8月1日、神奈川県藤沢市江ノ島。
見慣れているはずの景色は沢山の人で埋め尽くされて、まるで違う所に来たような感覚になった。
まだ午前中だっていうのにジリジリと照りつける太陽の下、熱気溢れる雰囲気に飲まれて余計身体は熱くなる。
選手じゃない私ですら高揚感と緊張感でいっぱいなんだから、サイクルジャージにゼッケンを付けた彼らは尚更だろうな。

*

「千歳、これメモリーカード入ってねんだけど」
「そこの鞄の右ポケットの中にない?」
「あ、あったわ、サンキュー」

スタートを間近に控え、箱根学園と書かれたプレートがぶら下がるテントの中、給水所用の物資の準備をしている私の後ろで黒田が言った。

「ッチネン!これ持ってけ」
「はい、黒田先輩!」

手にしたハンディカメラにメモリーカードを差し込み、慣れた手付きでそれを起動しながらテントを出て行く黒田はF組トーナメントが終わって以来、何か文句を言うでもなく寧ろ率先してサポート業に勤しんでいる。
元々要領のいい黒田が手伝ってくれるのはマネジとしたらとても助かるのだけど、やっぱり違和感は拭えない。
律儀に私との約束を守ってくれてるんだろうか、その点は評価してやらないこともないよ黒田。

「千歳ちゃん、最近一層ユキちゃんと仲良しだよね
 ...もしかして、付き合ってる?」

黒田の姿が見えなくなって、隣でしゃがみこむ葦木場くんがサコッシュにボトルやら補給食やら詰め込みながらじっとりした視線を私に向けてくる。
2Lのミネラルウォーターのボトルキャップと格闘していた私は、唐突な問い掛けに一瞬目が丸くなった。
どこをどう見たら仲が良いって思えるんだろうか、そりゃ最近黒田がよく手伝ってくれるから話す頻度は増えたけど。
とは言えそれは殆ど業務連絡なわけで、もしこれで私と黒田が付き合ってるんだとしたら、さぞかしドライな恋人関係ですねって話だ。
私だったらそんな恋人関係御免被りたい、っていやいや、黒田が恋人って前提がまずおかしいから!

「あはっ、そんなのあり得ないあり得ない!
 もー、変なこと言わないでよ葦木場くん」
「だって白黒コンビも板についてるし、
 名前呼び捨てだし...ねぇ千歳ちゃん、
 誰にも言わないから、本当のとこは?」

なおも疑いで満ちた群青色の瞳で見つめてくる葦木場くんは私の手からペットボトルを奪うと、難なくそのキャップを開けてみせる。
葦木場くんが持つと2Lのペットボトルも小さく見えるなぁとか、しゃがんでるのに私が膝立ちしたくらいの高さだなぁとかぼんやり思いながら、私は差し出されたペットボトルを笑顔で受け取った。

「本当のとこもなにも、何もないって黒田とは
 名前呼びだって、どうせただの嫌がらせだよ
 名前で呼ぶなって何回も言ってんのに聞かないから
 もう諦めてるけど、私は大変不服です」
「そうなの?」
「そうなの!
 葦木場くんみたいに勘違いする人が多くて
 やんなっちゃうよ、もう」

そう強く言い放って、箱根学園のロゴが描かれたボトルにミネラルウォーターを注ぎ込む。勢いよく落下していく水の飛沫が数滴顔に散った。
言われてみればいつからだろう、黒田が私を名前で呼ぶようになったのは。前から時々わざとらしく名前で呼んでくることはあったけど、そういえばここ最近めっきり苗字で呼ばれない。
私に対するささやかな復讐?小さい男だなぁ黒田は。
ぐらりと揺れたサイクルボトルを慌てて押さえ、たっぷりと淵ぎりぎりまで、なみなみと注いでから飲み口を取り付ける。きゅっきゅと音を立てながらしっかりと封をして、それをサコッシュの中へ。
あらかた準備が整ったところで、スタート5分前を知らせる会場アナウンスが鳴り響いた。

「っと、この話はもうお終い!レース始まっちゃうよ
 葦木場くん、手伝いありがとね」

まだ何か言いたそうにしている大きな背中をぐいぐい押して、日差しの下に追いやると、葦木場くんは少しむくれた顔をしながらもスタート地点へ向かって走り出す。

始まるんだ、ついに、インターハイが。
逸る心を抑えながら、私は一人テントに戻る。
最高のサポートをしてみせるから。
頑張れみんな、勝って箱学!



モノクロ*ノーツ 10
インターハイ初日 / 2017.09.04

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