肩に掛けられた箱学ジャージはまだ少し黒田の温もりを残していて、寒さで震えてた身体に心地良かった。
純粋に物理的な意味であって決して黒田のだからとかそんなんじゃないはずなのに、何となく気恥ずかしい気分になって黒田から目を逸らした。おかしいな、最近の私は何故か黒田を直視出来ないでいる。なのにやたら銀色が目につくし、それをつい見てたらやたら黒田と目が合うし。うぅっ何か気持ち悪い、胸がもやもやする!
文化祭の一件で私は黒田が実は嫌いじゃないんだって自覚した。むしろどちらかといえば好意を持っている部類...であることも認めよう。渋々だけど。だからってこれは何かおかしい。もしかして好きなのかもとかドラマチックな救出劇のせいで思ったりしちゃったから黒田を意識してしまってる?いやでもそれは一時の気の迷いだし、好意と言っても人として好きだってだけだし、目で追っちゃうのは銀髪が目立つからだし、変に黒田を意識する必要は全然無い。そうだよ全然無いよ、1ミクロンだって無い!そもそも私が好きなのは荒北先輩なわけで、黒田はただのクラスメイト兼クラブメイトである。いわゆる友人B的な、特別な何かじゃないから!
視線を黒田に戻せば薄墨色の瞳と目が合ったけど、さっきまでの気恥ずかしさみたいなものは出てこなかった。ほらね、私の考えは間違ってなかったでしょ?そう思えばちょっと胸の中がすっきりした気がする。

「じゃそれ頼む、塔一郎!始めるか!」

ジャージを人に押し付けるだけ押し付けといて、黒田はお礼も言わずにさっさと人の群れの中に戻ってく。自信ありげに笑っちゃってさ、寝坊したくせにむかつく。バカ黒田め先輩に怒られちゃえ。
伴走車の陰で一人になってから、黒田が着ればぴったりサイズのそれに私が袖を通すと思ってたより大きくて、余りに余った袖口が私の冷えた手をすっぽり隠した。手袋要らずであったかいな...あ、これ黒田の匂いがする。って私は一体何を考えて、

「ヒュウ!やるなぁ黒田、彼ジャーか」

後ろから聞こえた声にびくりと大きく肩が震えた。勢いよく後ろを振り返ってみれば、車の裏側から赤茶色の髪の毛を揺らしながら新開先輩がひょっこりと顔を出す。片手に齧りかけのパワーバー、もう片方の手は拳銃を模していて、銃口と思しき指先は私のほうを向いていた。
彼ジャーって確か彼氏のジャージを着るとかいうやつだっけ...ほら少女漫画とかでよくあるアレ...って、え?彼ジャー?誰が誰の彼氏?黒田が私の?違っ、え、待って、はたから見たらそう見えるってこと?
ーーーっばか黒田!あんたが変なことするから先輩に誤解されたじゃん!バカ!ハゲろ!

「っ新開先パッ...ちがっ!違います!
 持っとけって言われただけでそんなんじゃ...」

あったかさに負けて黒田のジャージを着ちゃうなんて。あぁもうバカ、私のバカ!でも見られたのが荒北先輩じゃなく新開先輩だったのはせめてもの救いかな、荒北先輩だったら多分立ち直れない。
すぐさま黒田のジャージを脱いで彼ジャーの件は無かったことに...は、ならないけど、脱いだジャージは畳んで腕に掛けた。吹き抜ける風が冷たくてぶるっと身体が震える。そんな私を見てる新開先輩は整った顔に優しげな笑みを浮かべてた。あーもーだから違うんですってば!

「さぁ最後のレースだ、
 千歳ちゃんはどっちが勝つと思う?」

パワーバーをむしゃりと齧って新開先輩は手のピストルで私を撃ち抜いた。泉田くん曰く必ず仕留めるって合図、この場合の獲物は私、ではなく私たち2年生ってことだろうな。3年生と走れる最後のレース、華を持たせて差し上げる?いいえ先輩、私達は箱根学園を担う次期エースです。負けるなんて、許されませんから!

