夢にまで見た宝石みたいなチョコレートは、これまで食べたこともないくらい甘美で幸福な味がした。
一口で食べるには少し大きい、ダイヤモンドを模して作られているそれは黒田の手の内で輝いていて、本当なら食べるかと問われた時点ですぐさま飛び付きたいくらいだった。なのに黒田は何故かそれをつまみ上げて私の口の前に差し出してきて、箱ごと寄越してくれれば躊躇いなんてしなかったものを、私は好物を目の前にして足踏みしてる。
何それ、欲しけりゃ口開けて懇願してみろよってこと?みんなの前で黒田の手から、いわゆるアーンみたいなことをしろっていうの。っ黒田って本当嫌なやつ!
早くしねーと溶けるぞ、なんて隠しきれない笑みを口元に含んで、そもそもあんたがチョコ触らなきゃ溶けたりしないっていうのにさ。
食べたい、でも食べられない、目前のチョコレートの誘惑と葛藤しながら黒田の指先から目を離せないでいると、私の宝石が黒田の口めがけて飛んでいく。あっ...あーっ!私のデルロイがっ...!

「あっ...待っ...!」
「んだよ、いるのかよ?」

いるに決まってんでしょバカ!バカ黒田!
再び私の前に舞い戻ってきたデルロイに安堵しつつ、私は恥を忍んで恐る恐る口を開けた。けれどやっぱりそれに食い付く勇気は中々出てこない。
こんなお高いチョコ、きっと本命チョコなんだろうな。黒田って実は結構モテてるし。ていうか本命だと思われるこのチョコレートを私が食べるってどうなんだろう。確定でもなければ自惚れているわけでもないし、認めたくはないけれど、黒田が好きなのって多分私...だし、そんな私が黒田への気持ちがこもっているだろうこの高級チョコレートを食べていいものなのだろうか。私が知らぬ、このデルロイをくれた彼女を傷付けたりはしないのだろうか。
あぁでもタイムリミットは刻一刻と迫っていて、あんな綺麗な宝石チョコレートが黒田に溶かされるのは不本意だ。勿体無いにも程がある。少なくとも一つは本人が食べたのだから、残りを他の人が食べても許される...よね、許されるよきっと!葦木場くんだって食べたし!しょうがない、だって黒田がいらないって言うんだから。食べ物に罪はないもの。
と、高速で思考を巡らせた結果、私は黒田の手から直接、それを食べた。気を付けてた筈なのに、唇に黒田の指先が掠める。

「っおいひぃ...」
「そうかよ、良かったな」

口の中に入ったそれは噛んだ瞬間ほろほろと溶けてって、甘みと苦味と風味が口いっぱいに広がっていった。さっきまでの葛藤とか何とか全部すっきり忘れてしまえるくらい口の中が幸せで、思わず綻んだ頬に手を添える。
ふ、と小指の先が唇の端に触れるのと同じくして目の前の黒田と目が合った。半分閉じてるような瞳をさらに細くして口角を上げてる黒田は見るからに満足そうで、それを見た瞬間、何故か私の中であの日の出来事がフラッシュバックした。
唇に触れる指が思い出させる、黒田の唇の感触。
そういえばさっき黒田の指が私の唇に、なんて思ったらもうドツボで、自分でも顔が赤くなってってるのが分かる。
なにこれ、なにこれ、やめてよ...私は黒田を意識なんてしてやらないって、だから今までなかったことにしていつも通りの私を演じてきたのに、どうして今鮮明に思い出してしまうんだろう。
ありがとってだけ呟いて、黒田から逃げるみたいに私は急いでその場を離脱した。敵前逃亡なんてカッコ悪い、こんなの意識してますって言ってるも同然だ。情けない、悔しいって思うのに、私の思考とは関係なしに心臓は高らかに脈を刻む。
治らない胸の動悸の意味は、自分でも薄々分かってる。だけどその時の私は、まだそれを認められないでいた。それを自覚し容認出来たのは、それから2週間後の別れの日のことだった。
荒北先輩が、この学び舎から卒業したあの日の───


*


「荒北先輩!」

まだ雪の残る3月、卒業式を終えた3年生がばらばらと散らばっている体育館の前には当然私の探している姿は無かった。群れることを好まない先輩は恐らくもうここには居ないだろう。
ならば、と人気が無くなっていく道を駆けて裏庭に出てみれば、案の定先輩はそこに居た。少し背を丸めた細長いシルエットに呼び掛けると、先輩はゆっくり私を振り返る。

「ン、」

さっきまできっちりとしまってたネクタイもシャツも既に気崩されていて、荒北先輩はいつも通りの姿に戻っていた。ブレザーの胸元についた卒業おめでとうの花飾りがやたらと目につくのは、今日でいつも通りの荒北先輩は見納めであることを表しているからなんだろうか、明日になれば先輩はもう居ないんだと思うと少し胸が苦しくなった。
だから私は荒北先輩に伝えようと思ったんだ。最後だから、私の気持ちを、想いを全部。

「卒業おめでとうございます」
「おーあんがと千歳チャン。あれ、黒田はァ?」
「え?黒田?」
「付き合ってンじゃねーの?」
「は!?ちがっ...付き合ってないです!」
「オレァてっきり付き合ってるモンだと思ってたヨ
 ンなモロ丸わかりのクセにまだ付き合えてねーの
 ハッ!ダッセ黒田」

緊張で上擦ってた声は、荒北先輩の思わぬ言葉であっさり治った。最後の最後だっていうのにどうしてあんたの名前が出てくるの。でもそのお陰で私は少し落ち着けた気がする。癪だけど、少しだけ黒田に感謝。

「私、先輩に伝えたいことがあって来たんです」
「...なァに」
「荒北先輩、好きでした!ずっと憧れてました!
 大学に行っても元気で...私、ずっと応援っ...」

いざ言おうと思うと言葉は上手く出てこなくて、代わりに両目から熱い雫が滴った。泣くつもりなんてなかったのに、胸の内にある想いが抑え切れず涙になって具現化したみたいな、どうしようもない現象だった。
荒北先輩はこういう女も場面も嫌いだろう。私の自己満足のために最後まで迷惑をかけてしまったことが申し訳なくて顔が上げられない。私はただ落ちてく水滴が地面に吸い込まれてくのを見てることしか出来なくて、詰まった言葉の先も言えないままシンと辺りは静まっていた。
ざり、と小石が擦れる音が近付いてくる。一歩二歩と私の前までやって来ると、ぴたりと止まって今度は頭に何が触れた。骨ばった大きなこれは、荒北先輩の、手...?

「あんがとネェ、千歳チャン
 オレらは負けちまったけど、オメーらは勝てよ絶対」
「はい...っ」

荒北先輩の手が、声が優しくて、また目頭が熱くなる。馬鹿みたいに泣く私の涙が枯れるまで荒北先輩は私の髪を撫でていてくれた。鼻を啜りながらやっと顔を上げれた頃には荒北先輩はすっかり呆れ顔になっていて、その中に笑みを浮かべて言ったんだ。

「黒田のコト、支えてやってヨ
 アイツ案外メンタルよえーからァ
 あとちゃんと言ってやれ、オレじゃなくて黒田にさァ」

───荒北先輩が好きでしたって過去形で言ったのも、先輩にはお見通しだったのかな。ンなの匂いで分かンだよ、って荒北先輩は呟いた。そう思う私の心まで読めるなんて、先輩って本当に野獣みたいだ。

「オラ行け、アイツ待ってンよ」
「っはい!」

回れ右するよう指示されて、それに従いくるりと回るとバシッと背中を叩かれた。
気のせいだとか、認めたくないとか、一生懸命黒田への気持ちに蓋をしていた私の中の私が今の衝撃でどこかに飛んでった気がする。気が付けば私は、目的地に向かって駆けていた。
裏庭に背を向けて校舎に入る手前、私は小さくなった荒北先輩を振り返って叫ぶ。

「荒北先輩!」
「ン、」
「大好きです!」
「わーったから、早く行けェ」

ニカッと笑った先輩は、私を追い払うように手を振った。
引っかかってたつっかえが取れたみたいに胸の中がすっきりして、走り出した身体も軽い。
目的地が何処かは私にもわからない。あいつがいるところが、きっとゴールだ。



モノクロ*ノーツ 25
さよならと同時に得た恋心 / 2018.03.04

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