「八寒地獄に氷漬けの女性...ですか」

終業後も休むことなく書類に目を通しては判を押す鬼灯は、声の発生源を一瞥もせずに呟いた。

「あっ、鬼灯様聞こえてた?」
「そんな大きな声で噂話をされていては
 聞くなと言うほうが無理ですよ、シロさん」
「シロは声がでけーんだよ!」
「えー、そうかなぁ...」

灯が落とされ薄暗い閻魔殿。
未だここだけ明かりの灯る執務室の入り口で鬼灯を待つ白いふくよかな犬に、小狡そうな猿、発色美しい雉。
昔かの桃太郎と旅をしたという一頭と一匹と一羽、通称桃太郎ブラザーズは待ち時間を持て余し、仕事中の彼の邪魔をしないように小声で話していたつもりだったが、少々盛り上がり過ぎたようだ。

「で、その氷漬けの女性というのは?」

変わらず手元を動かしながら無表情の鬼灯は彼らに尋ねる。たかだか噂話とはいえ、地獄の最高責任者である閻魔大王第一補佐官として聞き捨てられない。特別興味があるわけでもないし、ぶっちゃけて言えば「余計な情報聞かせやがって」といったところだが、忙しいなか更なる厄介事をねじ込まれるのも慣れたもの。
大きなため息を一つ吐いた鬼灯に、桃太郎のお供の雉、ルリオが大きく嘴を開いて語りだす。

「私が今日聞いた噂なのですが...
 八寒地獄の大きな湖から突如氷の塊が出現して
 その中で女性が氷漬けになっているらしいですよ」

八寒地獄とは、ここ八大地獄と対をなす極寒の地獄のことである。一応閻魔大王、ひいては補佐官である鬼灯の管理下の地獄ではあるが、基本的には現場に管理を任せっきりな為にこのように情報が伝わってこないことがままあるのだ。
今回の話も恐らくそれで、ただの噂話として処理するにはいささかの不安を感じざるを得ない。鬼灯は眉間に深く皺を寄せると、最後の書類に判を押した。

「大きな湖というと摩訶鉢特摩のでしょうかね、
 うさんくさいですが一応調べますか...」
「おい、シロのせいで鬼灯様の仕事がまた増えたぞ!」
「えぇぇ、ごめんなさい鬼灯様ぁ...」
「構いませんよ、
 春一さんに問い合わせてみるだけなので」

ゆっくりと判を書類から離せば、発色の良かった紅は空気に触れて乾くにつれてどんどんどす黒く変化していき、まるで血液の塊のような色になる。まさに地獄らしいこの特殊なインクが、鬼灯は気に入っていた。
執務室の入り口ではシロと呼ばれた白い犬が申し訳なさそうに頭を垂れて伏せていて、体のふかよかさもあってまるで真っ白な大福のようにも見える。背に巻かれた紅白の縄がなければ完全に雪見大福、次に現世に行ったら絶対食べよう。
鬼灯は脳内でそう思いながら引き出しの中から小さな巻物を手に取ると、筆を取ってさらさらと文字を書く。宛先は八寒地獄、摩訶鉢特摩の雪鬼・春一だ。

「...はい皆さんお待たせしました、行きましょうか」
「「「お疲れ様です、鬼灯様」」」

筆を置いて机の上の書類を整えて、鬼灯はよっこいせと立ち上がる。
長時間正座のまま作業をしたせいで硬くなった腰と膝はぼきぼきと音を立てるが、これもまたいつものことで、鬼灯はトンと軽く一回だけ腰を叩くとすたすたと執務室から出て行った。
待ち構えていた桃太郎ブラザーズ、特にシロは尻尾を大きく振り喜びながら、八大地獄の食堂を目指す鬼灯の後を追う。

「わーい!何食べよう、今日のオススメは何かな!?」



色鬼の氷結 壱ノ壱
序幕 / 2017.06.16

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