推古院五六八か推古院五六八である由縁



ぼくの生まれた推古院家には、長年の間、子に恵まれなかった。

推古院家は武家の血筋を継ぐ小さな家だ。『推古院』という大げさな名前を掲げてはいるが、偉業をなしたのはもう400年近く前の話だ。
そうにも関わらず、ぼくの両親と祖父母はそれを確かな誇りとしていた。こういうと伝統を継いでいるとか思われがちだが、詰まるところ他人を見下す材料にしていた。
そのためか、子に恵まれなかった期間は生きた心地がしなかった、とは母の言葉だ。祖父母や父からの非難があったわけでなく、自分のプライドが許さなかったらしい。
それほど僕は待ち望まれて、やっと生まれた嫡子だった。
ただ一点、『女である』というどうしようもできない、あの人たち曰く、欠点を抱えて。


家に誇りを持っていた両親と祖父母は同時に古い考えを持った人間でもあった。要するに、家を継ぐのは長男でなければならないという凝り固まった考え方を持っていたのだ。
しかし、生まれたのは女。両親と祖父母の嘆きは計り知れない。『ごろく』という男向けの名前しか用意しなかったがために5、6、最後に8をつけて『五六八』という名前にしたという馬鹿げた話があるくらいに男児を待望していたのだから、嘆きは相当のものだったのだろう。

さらにこれ以上の不幸が重なる。母が妊娠できない体になってしまったのだ。私を産んだからか、それとも他の要因があったのか、それはわからないが母は子供を…嫡子に据えるべき長男を生むことができなくなってしまった。次がある、と言える状況でもなくなってしまったのだ。

これに一番焦ったのは言わずもがな、母であった。かなりの不安を感じたのだろう。長男を産めなくなった嫁など捨てられるかもしれない、と。相思相愛なのかは置いておいて、母は確かに父のことを愛していたのだ。
そこで母はぼくを男として育てるように決めた。見てくれは女でも中身は他の男にも引けの取らない強い男に。ぼくが長男として振る舞えば光景として認めてくれる、自分は捨てられない、と思ったのだろう。実際その作戦は成功し、女々しくなっていく体を持つ一方でぼくは晴れて『長男』となった。

強い男を作るためか、家族はぼくに必要最低限の接触しかしなかった。側にいたのはころころと変わる乳母やのような人間だった。僕が血縁者と顔を合わせるのは仕事か行事だけ。食事だって、勉強だって一人でした。友達と純粋に遊んだこともなかった。与えられたのは知識と本と紙とペンだけだった。
ぼくの生活。それは長男たる人間に必要不可欠なものを与え、長男たる人間に不必要なものを完全に遮断した生活だった。

だから。
ぼくは愛を知らない。母はぼくを愛してくれていただろうか。父はぼくを愛してくれていたのだろうか。祖父はぼくを愛してくれていたのだろうか。祖母はぼくを愛してくれていたのだろうか。ぼくはぼくを愛していたのだろうか。
少なくとも、ぼくは推古院五六八という人間を見ることは一度もなかった。ぼくは推古院の跡取りを見ていた。
あの子に、であうまでは。


それは単なる気まぐれ。単なる興味。単なる気の迷いからだった。
父の仕事の手伝いで狭い領地の視察に行っていた時、その子に出会った。
ボロボロの民族衣装を着た、触ったら折れそうな、小さくやせ細った少女が海岸で倒れていた。慌てて駆け寄ると気絶はしているものの目立った外傷はなかった。普段は身元不明者はその村の者に預けるのだが、本当に気まぐれでぼくの家に持ち帰った。

持ち帰ったはいいものの、どうすればいいのか悩んだ。推古院家の人間ははみずぼらしいものが嫌いだ。だから自分の領地を全力で豊かにしてきたくらいには嫌いだ。そんな者たちがこの子を認められるわけがない。戸籍を確認してうちの領民なら身内をまとめて厳重処分、領民でないなら領土から追放。どちらも少女には辛いものだろう。
このこはこのままでは死んでしまうかもしれない。

