頬に落ちた雪が冷たい。手袋をしてこなかったことを後悔しながら、ダウンジャケットのポケットに手を突っ込んだ。いつもしていたのに今日に限って忘れるなんて激ダサだぜと舌打ちをしたが、信号の所で立ち止まった恋人たちを見て、そういえば「寒がりなんだから手袋くらいしなよ」と言って俺に防寒具一式を渡してきた恋人とつい先日別れたことを思い出した。
付き合ってきた恋人と円満な別れ方なんてもんしたことねぇが、今回は半分同棲みたいなものをしていて一緒にいた時間も長かったので修羅場は壮絶なものだった。
女に殴る蹴るという暴行をしたことはないが、寒空の下に寝間着一枚で追い出され鍵を閉められた時は殺してやろうかと思った。扉をがんがん叩いて「ふざけんなよ! 出てこいテメェ! クソ女!」と怒鳴っていたら、案の定、隣人と大家の双方から攻められた。こういう時、女ってのは本当に得だ。可哀想なふりをして涙を流していれば庇って貰えるんだからよ。そいつは俺のチンコを「んなのいらないでしょうが!」と言って蹴り上げ、怯んだ俺を部屋の外へ追い出したというのに。

「あ――腹立ってきた」

思い出すんじゃなかったぜ! とマフラーに顔を埋める。信号が青になったので歩き出そうとした時、ポケットに突っ込んでいた携帯が震えたので、取り出すと長太郎からあと何分くらいで来れるかというメールが届いていた。
長太郎の文字を見て「10分前後」という適当な返事をしながら眉を顰める。そもそも、喧嘩したのはコイツが原因なんだが――いや、ただの八つ当たりだな。キレる女も女だが、長太郎に甘い俺が全体的に悪い。
元カノと喧嘩した日は長太郎から相談したいことがあるから明日会ってくれないか? というメールが届いていた。
何でも自分で決めて背伸びするのも得意で妙に大人びているアイツが気兼ねなく相談できる相手なんて先輩である俺くらいなものんだと知っていたので二つ返事で「いいぜ」と言った。
俺から長太郎に下らない用事で呼び出して愚痴をいうことはあるが(俺にとっても、あんな特訓に付き合わせた長太郎は自分の恥をすべて曝け出せる相手でもあるのだ)長太郎から俺に相談があるのは珍しい。
自分や周囲は能天気で天然だからストレスもたまりにくいと思われているらしいが、アイツは我慢強いだけなのだから。誰かが聞いてやらないとバランス取れずに倒れちまったらどうすんだ。んなの、俺は勘弁してぇな。アイツが病院のベッドで寝転んでいる姿とか見たくねぇし。
長太郎からメールを貰って返事をしてから風呂から上がってきた元カノに対して「悪い、明日長太郎と出かけるわ」といつもの調子で告げると、いきなり怒られた。俺がなにしたってんだ! 今からセックスやりましょうっていう雰囲気で下着一枚であがってきた元カノが剣幕に怒鳴りたてる様子を眺めながら睨み付けた。
始めはなにか理由がある筈だと、堪えろ、堪えろ俺――自分に言い聞かせながら元カノの言葉を聞いていたのだが、あの女「このホモ野郎! だいたい、アンタが何回私との約束、長太郎くんとの約束が入ったっていってドタキャンしたと思ってんのよ! んなにねぇ、長太郎くんが好きなら、あっちとセックスしてこいってんだよ!」とか言いやがった。この言葉にキレた俺は最終的に元カノから寝間着一枚で部屋の外に追い出されるという結末を迎えるわけだ。
なんでこの言葉にキレたかというと、俺は過去にも似たようなことを言われて、恋人と喧嘩別れしているのだ。長太郎のせいで――と思ってしまっても仕方ないだろう。
けど、良くわからねぇんだよな。俺はそんなに長太郎との約束を優先しすぎるあまり女を疎かにしたことはない。今回みたいなドタキャンだって三回目くらいだ。付き合っていた年数が三年くらいだから、年に一度だけだ。初めて付き合った彼女とは高校生だったこともあって、ドタキャンしまくりだけど、似たような理由で振られ続ければ俺だって気をつけるようになる。
「だいたいアンタが何回――!」と元カノは吐き出していたが、三年間付き合っていて三回ってんなに驚くような回数でもねぇだろう。まぁ、たまたま機嫌が悪かったんだろうけど、アイツにまで同じような台詞で振られるとは。もう暫く女はいいわ。


