思えばそれが私の初恋だったのだ。

子供の頃、久々に会う大人たちは皆口を揃えて「大きくなったわねぇ」と私に言った。可愛くなった、大人っぽくなった、そんな意味ではなく物理的事実を述べているだけなのだと気付いたのは最近になってから、微笑みではなく驚嘆の目を向けられるのだから気付かない筈もなかった。
女子の群れに紛れれば頭一つ出てしまう私は、もう可愛いのカテゴリには含まれることはない。身に纏うセーラー服がこの体にいかに不似合いで不釣合いか、それは自分でも痛い程よく分かっている。せめて一目で女子とわかるようにと伸ばした髪すら滑稽で、鏡に映る私はまるで歪な形をした気持ちの悪い人形のようだ。誰にも可愛がって貰えない、哀れな人形。

「白崎は可愛らしいなぁ
 そんなの気にすることないで、
 オレはそのままの白崎がええと思う」

彼にとっては何のこともない些細な一言だっただろう。だけどその言葉に私がどれだけ救われたことか、先輩はきっと知る由もない。
そんな一言に浮かれた私は何を思ったのか可愛らしい女の子たちの群れるコーナーに飛び込んで、気付けばピンクの小箱を一つ購入していた。紫のリボンが巻かれ桜のモチーフが一つ押された京都伏見のユニフォームを連想させるそれは所謂バレンタインチョコレートというやつで、どうしてそんな奇行に及んでしまったのか自分でも分からない。もう一度あの人に私を女として見て欲しい、そんな下心だったのかもしれない。
チョコレートの魔法という物は不思議なもので、可愛らしい小箱を手にしているだけで私の心は弾んだ。私に似つかわしくないのは百も承知、それでもこの瞬間だけは私もオンナノコになれるんじゃないかって根拠も無く思っていた。焦がれるほどに憧れる、誰かの大事な可愛いオンナノコに。
けれど現実というものはあまりに非情で、心臓を高鳴らせながら駆けたその先にあったのは既に出来上がった幸せの光景だった。絵に描いたようなお似合いの二人が笑ってる、ドラマのワンシーンかと見紛う程に。
彼の隣で笑うのは小柄でふわふわしている女の子らしい女の子。私とは正反対の、煌びやかな女の子。彼女を見下ろす先輩の目は溢れ出る愛しさを抑えきれないみたいな、そんな視線を放っていた。
もし私があの人より先に先輩にこれを渡せていれば、もし私が小柄で女の子らしかったら、もし私が───
もし、たら、れば、ありもしない幻想と仮定、私がそんな風になれるわけがないのに、社交辞令に舞い上がって身の程も知らずに恋をした私が悪いのだ。

「...こんなもの渡されたって気持ち悪いだけやのにな」

部室棟に背を向けて現実から逃げるみたいにそこを離れる。どんどん遠くなってく笑い声、それなのにまだ耳の中に響いている気がして、それを掻き消すように一人呟く。
手のひらに乗せたままの想いの詰まった小箱はもう用済みだ。チョコレートの魔法はもう消えてしまった、残されたのは輝きを失った小箱と胸の痛みだけ。
こんなもの、こんなものっ...
投げ捨てて叩きつけてしまいたいのに理性がそうはさせなくて、せめてもと目に付いた自販機横のゴミ箱に歩み寄る。
サヨナラ私の初恋、最初で最後の恋心...

「あかんやろ、そこは缶ほかすとこや」

突然降って沸いた声にびくりと肩が震えた。カラカラと空回る車輪の音と一緒にゴミ箱に投げ入れようとしているこれによく似たユニフォーム姿の男が近付いてくる。そんなとこに立たれてたら邪魔でしゃーない、と言わんばかりに私を一瞥すると、彼は隣の自販機に小銭を投入していく。

「っは、あ...御堂筋、くん」
「石垣クゥンに渡せへんかったんやぁ?
 ププ、カッコ悪ぅ」

自販機が吐き出したスポーツドリンクを自転車に備え付けたボトルに注ぎ込みながら、彼は嫌らしくニヤリと笑ってみせた。どうして私が石垣先輩にこれを渡そうとしてたことを知ってはるの、と聞きたいのに彼の口から出た先輩の名前を聞いただけで胸が千切れそうに痛くなってそれどころではなかった。視界が歪んで頬を伝った水滴がぽたり、アスファルトに染み込んでいく。

「...先輩、彼女出来てんて
 知ってたらこんなことせーへんかったのに
 柄にもないことして馬鹿みたいやろ?
 私みたいのんがこんなこと...はは、気持ち悪いよな
 バチが当たったんやろな、身分不相応やって
 こういうのは可愛い女の子がすることや、
 私みたいなデカ女がすることちゃうやんな、あは...
 違うゴミ箱にほかすわ、堪忍や御堂筋くん」

彼にこんなことを言ったところで何の意味があるんだろう。きっとまた笑われるだけなのに、私は言わずにはいられなかった。慰めて欲しかったわけじゃない、寧ろもっと私を絶望のどん底に突き落として欲しかった。完膚無きまでにこの恋心を踏み躙って欲しかったのだ。もうこんな愚行に及ぶことがないように、もう恋なんか出来ないように。
御堂筋くんならそうしてくれるって思ってたのに、予想外にも彼は溜め息を一つだけ吐くと私の手からピンクの小箱を奪っていった。

「...下向きなや、上向きぃ。いくらデカいゆうても
 白崎、ボクゥより小さいやろ」
「っあ!」
「ハァー...無駄やな、無駄や
 こぉんな立派に飾ってあるのに
 中身こんだけぇとかアホらしいわぁ」

高く持ち上げられたそれを目で追っていけば自ずと顔は上を向いて、御堂筋くんの真っ黒な大きな瞳と視線が合った。彼の言う通り、私のそれより彼の目線は上にある。
するりとリボンが解かれて小箱の蓋が開かれると、中にはまん丸のチョコレートが一つだけ。御堂筋くんはそれをつまみ上げると、怪訝に眉を顰めながら開いた口の中に落とした。長い舌が唇を舐めずる、私の恋心は彼に呑み込まれて消えてしまった。

「...まぁでも、運動後のいい糖分補給にはなったわ
 ゴミィ、ちゃんとほかしときや」

軽くなった小箱だけ私の手中に置いて、御堂筋くんは自転車を押しながら去っていく。
カラカラ、カラカラ、車輪が回る音が頭を巡る。彼が行ったのは追い討ちなのか、救済なのか───
私の心の中に残る得体の知れない余韻を噛み締めながら彼の背の京都伏見の文字を見つめる。
気が付けば、涙はもう乾いていた。



Amer / 2018.02.14

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