頬を掠める春のそよ風。満開の桜。
桜を見ると、今でもあの頃を思い出す───

*

高校に入って、生まれて初めて彼氏が出来た。
彼の煌めく銀髪が目に映る私の世界を輝かせてくれてると錯覚するくらい、私は彼が好きだった。奇跡的にも彼も同じく私を好いてくれていて、お互いを想い合える、とても穏やかで幸せな交際が出来ていたのではないかと思う。

───だけど、そんな時は長く続かなくて。

2年生が終わる直前、親の転勤が決まった。
突然の宣告に言葉も出なくて、私は頷くだけ頷いて晩御飯も程々に、ふらつく足で自室への階段を登る。ぱたん、と静かに扉が閉まると部屋の中は闇に包まれて、私のお先もまた真っ暗になったような気がした。
もともと転勤族で、この箱根に来たのも中学に入る前だった。丸5年、長いようで短かったなってぼんやり思った。この部屋とも、もうお別れなんだ...
先日の卒業式で3年生の先輩方を見送ったばかりだというのに、春は別れの季節というにしてもまだ早過ぎる。3月になったばかりだよ。
これまで幾度となく繰り返してきたことだけど、今回は特別胸が痛い。行きたくない、ここに居たい。ユキくんと離れたくない──
そう呟いたところでこの願いは叶いっこない、分かってる。分かってるよ、でも...
この箱根を離れるときが彼との別れの時でもあるのだと、思えば心は引き千切られそうなくらいに痛かった。

*

「千歳、ここ最近元気ないよな?何かあったのか?」

私の顔を覗き込みながら彼は言う。

「ううん。何にもないよ?...ただ強いて言うなら
 3年生になったら受験が待ってると思うと、
 憂鬱になっちゃうくらいかな」

頭に浮かんだ言葉は打ち消して、私は当たり障りのない返事をした。

「確かに、受験とか嫌な単語だな...
 でも受験の前にインハイがあるからな!」
「そうだね!今年のインハイ、
 絶対にユキくんの応援に行くから!!頑張ってね!」
「おう!今年こそは必ず出てやる!
 オレだけじゃなくて、ちゃんと箱学も応援しろよ!」
「うん!」

ねぇ、ユキくん。
私、3年生になったら、もうここには居ないんだよ。もうすぐサヨナラしなきゃいけないんだよ。行きたいけど、側で見ていたいけど、応援だって行けるかは分からない。
必死に平静を取り繕う私の前で、彼は屈託のない笑みを私に向ける。
本当のことなんて言えないよ、そんな顔されたら。痛み出す胸を押さえつけながら、私は上手く笑えてたかな...

*

とうとう終業式の日がやって来た。私が箱根学園へ通う最後の日。
仲の良い友達には伝えられたけど、私は結局ユキくんにお別れを告げることは出来ないでいた。

最後のHRが終わって、みんなが帰ったのを確認してからお世話になった先生方に挨拶をしに職員室へ行った。そのまま帰っても良かったのだけど、なんとなく最後に教室を見ておきたくなって、誰も居なくなった廊下を進む。
そこの角で少女漫画みたいにユキくんとぶつかりそうになったなとか、何もないここで転けそうになって笑われたなとか、思い出すのはユキくんのことばかり。やっとたどり着いた教室の扉を開けたら銀色の幻覚が見えるくらい、そこはユキくんとの思い出でいっぱいだった。
ユキくんの机は少しがたついていて、机と椅子の高さがイマイチ合ってないんだってよくぼやいてたっけ。
あ、机に何か彫ってある。いけないんだユキくん、これ学校の備品なのに。
机の溝を指でなぞるとぽたり、雫が落ちた。
ユキくんと出会えて良かった。一緒にいてすごく素敵な時間が過ごせた。きっとこんなに幸せな時間が過ごせる人は、もう現れないんだろうな...
ユキくんとの思い出を一つ一つ思い出すたびに涙が溢れてくる。

「ユキくん...ユキくんっ...!
 会えなくなるなんて嫌だよ...離れたくないよっ...」

そう呟くと同時に、バンッとすごい音がした。振り返って見てみれば、教室の扉に居るはずのない姿がある。
自転車部のユニフォームを纏い、肩を大きく揺らす彼は紛れも無くユキくんで、

「っなんで!オレに黙ってたんだよ!!
 引っ越すって本当なのかよ!?」

見たこともないような剣幕で私に捲し立てた。

「どうして、ユキくんが...いるの?なんで知って...」
「塔一郎から聞いた!さっき職員室で
 千歳が話しているのが聞こえたんだと!」

そういえば先生方に挨拶している時に誰かまでは確認していないけど、他にも残っていた生徒がいた気がする。あれ、泉田くんだったんだ...

