穂積颯が穂積颯である由縁



僕の生まれた家は貧民層でした。
といっても、スラムのような場所ではなく、山の中の小さな家に住んでいたのです。
毎日一食食べれればいい方、と言っても過言ではない家に生まれた僕ですが、それでも幸せでした。
年の離れた優しい二人の姉といつも笑顔を絶やさない母、仕事であまり会えなかったけれど心から尊敬していた父。

毎日ひもじい思いをしていました。危険に満ち溢れていて退屈すらも感じないような場所でした。けれど、幸せでした。
姉たちと、母と、時々父と、笑顔でおはようと言える朝。
姉たちと、母と、時々父と、外に出かけて狩りや収穫をする昼。
姉たちと、母と、時々父と、よりそって眠る夜。
そこにしかない、そこでしか感じられない幸せが満ち溢れていました。……あの日、までは。


あの日は…そう、確か酷く空が眩しかった日。僕が初めて一人で狩りをしに山に入った日。
まだ五つだった僕は初めて任された大役にガチガチになっていたのを今でも覚えています。僕たちの場合その日の狩りで何日か分の食事の有無が決まりますから、こっちも必死なんです。
確か、兎を二羽、子鹿を一頭手作りの弓と矢で捕まえたんです。子鹿の方は山に返しましたけど、それでも初めてにしては大漁でした。

けれど、気がついたら眩しかった日はすっかり夕焼けになっていました。
僕は父から『マガミサマ』が牙を剥くから日の入りまでには帰りなさい、と言われていたんです。『マガミサマ』はお昼は守ってくれるけれど、日が落ちると襲ってくる。そんなことを思い出して慌てて走って帰りました。けれど、それでも遅かった。

あの日のことは…ええ、目の裏に焼き付いています。何度忘れようとしたことか。けれど、覚えています。

姉たちと、母と、時々父と過ごした家は夕日で真っ赤に染められていました。
姉たちと、母と、時々父と過ごした家は血液で真っ赤に染められていました。
姉たちと、母と、時々父と過ごした家は炎で真っ赤に染められていました。

自分の心臓が飛び出すのではないかと思うほど心臓が脈打っていました。僕はその場に釘付けになっていました。大切に持っていた兎もいつの間にか手から滑り落ちていました。

ふと、真っ赤に染められた家から人が出てきました。その人は真っ赤に染められた肌と髪を持ち、ぷすぷすと嫌な音を立てて家から出てきました。そして僕は確信したんです。その人は、母であると。

真っ赤な母は立ち尽くす僕に気がつくと真っ赤な涙を流していたような気がします。涙は顔を伝う前に赤黒いシミになっていたけれど。
けれど、母はそんなことも厭わずに口を動かしました。ずるりと顔から何かを落としながら、動かない顔を無理やり動かして僕に言いました。

僕はそれを見た瞬間にその場から逃げ出しました。
煌々と燃える家を振り返らず、皮膚をずり落とした母親から目を背け、家から聞こえる姉たちの断末魔に耳を塞いで、今にも吐き出しそうな口を押さえ、脱兎のごとく逃げました。

どのくらい逃げたのでしょうか。いつの間にか山の端に来ていました。僕は山を出たことがなかったからそこから一歩踏み出せば外の世界でした。外の世界は夕日で真っ赤でした。多分綺麗だったんでしょうけれど、そんなこと気にしていられませんでした。
その視界の真ん中で見覚えのある人間が怒鳴っていたのですから。

見覚えのある人間…言わずともわかるでしょう。その人は父でした。けれど僕の知らない妙にきっちりした格好をしていて、いつも微笑みを浮かべていたその顔はまるで鬼のように赤く怒り狂っていました。
父は白い服を着た何人かの人間に囲まれていました。けれど父は斧を振り回し、何人も、何人も切り殺しました。けれど、文明の利器には勝てなかった。

突然父は突然仰け反って痙攣するとその場に倒れ伏しました。今だからわかります。何処かから狙撃されたのでしょうね。

倒れ伏した父の体を白い服を着た人間が父を再び囲み、何度も何度も蹴り上げていました。僕はもう耐えきれなくなって目と耳と口を塞いでその場から逃げ出しました。

大分走ったと思います。足が崩れ落ちてもう動けなくなりました。口から何か吐いた記憶がありますが、十分にたべれていなかったせいで酸っぱい液と血液しか出ませんでした。

そして無我夢中で心の中で『マガミサマ』に祈りました。
助けてください、助けてくれないなら殺してください、と。

倒れたぼくに一つの影が駆け寄りました。影は赤みのある茶髪の長髪で赤と黒の礼服を着た自分と同じくらいの少年でした。
その子は何かを言ったけれど僕にはよく聞き取れませんでした。その子が誰なのか全くわかりませんでしたが、僕は妙に救われた気持ちになりました。…もう意識も朦朧としていた僕は彼が『マガミサマ』だと思ったんです。僕はその少年の真っ青な瞳を見上げて僕は思わずこう言いました。

「マガミサマ、たすけてください」




と、言うわけで白軍に襲われて行くあてがなかった僕は出雲家に拾われ、穂積と言う名字を貰い、今に至ります。…ああ、志信、そんな顔をしないでください。終わりよければすべてよし。僕は主の世話をしつつ白軍に復讐できるんですから。 問題ないのですよ。それに、僕は皆さんに会えて本当に良かったと思っているんですから。


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bkm




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