泣き虫な君と約束を | ナノ

幾何学的恋愛理論

…私には、“一生懸命”とか“必死”というものが、よく分からない。
勉強も部活も習い事も、趣味さえも…頑張らなくても合格点が取れる、満足できる。
一つのことに打ち込んでいる人の心理が、私には理解できなかった。
…でも…いや、だから…と云った方が正しいかな。一生懸命に何かをしてる人を見ると、すごく羨ましく思う。
たとえば、今の皆みたいな。

昨日急遽決まった練習試合。
扇西高校…強いか弱いかなんて全く知らないけど、皆は昨日から気合いが入っていた。…蛍くんはまあ…いつも通り、だったけど。
殺気にも似た気合い。迫力。真剣な目。
ここに来ると毎回同じことを思っている気もするけれど、ここの人たちの気迫というものに私はいつも圧倒されてしまう。いたたまれなく、なってしまう。
…蛍くんは、平気なのかな…。

   キュキュキュッバンッ

「!!…すごい…」

助走をつけて飛んだ日向くんは、あり得ないくらい高く浮き、影山くんの手から上げられたボールを見事に敵コートに叩きこむ。
すごい。そうとしか言えない自分の語彙力が恨めしかった。

「すごいね!すごかった!」
…試合が終わり、扇西高校の人たちが帰ったあと、仁花ちゃんが興奮冷めやらぬと云ったような調子で、日向くんと騒いでいる。
うん。「すごい」しか出てこないのが私だけじゃなくて良かった。
マネージャーの仕事を終えて、制服に着替えて蛍くんを待つ。日向くんと影山くんに勉強を教えている、らしい。私も手伝ってあげたいけど、蛍くんにダメって言われたし。先輩方が着替えている部室へ突入する勇気なんて、私には無い。…まあ、先輩方がそんなことを微塵も考えていないのは、今日でよく分かったけど。

「光璃?帰るよ」

試合前のことを思い出し眉間に皺を寄せていると、部室から出てきた蛍くんが怪訝そうな顔で私を見下ろしていた。

「あ、蛍くん…お疲れさま」
「別に」

蛍くんと二人で歩きながら、ふと疑問が湧く。

「…山口くんは?」
「あいつなら、練習に行ってる」

…町内会チームの人に、サーブを教えてもらいに行ってるのだと、蛍くんは教えてくれた。
そうやって、努力して頑張って上に上にと思っている人が、いる。あの部活では、殆どの人がそうだ。
…なのに、私は…。

「…他人は他人。光璃とは関係ないデショ」
「!」
「いつもその事考えると暗い目になるよね、光璃。ホント単純。すぐに分かるよ…まあ、僕以外の人は気付かないだろうけど」

比べてどうすんの。光璃はその比較対象と同じになりたいの?
…私を見下ろす蛍くんの目が、いつもより少し冷たい色を含んでいる気がする。
きっといつまでもうじうじ悩んでいる私に怒ってるんだ。
このままじゃ、蛍くんに嫌われちゃう…。

「っ、今日はここまででいい!また明日ね!!」
「え、光璃!?ちょ…」

蛍くんが何か言いかけた気もするけれど、私は逃げるように走って帰った。


   *   *   *   *   *


「…」

どうしよう。やっぱりやめようかな…。
…翌日の部活中。
仁花ちゃんが話していた、仁花ちゃんのお母さんの話を聞いて、私はすっかり心をへし折られていた。

「…ちょっと谷地さん。光璃の周囲にもの凄くどんよりしたオーラが漂ってるんだけど。光璃に何したわけ?」
「えっ!?あ、光璃ちゃん!?ちょ、さっきのは私が言われたのであって、決して光璃ちゃんを打ちのめそうとか、そういうわけでは…っ」
「うん……でも、正論だし…。…やっぱり私みたいなのが入ったりしたら失礼だよね…」
「ちょ、光璃ちゃん!?」
「………光璃、ちょっと来て」

ため息を吐く私と慌てる仁花ちゃんのやりとりを見ていた蛍くんは、私の腕を掴むと先輩方のいる方へと歩いていく。

「すみません、少しいいですか」

私の腕を掴んだまま、蛍くんは先輩方に声をかけた。
「おー、どうした?」と、澤村先輩は不思議そうに。
「月島から声掛けてくるとか珍しいな」と、菅原先輩は爽やかに笑う。
「(手、繋いでる…微笑ましい)」東峰先輩はその顔に似合わない微笑みでこっちを見ている。
「何だ何だ?」と西谷先輩は興味ありげに振り返り。
「手ぇ繋いで来るとか見せびらかしてんのかコノヤロー」と蛍くんにガン飛ばしてた田中先輩は澤村先輩に頭を叩かれた。

「…光璃……篠原は、今すごく悩んでます。バレー部に入るかどうか。篠原は、何かに打ち込んだことが無い。そんな自分がここにいていいのか、失礼じゃないかと。…先輩方は、どう思いますか」
「け、蛍くっ「光璃は黙ってて」……。」

先輩方の所へ来て何を言い出すかと思えば…!!と私が止める声は蛍くんにより遮られ。私を見つめる眼鏡の奥の目を睨むように細められては、言うことを聞くしかない。

「…どう、って言われても…なあ、」

…少しの沈黙のあと、眉を八の字にしてそう言ったのは、東峰先輩。

「俺たちはマネージャーいてくれた方が助かるし…。ここ数日の篠原の様子見てる限りじゃ、特に難点もない。篠原はふざけたりサボったりする子じゃないだろ?月島、」
「はい。けっこう器用なんで、割と何でもできますし、真面目ですから」

菅原先輩の問いに、蛍くんは少し自慢げに答える。
…え、何で蛍くんが誇らしそうなの。

「…俺たちの答えはそういうことだな。篠原が入ってくれるなら嬉しいし、真面目に仕事するやつを誰も責めたりなんかしない。…あとは、篠原自身がどうしたいか、だ」

ぽん、と私の頭に手を置いた澤村先輩の言葉に、蛍くんは「ほらね」と呟いた。



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