「...本当は一番にユキくんに、
 言わなきゃいけなかったんだけど...ごめんね。
 父の転勤が決まっちゃって...それで私もついていくの」
「ーだから、この前の休み、急に会えなくなったのか?」

ユキくんは察しが良いから分かっちゃうんだね。
転入手続き等で会う予定がキャンセルになったんだって。

「そう。引っ越しのための準備で会えなくなっちゃった。
 あの時はごめんね。これからも会えなくなるの...
 だから、私たち、」
「別れねーよ!」

言いたくないけど言わなくてはならない別れの言葉は、彼によって遮られる。その勢いのままユキくんはずんずんと私の元までやって来た。眉間に深く皺を寄せて、毛が逆立ちそうなくらい怒ってる。

「っ、でも遠距離になるんだよ!?
 私、遠距離になってもずっとユキくんに好きでいて
 もらえる自信ない!離れたら、きっとユキくんは
 私なんか忘れて他の子を好きになる!」
「ふざけんなっ!お前は遠距離になるからって、
 別れて、そんな簡単にオレのこと忘れられんのか?!」
「っ!忘れられるはずない!ユキくんが誰よりも
 好きだから...忘れたくなんかないよ...」
「オレだってそうだよ!オレのこと、もっと信じろよ!
 お前のこと、言葉では表せないくらい好きなんだよ!
 遠距離なんて関係ねー!日本中、ロードでどこでも
 千歳に会いに行ってやるよ!」
「ユキくん...」

釣り上がってた眉毛は次第に下がっていって、怒りに満ちていた表情は慈愛に満ちたそれに変わっていく。私の好きな、大好きな、優しいユキくんの眼差し。
ぼろぼろ溢れる涙を指で拭うと、ユキくんは私をそっと抱きしめてくれた。そして優しい声で囁く。

「そりゃー、今までみてーにすぐには会えなくなる
 だろうけど、まったく会えないわけじゃないだろ?
 会えないからって気持ちも離れるなんて思うなよ。
 今までもこれからもオレが好きなのは千歳だけだ。
 一生かけて愛してやるよ」
「...うん。ありがとう。自分に自信がないから、
 ユキくんを信じられなくてごめんなさい。
 ...ふふ。なんかプロポーズみたいだね。
 私にもユキくんだけだよ」
「プ、プロポーズはお前を迎えにいける年になったら
 ちゃんとするから!遠くても会いに行く。
 ーでもまずは今年のインハイ、見に来てくれんだろ?」

今までの空気を振り払うように、ユキくんが少しおどけて言った。

「うん!ユキくんに絶対に会いに行く!」

それから一週間後の引っ越しの日、ユキくんは私を見送りに来てくれた。
暖かい日が続いたおかげで、辺りはすっかり桜が満開になっていた。


*


コンコン。
ノックの音に振り返って返事をする。

「どうぞ」

私がそう言うと、ゆっくりと重い木戸が開く。
扉を開けた主と目が合った。

「支度できたんだな...
 やっぱりそのドレス、千歳によく似合ってるよ」
「ありがとう。
 ユキくんもタキシード、よく似合ってるよ」
「…おぅ」

真っ白なウェディングドレスに身を包んだ私を見て、照れ臭そうに鼻の下を擦りながらユキくんが言う。
微笑みとともに返事を返すとユキくんが近づいてきて、窓辺にいる私の隣に立った。自然と視線が窓の外に戻った私にユキくんが尋ねる。

「何、見てたんだ?」
「桜。見ていたら、高校生の時のこと思い出しちゃった」
「あぁ、千歳の転校の時のことか?」
「うん」
「言っただろ?一生かけて愛してやるって」
「...うん」
「花嫁が泣くにはまだ早いぞ。
 今からみんなの前で愛を誓わなきゃいけねーからな。
 泣くのはその後でな?」

あれから数年、今日私たちは結婚式を迎える。
離れていても私たちの気持ちは変わらなかった。昔も今も、私の心は彼のもので、彼の心は私のもの。

私は彼の途方もない愛を知っている。



extraordinary love / 2018.05.28
#あなたの文のワンシーンを私の文体で書く
黒猫より「途方もない愛を知る」
special thanks さま

short menu
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -