気が乗らないながら八寒地獄に来てみれば、真っ白な世界では相も変わらず風雪が吹き荒んでいた。
羽織の上に蓑、手袋はムートンのミトン、更に菅笠に耳当てと厳重な装備を纏ってきたつもりだが、どうしても肌が剥き出しになってしまう顔面が痛い。
いっそのこと面でもつけてしまえば多少寒くなくなるのだろうか、いやそんなことをすればただでさえ悪い視界が悪いどころじゃ済まなくなる。
婀陀咤、呵呵婆、虎虎婆などとはよく言ったものだ、こんな所に居ては喋れなくなるのも当然ですね。
ならばさっさと用事を済ませてさっさと帰るに限る。凍て付く吹雪に刺されながら、私は八寒本部へと急いだ。

*

「これは...なんというか...」

集落になっている本部に着くと、そこは異様な空気に包まれていた。
どう表現したらいいものか、外観には先日訪れた時と何の変わりも無いというのに間違いなく何かが起こっていると誰にだって判るだろう異質な、例えるなら霊の居る屋敷に入り込んだときのようなそれがある。
何の変哲もないそこに足を踏み入れれば得体の知れない気配にゾッと背筋が凍るようなそれとは真逆に、今私の体は凍えてきっているはずなのに芯から熱くなっている。
さて、まるで不可解なこの現象をどうしてくれようか。
一先ずその辺でふらついている八寒の獄卒に聞いてみる他ないでしょう。

「大丈夫ですか、今八寒はどうなってるんです?」

千鳥足ながらもどうにか働こうとしている通りがかりの雪鬼を一人捕まえて尋ねてみた。
頬を紅潮させた彼は目も虚ろで、真っ白な息を荒く吐き出しながら氷の塊を積み重ねて作られた建物を指差した。

「ほ、鬼灯様、あのイグルー...」
「あのイグルーがどうしました」
「あのイグルーが原因です、あそこから何かが...!」
「あそこには何が?」
「先日保護した鬼女...が...」
「鬼女?あぁあの氷漬けの」

原因が分かっているのならどうにかすればいいじゃないですか。
そう言おうとしたが、これ以上はもう近付けないんですどうにかして下さいと付け加えられて、それは言葉にならずに終わった。
何故近付けないのか理由を述べなさい理由を!それを言わずしてどうにかしろと言われても困るでしょう!
とは流石に息も絶え絶えに病気のような症状を押してまで働いている彼に言う訳にはいかず、これもまた喉の奥にしまい込む。
代わりに溜息が一つ、氷点下の世界に白い霧となって消えていった。
今にも倒れそうな彼に礼だけ言って指差されたイグルーのほうへ向かって行くと、一見何も問題無そうなくせに近付けば近付く程身体の熱が増していく。
この感覚には覚えがある、長い間ご無沙汰で忘れかけていた感覚だ。
そういえば先日図書館でたまたま見つけたあの文献、あり得ない設定の夢物語だと思っていましたが、もしあれがフィクションではなく実際にあった話なのだとしたら...

「成る程、確かにここが源のようですね
 ここから離れなさい、出来るだけ遠くに!
 ここは私がどうにかします!」

精一杯大声を張り上げてそう言うと、疎らに見えていた人影は散り散りに去って行った。
人払いは出来た、あとは脳内に思い浮かんでいるこの仮説を検証するだけだ。
本当にもしこれが、もし氷漬けだったあの女性が色鬼なのだとしたら、この現状を打破する為の方法は一つしかない。
いざイグルーの中へ、低い入り口の淵に頭を打たぬよう身を屈めて前進する。
イグルーの中だから暖かいのか、身体の内から無尽蔵に湧き出してくる火照りのせいで暖かいのかは定かでないが、室内は仄暖かく防寒着は必要無かった。
対八寒用の重装備をその場で脱ぎ捨てて、遠慮など無しにずかずかとイグルー内を進み、私は目の前にぶら下がる室内を区切るカーテンに手をかけた。

「っは...これは中々...」

布を一枚隔てていただけでこんなにも違うのか、カーテンの向こう側はまるで別次元のようでカーテンの端を握り締めたまま纏わり付く空気にぶるりと身震いしてしまう。
狭い部屋の中には寝具が一組、その上に一人の女性が横たわっている。
先日見た氷漬けの、漆黒の絹糸のような髪が印象的な彼女は私に気付くとゆっくりと上体を起こしてこちらを見据えた。

「...だ、れ」
「初めまして、私は八大地獄の閻魔大王第一補佐官
 鬼灯と申します」
「地獄...?」
「此処は八寒地獄です、貴女、お名前は?」
「...千歳」

端麗な容姿に似合う透き通るような声が耳を通って脳髄に痺れる。それだけで私は仮定が証明されたと確信した、あれは夢物語でもなんでもない、色鬼は実在したのだ。

「千歳さん、早速で申し訳ないのですが」
「っ!?何、をっ...」
「あぁやはり...貴女が原因ですね」
「離せっ...!」
「すみません、
 このままでは地獄の運営に支障が出ますので
 というかもう既に出てますし、
 原因を解決させて貰います」

申し訳なさ程度に名前を尋ねたのは、流石に名前も知らない相手と肌を重ねるには些か抵抗があったからだ。
折角起こした上体は再び寝具の上へ、か細い腕を掴んで押し倒すと、異変の根源である彼女の色香に私の強固だったはずの理性は跡形も無く砕け散る。

「っ色鬼に生まれた貴女が悪い
 流石の私も、もう、限界です」



色鬼の氷結 弐ノ弐
異変ノ原因 / 2017.12.07

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