追い風に乗った真波の背中に翼が見えた気がした。

突然吹いた南風が木々を大きく揺らし、湿った土の匂いを運ぶ。空を切って大きく羽ばたいた真っ白な羽根の先がオレの右腕を掠めて、ふわりと舞った一枚の緑の葉が抜け落ちた羽毛のように思えた。
次の直線で抜きますと宣言したのは心理戦だった?
違う、真波は風を読んでたってのかよ。
一瞬の出来事に反応出来ずに茫然自失とする。
止まりかける脚、ペダルが重い。

っ諦めんな!まだ終わってねぇ!
回せ!この脚が千切れるまで!!

ゴールまで残り10km切った旧1号線、得意のつづら折りの登りで追い抜かれ、満面の笑みを浮かべた横顔をその時見たのを最後に、結局そのままゴールまで真波の顔を見ることは出来なかった。
全身全霊でペダル踏んで登り切った坂の上、ギャラリーの待つゴールラインを目前に、グリップを握る手に力がこもる。地に伏す顔面からぽたりと落ちた水滴がフレームを濡らした。

ーーー負けた、真波に、1年に!

インターハイメンバーの最後の1枠が決まって沸き上がる歓声の中でリアホイールからのラチェット音が虚しく響く。
止まった伴走車からインハイメンバー達が次々降りてくるのが視界の端に見えたのに、オレは顔を上げることも出来なかった。荒北さんも、塔一郎も、後ろであの瞬間を見てたんだろ?

『絶対勝てる、一緒にインターハイ行こう雪成ユキ!』

任せとけ塔一郎、っつったのに。

『黒田は相当強ぇーよ』

オレの知らないとこでそう言ってくれてたんだって、知ってんすよ荒北さん。
オレ、あんたの期待に、応えられなかった。

『黒田、有言実行!』

白崎なりに応援してくれてたんだろ。
なのにオレは...

「悪い塔一郎、一緒に走るの来年になっちまった」
「...いいよ雪成ユキ、よく頑張った」
「お前だけでもさ、先輩達を一番にゴールに...」
「わかってる」

真っ先にオレに駆け寄ってきた塔一郎がオレの背を叩く。そんな目で見んなよ、塔一郎。
哀れんでるとかそういうんじゃない、純粋に心配してくれてる目だ、わかってる。
わかってんのに見下されてる気分になっちまうオレはどれだけ根性ひん曲がってんだ...

雪成ユキ、向こうで休んできなよ
 監督と先輩方にはボクが言っておくから...」
「...悪い、頼むわ」

喧騒から逃げるように部室棟の後ろに回り込んだ。
サドルから下りてグリップの手を離せば、ガシャンと大きな音を立てて横倒しになったクォータの車輪がカラカラ回る。怒りに任せて脱いだメットも投げ捨てて、座り込んだコンクリートの上で頭を抱えた。
様々な感情が頭ん中を駆け巡る。悔しい、情けない、苛つく、なんで、勝つって、オレはーーー

「なーに落ち込んでんの黒田」

ザリッと小石が擦れる音がするのと一緒に白崎の声がした。何で来んだよ空気読めよ今お前の顔なんか見たくねんだよ。

「るせーどっか行け」
「残念だったねぇ、今日のレース」
「...どっか行けよ白崎」
「さっきの約束、忘れてないでしょうね?
 私の言う事ひとつ聞いてもらうから」

オレの言うことも聞かずに足音はどんどん近づいて来て、ついに目の前に立った白崎の影がオレを覆う。
いつも通りのツンケンした声で、何なんだよ白崎、オレを責めに来たのか。応援してやったのに、チャンスをものに出来なかったオレを笑いに?
大口叩いたくせにカッコ悪りぃって?知ってんだよそんなの!オレが一番わかってんだよ!!

「聞いてんのかよ!どっか行けっつってんだろ!?」
「やっとこっち見た」

抱え込んだ頭を上げて白崎を睨み付けるように見上げると、予想以上に近いところにそいつは居た。
一瞬怯んだその瞬間、白崎の手がオレの両頬を掴んだ。長い睫毛に囲まれた大きな黒目がオレを見る、真っ直ぐに。

「あんたが今出来ることは何?腐ることじゃないでしょ
 インハイ走れなくても、チームが、箱学が勝つ為に
 出来ることなんていっぱいあんの
 レースに出るだけが勝負じゃないんだからね!
 今はサポートに徹して、チームで勝ちを取りに行く
 インハイで走りたいなら来年走れ!
 落ち込む暇があるんならペダル回しなさいよ
 今よりもっともっと強くなって来年も優勝して、
 表彰台から私を見下ろしてみせてよ、
 出来んでしょ黒田なら」

長い口上を語る間、白崎は瞬きすらしなかった。
オレのこと嫌いなくせに、笑わないのか無様なオレを。
慰めの言葉はない、励ましでもない、言ってしまえばこんなのただの煽り文句だ。
なのに何でだろうな、不思議と心が落ち着いていく。

「...っは、上からか、葦木場目線か
 つーかそれ、ひとつじゃねーし」
「何言ってんの、いつも上からな人に言われたくない
 勝つ為に出来ることを全力でするって意味では
 ひとつでしょ?せいぜい頑張ってよね、雪成くん!」

頬から手を離してオレの額に軽いデコピンをお見舞いすると、光を背負った白崎はパッと花が咲いたみたいに笑った。
長い黒髪を揺らしながら右向け右して、それ以上何も言わず白崎はこの場を去っていく。遠くなってく足音を聞きながら、オレは深く息を吐いて天を仰いだ。
上等だ、やってやるよ。くだらねープライドなんか捨てて、何だってやってやる。

頭上に広がる真っ青な空、
その鮮やかな青を、オレはきっと忘れない。



モノクロ*ノーツ 09
敗北の先に見えたもの / 2017.08.20

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