「で、佐久間ちゃん何であんなに渋ってたの?」

箸に乗せた雑穀米を口に運びながら私は隣に座る彼女に問うた。
今日の日替わりランチは30品目バランス定食、オフィスから2階層上にある20階の社内食堂に正規の休憩時間より少し早く来れたお陰で人気の窓際カウンター席に座れたのはラッキーだった。
ほら、見晴らしの良い席で美味しいもの食べて元気出しなよ、なんていう慰めに大した効果もなく、未だぐずる私の後輩は箸先で筑前煮をつつきながら唇を尖らせている。

「前から楽しみにしてたんです...
 死ぬ気でチケット取って...
 有給だって2ヶ月も前から申請して...
 yuuの凱旋帰国記念サイン会、顔出し初ですよ!?
 写真集にだって素顔載ってないのに!
 日本だけ特別の!
 メディア嫌いのyuuが今後こんなことしっこないし
 今回が最初で最期のチャンスなんですぅぅ
 行きたかった...行きたかったぁぁ」
「へ、へぇ...」

小鉢の中をころころ転がる里芋を突き刺して、佐久間ちゃんは深々とうな垂れる。震えた声で紡がれる言葉をうんうんと頷きながら耳を傾けていた私の頭の中で、彼女が唱えた言葉が木霊した。

『 yuuの凱旋帰国記念サイン会 』

どくんと大きく心臓が揺れて、あの夏の記憶が色鮮やかに蘇る。青く澄んだ空に浮かぶ白い雲、駆け抜ける自転車、目を引くイエロージャージに靡く緑ーーー
まさか彼女の口からその名前が出てくるなんて思いもよらなかった私は、箸が止まりそうになりながら味がしなくなったおかずをひたすら噛んでは飲み込んで、表情が変わらないよう必死になって平静を保とうと努めた。
記憶の中の彼が今や有名人になってしまったのも、勿論サイン会の件も、そのチケットがかなり入手困難だったのも知っている。
もしサイン会に行く予定で、それが仕事でおじゃんになったとしたら私だって佐久間ちゃんほどじゃないにしろきっと凹んでいたことだろう、それは理解できないこともない。とはいえ部長に直談判するほどか?と言えば答えはNOだ。

「あ、今引きましたね先輩、
 サイン会ごときって思いましたね?
 今をときめく日本人デザイナーのブランド、
 イギリス発祥LEN.MAXIMA!
 その専属モデルを務めたのをきっかけに世界に
 羽ばたいた個性派モデルyuuをご存知ない!?」
「いや、知ってるけど...」
「ですよね!?ご存知ですよね!?
 これまでメディアに顔出ししてないのも、勿論?」
「ご存知です」
「ですよね!?だからこれがどれほど貴重なことか、」
「うん、わかった、わかったから!
 と、とりあえず食べて落ち着こ?」
「んぐっ、はひ...」

さっきまでとは打って変わって熱弁しだす佐久間ちゃん。
本格的に昼休みに突入し、空席のほうが少なくなった周りの席からの視線が痛くて、私は彼女を宥めつつ咄嗟に煩いその口にだし巻き卵を突っ込んだ。
物理的に口を封じた甲斐もあってか少し落ち着いた彼女はそれを飲み込むと、今度は箸に刺さった里芋を咀嚼し始める。
目の前の食事を片付けながらなおも彼を語る佐久間ちゃんの話をただ情報として知っているだけのふりをして私は黙って頷く、ざわめき立つ内心を押し込めて。

「はぁ...本当なんでこの日に会議が被っちゃうかな...
 折角のチケットもったいないし、
 生yuu見れなかったとしてもサインくらいは欲しい...
 ねぇ先輩、代わりに行ってきてくれません?」
「は、えぇ?」
「11月29日、何か予定あります?」
「えっ...と...ない、けど...」
「私が出した有給申請、
 先輩が代わり休めるようにしとくんで!
 お願い先輩、一生のお願い!」
「え、えぇ...」
「...だめですか?」

彼が日本に帰ってくるのを知っていて、サイン会の抽選に応募しなかったのは今更彼に会うなんて怖くて出来ないと思っていたからだというのに、突如降って湧いた再会のチャンスに動揺は隠せない。
私のことなんてきっと覚えてないだろう、世界に羽ばたいた彼だから。見えないところで応援してる、それくらいの距離がいいのに...

「はぁ...もう、今回だけだからね?」
「やったー!ありがとうございます先輩!」

私の過去の記憶など知り得ない目の前の彼女に罪は無い。可愛い後輩にすがられて断れるわけもなく、気は乗らないながらに私は渋々それを承諾した。

イベントはまだ2週間先。
それまでの間に私の記憶の中の彼、
あの夏の話でもしようかーーー



サイハテ 03
一生のお願い / 2017.10.02

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