長らく続いた雨模様、今日も空はどんより淀んだ灰色だけどアスファルトはもう濡れていないし、コースの路面コンディションは悪くない。
ひたすら続く筋トレとローラー回しにウンザリしていた部員たちは自分のロードを手にすると、久々の外練に喜び勇んで各々メニューをこなしに校門からスタートを切っていく。
今日の私のマネジの仕事は校舎の外周を周回する選手達のタイム計測。いくつかのストップウォッチとペンとバインダーを装備して、私は彼らが校門の前を通るのを待っていた。

*

「つーかお前、なんでマネジなんかやってんの」

首に下げた白のストップウォッチを手に、せっせとデータをメモする私の隣で黒田が言った。さっき取った黒田のタイムの載ったバインダーをめくり、それを見ながらぶっきらぼうに。
マネジ "なんか" とは失礼な。あんたが持ってるその黒田雪成データ集、コースにタイム、フォームの変更点からその日の天候気温まで分かりやすく表やらグラフに纏めたそれを作ったのは私だと知っての狼藉なのか。
口のきき方には注意しなよ、このやろう。

「...なに、私がマネジだとなんか都合悪いわけ?」
「んなこと言ってねーよ
 お前ならマネジみたいなサポート役じゃなくても
 他のなんかで活躍できただろ」

データ集を指先でコンコン叩いて、スポーツだって何でも出来るし、と黒田は付け加える。
何で突然そんな質問を投げつけてきたのか訳がわからない、からかってんの?
顔を顰めて黒田を見ると、墨色の瞳が私を捉えてた。少なくともふざけているわけではなさそうだ。
そういえば最近、黒田の様子が何かおかしい。
前よりも大人しくなったっていうか、鼻にかけてたのがなくなってきたっていうか。1年生のときからやってる俺様ナンバーワンみたいな、何でも出来る俺カッケーみたいな、とにかく腹の立つあの表情もあんまり見かけなくなって、別にそんな顔もう見なくても、というよりもう見たくないけど、なんだか調子が狂うなぁと思う私も居たりする。
そのうえ荒北先輩に負ける度に吐き出していた先輩への悪口も、黒田の口から聞かなくなった。むしろ積極的に先輩に絡んでいってる黒田は、先輩を尊敬してきているのではという疑惑さえ浮かぶ。

「気持ち悪ぅ、褒めても何もでないからね」
「褒めてねーし!ポジティブか!」

褒めてないっていうなら一体どういうつもりで。
目の前を自転車が通り抜けるたびにストップウォッチを持ち替えてはボタンを押して、表示される数字をメモするのに私は今忙しいっていうのに、邪魔するくらいならそれ持ってってくれて構わないから他所に行ってくれないかなぁ。
ハァ、と溜め息をついてさりげなくアピールするけど、黒田はそこから動かない。
そんな時、凄いスピードで空色のビアンキがこちらへ向かってくる。私は青のストップウォッチに持ち替えて、前輪が白のラインを踏んだ瞬間ボタンをカチリ、走り去る荒北先輩の背中を見送った。
あんな小憎たらしい黒田を手懐けるなんてさすが荒北先輩、今日もペダルを回す先輩は格好いいな。

「黒田だって何でも出来るのに、なんで自転車なの」
「オレは自転車が一番やりたかったから。お前は?」

質問に質問を返して有耶無耶にしてしまおうと似たようなことを聞いてみる。しかし月並みな答えと一緒に返ってきたのは、またしてもさっきの件で、これって答えなきゃどっか行ってくれないやつだったりするんだろうか、するんだろうな、横からの視線が痛い。
こんな話、黒田にしたくないんだけど、やむなしか。

「...私は何でも出来るよ実際、自慢じゃないけど
 でもこれといってしたいことってなかったんだ
 例えばバレー部に入ったとして、
 当然私はレギュラーに選ばれるでしょ?
 そしたらその分、レギュラーになりたくて
 毎日真面目に努力してきた子がレギュラーに
 なれないわけで、努力したわけでもない情熱もない、
 ただ何となくバレーやってる私に頑張ってねって
 言ってくれる裏でその子が泣いてたりするの、
 そんなのもう見てられないっていうか...
 じゃあ私の能力を何か必死に努力してる人の為に
 使ったら、お互いハッピーなんじゃない?って
 気付いてさ、だから一番頑張ってる自転車部の
 マネジになったってわけ」

渋々語る、私がマネジになった理由。
これが案外いい発想だったみたいで、去年箱学がインハイ優勝したとき、私は飛び上がるくらい嬉しかった。自分が何かで勝った時よりも。サポートありがとうって先輩たちに感謝されて、こちらこそありがとうございますって泣けたくらいに。
その喜びを知ってしまった今、マネジが天職なんじゃないかって思うほど、毎日大変といえば大変だけど全然苦じゃないし、いっそこれが楽しくもあるのだ。
マネジなんかってあんたは言うけど、私は誇りを持ってやってんだからね!なんて柄にもないことまで言っちゃって。
黒田は黙ったまま私を見てる、ああもう、黒田なんかに何語っちゃってんだ私は。恥ずかしいやつだとでもさっさとツッコミを入れてくれればいいものを、無駄な沈黙で余計辱められてる気分になる。
今日に限って、何で黙ってんのバカ黒田!

「...何よ」
「いや、意外だなって」
「自分で聞いといて失礼なヤツ、話すんじゃなかった!
 ぼさっとしてないで練習戻りなさいよ
 私忙しいんだから!ほら、それももう返してよね!」

黒田の手からバインダーを奪い取って、私はわざと大げさにそっぽを向いてやった。もちろんタイム計測は忘れてない、ストップウォッチは握り締めたまま。
自らに立て掛けてたクォータを持ち上げて方向転換した黒田は、サドルを押してカラカラと音を立てながら去って行く。
なんで何も言わないんだろう、いつものしょうもないツッコミはどこやっちゃったの黒田。
もしかして、体調でも悪いのかな...
少し心配になってチラッと横目で黒田を見ると、半身だけ振り返った黒田は、

「...千歳、いつもサンキューな」

そう言ってクォータに跨ると、あっと言う間に私の視界から消えった。
銀色の髪が風で揺れる、その姿を私の脳裏に残して。

「名前で呼ぶな、バカ黒田...」



モノクロ*ノーツ 06
最近の黒田は何かおかしい / 2017.08.07

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