拒絶されるのが怖くなって必死になって誤魔化して、あげく泣きながら怒り始めるなんて、さぞかし面倒な女だと思われたことだろう。
私自身もう何を言っているのか、何を言いたいのかもわからずに、私を真っ直ぐ見据える紺色の瞳から視線を逸らしてここから逃げ出したいとすら思ってる。
いっそ、行きずりの女が何言ってんショ、とでも言ってくれれば諦めもついただろうに、癇癪を起こす子供みたいに無様な醜態を晒しながら、気付けば私の口は裕介くんのそれで塞がれていた。
掴まれた手は痛いくらいだったのに、いま私の身体を包み込んでいる彼の腕は嘘みたいに優しくて暖かい。零れ出た水滴を拭うように降ってくるキス、陽に透けた緑の髪が私を掠める。
そのままなし崩しに押し倒され、再度唇を裕介くんに塞がれて、忘れられなくなるからやめて欲しいと覆い被さる身体を押したが彼はびくともしなかった。
抵抗は無駄だと悟って彼を受け入れる、最後のキスはコーヒーの味がした。

「...お前がそうしたいんなら、
 なかった事にしてもいい。昨日の事は忘れちまえ」

ゆっくりと唇を離すと裕介くんはそう言った。自分が望んだことなのに、彼の言葉が胸に突き刺さる。
幸せだった時間は無かったことに、ここを去ってしまえば全てが終わりだ。じわりと滲む視界の先に見える裕介くんは私を見下ろしたまま、更に言う。

「代わりにこれから仕切り直すッショ
 ...千歳好きだ、オレの傍にいろよ」

裕介くんが何を言っているのか、分からなかった。
脳が情報を処理しきれない。
仕切り直す?全部無かったことにして?
確かにそれなら私の望みは叶えられてる。
そのうえ裕介くんの傍に居てもいいなんて、

「何それ、ずるい...」

茫然自失で彼を見つめ、自然とそう声に出ていた。

「クハッ!発想の転換ショ」

顔をくしゃっと歪めて裕介くんは笑ってる。
ハの字に下がった眉毛を見てたら何だかさっきまでの自分が馬鹿みたいに思えてきた。泣いたり怒ったりしてたのが茶番だったかのように。
そっか、仕切り直せばよかったのか...
突拍子のないその提案には妙な説得力があって、さすが奇抜なTシャツ着ているだけある、裕介くんの着眼点は普通の人のそれとは違うみたいだ。

「私も裕介くんが好き、傍にいてもいいの...?」

つられて笑ってそう言うと、裕介くんはショ、と一言だけ私に返した。
流れるような緑の髪に触れ、その頭を引き寄せて今度は私が裕介くんにキスをする。
さっきのキスは最後じゃない、これからもっとたくさんキスをするんだろうけど、私は今日のキスをきっと忘れない。舌を絡ませてるだけなのにやたら気持ちの良いコーヒー味のこのキスを。
私がそれに夢中になっている間に、さりげなく彼の手が私のワンピースから覗く太ももを撫でた。
上手く纏まった途端にこれって、裕介くんてば!

「っは...んん、待って、ここじゃ」
「兄貴は夜になんなきゃ帰ってこねぇ、それに...
 シラフの千歳を、いますぐ抱きたいッショ」
「裕っ...あっ...」

そんなこと言われたら、拒めるわけない。
光の射し込むリビングルームでなんて恥ずかしい気もするけれど、私も裕介くんと同じ気持ちだ。
洗いたてのシャツワンピースがシワになるとか、そんなの今はどうだっていい、目の前の彼を全身で感じたい。布の中に入ってきた手が熱くなってる私のそこに触れる、まさにその時、

『 グゥゥ〜 』

間抜けな音が部屋の中に響いた。
音源は私のお腹、咄嗟に手で押さえてみるけど意味はなく、更にキュルキュルと小さく鳴り続けている。折角のいい雰囲気が台無しだ。
何でこのタイミングで鳴っちゃうかな...

「...クハッ!腹ごしらえが先ってか、千歳?」
「だ、だって朝から何も食べてないし...」
「そういや昨日も大して食ってねぇよな
 んじゃ先、外に食い行くかぁ」

髪をかき上げながら身体を起こして、裕介くんはまた笑う。手を引かれて私もソファから立ち上がり、たくし上がった裾を直した。
長い髪を揺らして扉のほうへ歩いていく裕介くんの後を追うように、私もリビングの出口を目指す。そこでハッと思い出したのは、私いまスッピンという事実。

「待っ、大変裕介くん、私いまノーメイク...」
「問題ないショ、大して変わんねぇし」
「なっ!?」
「オレはこっちのが好みッショ」

振り返った裕介くんはそう言うと、私を引き寄せチュッと軽いキスをした。ほら行くショって扉を開けてスタスタと廊下を行く彼の後ろで私は顔が熱くなるのを感じながら、その背中を追いかける。
これって初デートになるのかな、なんて浮かれたことを思う私は、今、幸せを噛み締めている。

さぁロンドンの街へ飛び出そう、君と一緒に。



Jack spider 17
paradigm shift / 2017.07.22

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