そんな脅迫にも似た思いがぼくを動かした。
ぼくは、少女を海辺の使わなくなった古い小さな別荘で匿うことに決めた。

少女を別荘に運び込んですぐに少女は目を覚ました。

「…じゆあり、ししぇんまでぃふぁん」

少女は目覚めて一言、そう言った。聞きなれない言葉、けれど聞いたことのある言葉だ。すぐに隣の大陸の言葉だと気がついた。

「ここはぼくの領地だ。言葉はわからないか?日本語は?」
「…?に、がんがんしゅおーしぇんま?」

明らかに通じていなかった。ぼくも少女が何を言っているのかはわからなかった。

「…とりあえず自己紹介か」
「?」
「ぼくは推古院五六八だ。…い、ろ、は」

そう言って自分の顔を指すと何を言ったのか通じたようだった。少女も自分を指差して言った。

「うおじゃおしゅんぷく」
「うおじゃおしゅんぷく?」
「しゅんぷく」
「しゅんぷく」


それが少女…春服との出会いだった。


家族にとってぼくは後継だ。それ以下でも、それ以上でもない。家族は僕が仕事や行事、課題をこなせばなんの文句も言わなかった。だからそれを逆手にとって、ぼくは日の殆どを春服の居る家で過ごした。
春服は日本語が通じなかったから、ぼくが日本語の教師になった。幸い字を理解できた春服とのやり取りは基本的に文字で行った。同じ漢字を使う言葉だから、ある程度の意思の疎通には困らなかった。

『今天天气真好』
『是。洗濯物早く乾く』

こんな感じで会話をしていた。けれど春服の飲み込みは早く、半年ほどで会話程度の日本語なら話せるようになっていた。
そしてある日、ぼくを師匠、傅と呼ぶようになった春服に尋ねられたのだ。

傅、『我』は日本の言葉で私、僕、某、我、朕、己というのわわかったのデスが、傅は『我』を僕といいマス。僕、は一般的に男性が使用すると教書に書いてありマス。何か理由があるデスか?」
「そうだな。ぼくは男として育てられた。だから男としての期待に応えるために『ぼく』と言っているのさ」

ぼくがそういうと春服は不思議そうに首を傾げた。

傅は女性なのにデスか?」
「そうだな。ぼくは女だが、男らしさを求められてきた。そう育てられたんだ。それはぼくなのだから仕方がない」
「…ぶーやおみぇんちゃんお」
「ん?」

ぼくがわからないのがわかったのか、春服は紙に文字を書く。


很辛苦』
「…………」

あなた、とても、つらい、くるしい。


たった4文字。たった4文字の言葉だった。
それでもぼくの心を揺さぶるには十分すぎる言葉だった。
ひやっとするような、血の気が一気に下がるような、顔が熱くなるような、心拍がどっと増えるような、心臓がぎゅうと締め付けられるような。
これは、驚き?悲しみ?羞恥?寂しさ?恐怖?諦念?戸惑い?落胆?

その時のぼくにはわからなかったのだ。これが『歓喜』という感情なのだと。

この人は、春服は気がついてくれた!
両親も、祖父母も、上部だけの友人たちも、ぼく自身でさえも気づかなかったこの気持ちに!


推古院五六八は苦しかった!五六八は自分の気持ちを隠し続けていた!いろはは自分自身にさえも嘘を吐きつづけていた!



「…いろはは、」
傅…?」
「いろはは、さびしかった、かなしかった、ほめてほしかった、よろこんでほしかった」
傅…!何故泣くデス…?泣かないで…」

ボロボロと言葉と涙が溢れ出した。もう自分では止められなかった。

「いろは、がんばってるのに、だれも、いろはを、みてくれない」

「なんで、いろは、きたいにこたえてるのに、ほめてくれないの」

「いろは、ひとりで、さびしいよ」

傅!!!」

その時だった。突然のバシン、と両頬に痛みが走った。じわじわと熱を帯びる頬に呆然としながら伏せていた顔を上げると、目一杯に涙を溜めた春服がぼくを睨んでいた。

「なんで春服を見ないデス?!春服は傅が拾った!春服には傅しかいないデス!」
「しゅんぷく、」
「だからっ春服は傅とずっと一緒にいるデス!一緒に喜ぶしっ一緒に泣くデス!誰も傅を褒めないなら春服が褒めるデス!!だから、だから、」
「……っ……」
「そんなこと、いわないで、しぃふぅ、ずっと、いっしょに、いるデス、だから、だからぁぁっ」


ぼくの頭を抱え込んで、ぼくなんかよりずっと大きな声で春服は泣きじゃくった。ぼくもつられて大声でわんわんないた。もう一生分の涙を使い果たしたんじゃないかと思うくらい泣いた。

そうして、ぼくははじめて人間になった。
推古院五六八と言う、1人の人間に。


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