「宍戸さん――!」

ファミレスに到着すると、長太郎が席をとって座っていた。跡部には劣るが相変わらず庶民さま御用達のファミレスが似合わない容姿と雰囲気をしている。
俺は長太郎の前に「待たせたな」と言って腰かけた。今日は、元カノと別れた時に相談にのると言っていた話を聞きに来た。本当は翌日に聞いてやる予定だったんだけど、彼女が一刻も早く私の部屋に置いてある荷物をとりにこないと全部捨てるというので、その日は予定をキャンセルさせてもらった。手伝いにくると言ってくれたが、流石に別れる原因になった相手を来させるわけにはいかねぇし、ドタキャンしたのはこっちだからな。
適当に注文して、ドリンクバーでジュース汲んで席に腰かけて話を長時間聞けるように長太郎と向き合う。

「で、なんだよ相談事って」

長太郎はなんでか相談事ってあったっけ? という顔をしたあとに、思い出したかのようにあどけなく笑った。こいつの無邪気な顔は好きだ。昔から変わらない。ふっと周囲にいる人間の空気さえ和ませてしまう効果を持っている。

「ああ、ごめんなさい。もう良いんです」
「良いってなんで――」
「実は相談したかったことって宍戸さんの彼女、じゃないですね。元カノさんのことだったんです」
「え?」

マジで? と生唾を飲み込んでしまう。
長太郎は申し訳なさそうに眉を顰めながら「だから今日は純粋に宍戸さんと喋りたくて」と言葉をつづけたが、俺が何を話したかったのかちゃんと話せと睨んだので、おずおずと口を開いた。

「元カノさん浮気してたみたいで」
「うわ、き?」
「そうなんです。同じゼミの男なんですけど元カノさんと一緒にいるのを見てしまって」
「なんだよ、それ」
「俺、宍戸さんがいるし。宍戸さんみたいな人を恋人にしたら浮気なんかするはずないって思ったんですけど……ゼミの男にも確認して、それで元カノさんに聞きにいったら。あの人、俺のことも誘ってきたんです! も、もちろん俺は断りましたけど」

泣きそうな顔をして、長太郎は潤んだ眼を悔しそうに隠すように下を向いて下唇を噛み締めた。マジかよ。あの女。ふざけてんじゃねぇぞ。そりゃ長太郎のことでドタキャンされたら喚く筈だよな。長太郎がテメェのことを無碍に扱ったんだからよぉ。
コイツはこんな顔しているから女と遊んでそうに思われがちだけど、俺が知る限り彼女なんていたことねぇし。作ってやろうと思って合コンをセッティングして言い寄られているというのに、俺と一緒に帰ることを選択するような純粋なやつなんだぞ。この顔で童貞のやつに、なに浮気現場見せてんだよ。

「長太郎、悪かったな。よく言ってくれた。サンキュ」
「いいんです。だから宍戸さんがあの人と別れたってきいて嬉しいんです。ごめんなさい」
「謝んなよ。俺もその話聞いて、せいせいしたわ。あ――もう未練なんてもんねぇな」

残っていた未練を追い払うように伸びをして、飲み物が無くなってしまった空のグラスを見て、飲み物を汲みに行くかと長太郎を誘う。
立ち上がってドリンクバーへ向かう最中も長太郎は遊びの約束を沢山あげてきた。席に座って埋めていくと、長太郎との約束がびっちり入っている。まぁもう優先するべき彼女もいねぇし丁度良いだろう。気を使って遊びに誘っているのか、暫くがっつり遊べなくて寂しかったのか、どっちかわからねぇけど。長太郎と遊ぶのは楽しいし、良いだろう。久しぶりに三日連続でテニスとかもしてぇな。

「宍戸さんとの用事でいっぱいですね」
「まぁな。初詣も一緒にいくか」
「良いですね――あ、ようやくだな。時間かかったなぁ」
「ん? なにか言ったか」

なにか遮断された言葉が入ってきたような気がして顔をあげて長太郎の方を見る。
なんでもないですよ、と長太郎は首を振っていた。






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