先を行く荒北さんが腰を落ち着かせたのは、この前と同じ女性専用車両が停まる場所にほど近い一人掛けの椅子が並んだだけのベンチだった。
荒北さんは背中のリュックが押し潰されるのも気にせず身を投げるようにそこに座ると、隣の椅子をぽんぽん叩く。
ここに座れってことだよね、私はそっと荒北さんの隣に腰を落とした。肩が触れそうで触れないくらいの距離感に、引いたはずの熱がまた顔に集まりそうになる。
落ち着け私、深呼吸、深呼吸。
前と同じ席なのは意図的なのか、たまたまなのか、どちらにしてもまた同じように並んで座れていることが何だか奇跡のように思えて、頭の中でメサイアのハレルヤコーラスが鳴り響いていた。
嗚呼、主よ、感謝します。今この瞬間、荒北さんの隣に居られて私はとても幸せです。
なんちゃって、そんなこと祈られたら神様は困るかな。

プシュッと爽快な音を立ててボトルキャップを開けると、荒北さんは黒褐色の炭酸をごくごくと飲んでいく。私も貰ったボトルを開けて軽く一口、レモンの香りが鼻を抜ける。
今日もまた荒北さんが手にしているのはベプシのボトルで、よっぽど好きなんだろうなってその姿を見つめていると、前に見た時よりも荒北さんの肌が少し小麦色になっているような気がした。

「...荒北さん、ちょっと焼けました?」
「おーよ、こないだ晴れた日だいぶ外走ったかんなァ
 あーそうそう、白崎チャンが折りたたみ傘
 忘れってった日だわ、確か
 結局あの日雨降らなくて良かったねェ?」

そう言って意地悪な笑顔を見せる荒北さん。
そうだ、そういえばそんなこともあったっけ。
忘れないようにって折りたたみ傘を玄関の靴箱の上に置いといたのに、部屋にちーちゃんに貸すCDを忘れて取りに戻って、そのまま家を出ちゃったんでした。
忘れ物を取りにいって、別の物を忘れる私って一体...
いつもはそんなことないんですよ、
たまたま、そう、たまたま!
弁解しようと口を開いたけど、言い訳したって傘を忘れた事実は変わらないわけで、もごもごと言葉を濁して荒北さんから視線を逸らす。

「そっ...そのことは忘れて下さい...」
「ッハ!週末も晴れっといんだけどなァ」
「週末何かあるんですか?」
「チャリの大会出んだよ、美鈴湖の」
「そうなんですか、週末の天気はどうだったかなぁ...
 ところで自転車のレースって何するんですか?」
「チャリのレースってのはぁーーー」

話題を変えるチャンスを逃さず傘の件のことは無かったことにして荒北さんを見上げると、彼はどう説明したもんかと難しい顔をしていた。
でもそれも一瞬のことで、大きくて骨張った手を宙に浮かせて身振り手振り、時折考え込みながらも私に解りやすいようレースについて説明してくれた。
荒北さんの話を要約すれば、トラックを自転車でぐるぐる走ってタイムを競う、みたいなことらしい。
今回はトラックだけど大会によっては公道がコースになることもあるそうで、富士山チャリで登ったときはしんどかったなって言いながら、荒北さんは嬉しそうに笑ってた。

「って、ンな話、楽しくねーよな」
「そんなことないですよっ!
 荒北さんの話、私、好きで...す...」
「お、おぉ...あんがとネ...」

生き生きと自転車の話を語る荒北さんを見てて楽しくないわけがない。むしろもっと聞かせて欲しいくらいなのにって思いが暴走して、余計なことまで口走ってしまった。
今、私、荒北さんに、好きって言っ...!?
はっと気付いたときにはもう遅くて、荒北さんも驚いた顔してる。さっきまでの盛り上がりもすっぱりさっぱり消えてしまって妙な空気感に包まれた。

「あー...オレの話ばっかじゃなくてサ、
 白崎チャンの話も聞かせてよ」

頭をガシガシ掻きながら、荒北さんがそれを打破しようとぎこちなく私に問いかける。

「えっ、えーっとぉ...んん...」
「何かないのォ?」

何か、と言われるとなかなかピンとくる話が出てこないもので、先生が美術室でやらかした話は内輪の話過ぎて面白くないだろうし、持ってったCDの中身が別のCDだった話は...ダメ、また荒北さんに笑われちゃう。
えーと、えーっと...あっ、そうだ!
今日お母さんに頼み込んで取り付けた約束の話!

「来週からの期末テスト、いい点とれたらスマホ!
 買って貰えることになりました!」
「いいねぇソレ」
「スマホになったら、私とLINEして貰えますか...?」
「ン、楽しみにしてるわ」
「っはい!」

そう言い切ると、タイミングよく電車がゆっくりと速度を落としながらホームの中へ入ってきた。
立ち上がる荒北さんに続いて私も、小さなペットボトルは鞄の中に大切に入れておく。猫背気味の大きな背中を追いかけて、プシューと扉は開かれた。

「行こうぜ、白崎チャン」
「はいっ」



AとJK 3-5
ハレルヤ / 2017.09.13

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