いそうな距離に、並んで座る。海も空も真っ暗で、けれど不思議と怖さはない。月の光が波をゆらゆらと照らしているのを、二人で静かに見つめた。 「こういう曲も、いいかもしれません」 「え?」 「夜の海のような幻想的な曲、あまり書いたことがないから」 「なるほどなぁ」 「今ここで、月明かりの下でヴァイオリンを弾く翔くんを想像したら、すごくすごくかっこよくて。ああ、ここにヴァイオリンがあればもっとイメージが膨らむのに……!」 熱く語る春歌に、翔は苦笑いを浮かべた。彼女の中には、いつでも音楽が宿っている。それは時折、想像もしていない世界を創っていた。 「そんなにかっこいいか?」 「うん! 絶対かっこいいよ!」 暗闇の中でもわかるほどに瞳をキラキラと輝かせ、メロディを口ずさむ。砂浜に指で五線譜を描く様子は、まるで小さな子どものようだった。しかし、作る曲はこんなにも大人のバラードで、そのギャップにまた惹かれていく。 何年経っても変わらない。春歌という一人の女性に恋をして、彼女が作る曲に惚れ込んで。そして、二人で愛を紡いでいく。いつまでも、何度でも、魅了して離さない。 「おまえ、やっぱすげーわ……」 空いていた左手に、自分の右手を重ねて見つめ合う。ここが外じゃなければなぁ、と思いながら、小さな手を握りしめた。 2015.08.23.発行 →back |