「もちろん私たち2年生です!
 先輩達を超えて王者も奪還してみせますよ!」
「ははっ!言うなぁ、千歳ちゃん
 こりゃ頼もしいだろな黒田たちも
 あ、もう始まるな。オレのジャージも頼むぜ」

サーモジャージの上に羽織ってたジャージを脱いだ新開先輩は、私にそれを渡して笑顔のままこの場を去った。
向こう側では部員達が整列していて、レース前独特の緊迫した空気が流れてた。ついに始まるんだ、箱学伝統の3年生追い出し親睦走行会ファンライドが。

「追い出し走行会ファンライドスタートします!お願いします!」
「っしゃす!」


*


長かった120kmのレースもあっという間に終わってしまって、市営駐車場に続々と選手が集まってくる。
私はゴールに先回りしてインハイの時のようにただ待っていた。次の世代を担う私達2年生が先輩達に勝つって信じて。
夏の願いは叶わずに終わってしまったけれど、追い出し走行会ファンライドゴールラインを先に踏み締めたのはピンクのウィリエール、両翼2mが天を仰いだ。

「勝っ、たぁ...はぁっ...勝ったよ千歳ちゃんっ..!」
「うん、うん...!見てたよ葦木場くん
 おめでとう、お疲れ様っ...!」

次々とゴールする選手たちにタオルを配りながら、レース展開を聞き出してはメモをする。
最初の平坦、河津町のゴールラインまでの新開先輩と泉田くんのスプリント対決は泉田くんが勝利を収めた。続く天城原峠のクライム対決は東堂先輩vs真波くん、山神・東堂先輩の勝利。新天城トンネルを越えゴールまで残り2000m、荒北先輩vs黒田のアシスト対決は最後のカーブで黒田が荒北先輩を抜いて黒田が勝って、ラスト500m福富先輩vs葦木場くんのゴール争いは葦木場くんの勝利した。この目で見たわけじゃないけどきっとどれもいい勝負だったんだろな、その光景が目に浮かぶよ。
一通りマネジの仕事を終えてからフゥと一息ついて澄み渡る空を見上げると、今更ながら勝利の高揚感がこみ上げてきて涙腺が緩む。それに加えて今日で3年の先輩たちが部活に来るのも最後なんだなって思うと何か悲しくなって、瞬きと一緒に涙が溢れた。

「何泣いてんだバーカ」

どうしてこのタイミングで現れるかな。
人の群れから離れてたから誰にも見られてないと思ってたのに、目を開くと銀色が眼前に立っていた。さっきまで先輩たちと自販機のほうに居たはずの黒田が何でここに?

「だって、これで荒北先輩、部活引退しちゃう...」
「まだ卒業まで時間あんだろ
 また顔だしてくれるよあの人ならきっと」
「そうかなぁ...」
「多分な」

嬉しいのと悲しいのが入り混ざってもう何だかよくわからない涙を拭いながら、あんたのジャージなら車の中って黒田に言うと、今いらねぇよあっちーのにって返答が返ってきた。じゃあ何の用でこっちにきたわけ、いつも私が泣いてる時に現れて一体何のつもり。しかもいつも私慰めるみたいなことして、黒田のくせに。むかつく、こっち見んなバカ。

「つかなんでオレが千歳慰めなきゃいけねーワケ
 オレ荒北さんに勝ったのに。褒めろよ」

慰めてくれなんて一度だって頼んだことないじゃん、毎度たまたま居合わせてるだけのくせに恩着せがましい。何しに来たのかと思えば荒北先輩に勝ったから褒めろ?何それ。意味わかんない。でもまぁ...荒北先輩に勝つために黒田がずっと頑張ってきたのは知ってるし、荒北先輩に挑んでは負け続けてきた黒田がやっと掴んだ初勝利だ、ちょっとくらいなら褒めてやらないこともない...かな。

「そんなのたまたまじゃん、
 一回勝ったくらいで調子に乗んなバカ
 ...でもよくやったと思う、この調子で頑張れ」
「また上からかよ...なぁ、ご褒美とかねーの」
「なに言ってんの、そんなのあるわけ、」
「じゃ、これでいいわ」

そんなのあるわけないでしょって言うはずだったのに、黒田の言葉に遮られた。これって何よって思う間も無く私の身体がバランスを崩して大きく揺れた。視界は銀色に埋め尽くされて、肩と唇だけが異様に熱い。それは時にしてたった数秒の出来事、それを正しく認識出来たのは黒田が私から離れて少ししてからだった。

「えっ...なっ...」

肩が熱かったのは黒田に肩を引き寄せられたから。
ーーー唇が熱かったのは、黒田の唇が私のそれに触れていたから。
あまりにも衝撃的で瞬きも出来ずに、ただ目の前の黒田を見つめる。
何、今の、もしかして、キス?黒田が私に、何で、

「せいぜい意識しろバーカ」

そう捨て台詞を吐いて黒田は私に背を向ける。去ってく黒田の後ろ姿、耳だけが赤く染まってた。
思わず口元を手で覆うと触れた指が唇の感触を思い出させて、私の顔も黒田同様きっと赤く染まってる。
意識なんてしてない、意識なんてしてやるもんかって思うのに頭の中は黒田のことでいっぱいで、あぁもうまた胸の中が変だ。

「ファーストキスだったのに...バカ黒田...」



モノクロ*ノーツ 23
意識なんかしてやるもんか / 2018.02.03

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