久しぶりに地元へ戻ったのは青根の結婚式があったからだ。数歳年下の彼女と晴れて結婚した青根は喜びの笑みを零していた。珍しく笑っているなと背中からきらきらした眩い高校時代を共有した友人の後姿を眺めた。
それに、結婚式の誘いを受けた時、笹谷さんから聞いたのだ。
茂庭さんが彼女と別れたという噂話を。
俺はその内容の情報を与えてくる笹谷さんを見て食えない人だと溜息を吐き出した。いつから気づいていたんですか、なんて野暮なことは聞かない。自分から断定するのも可笑しな話だし。だから「そうなんですか」と癪に障る表情がまったく読めない返事をしながら「参加する」という要件を伝えた。
結婚式の二次会は同窓会も兼ねており、久しぶりに茂庭さんの後姿を見た。俺から見ても変わらない姿。ビールを飲んでいる姿は少し疲れて見える。
ふと、茂庭さんが何気なしに振り返った。俺は心臓が少女漫画の生娘かよ、と揶揄したくなるほど飛び上がった。目線を逸らすのも不自然だが、合わせていると恥ずかしい気持ちになってきて視線を宙に泳がせた。あ――嫌だ。この人と一緒にいると何時だって、学生時代に戻った気持ちになる。青春スーツ丸々着込んでいる感覚がして、俺は泳いでいる魚だ。
けれど、あの頃の自分の方がとても好きだ。今も、上手に生きているとも下手糞ともいえない、中途半端な自分より。

「二口――」
「茂庭さん、お久しぶりです」

頭を直角に下げると茂庭さんは驚いたように目を見開いた。何そんな、驚いているんだ。

「いやぁ、礼儀作法が出来るようになったんだなぁって。就職してからまったく会ってなかっただろ」
「俺は昔からこうですよ」
「昔は、頭下げたかと思えば直ぐにあげていただろう。大きくなったなぁ」

まるで子どもを見るような視線で見てきた。こういう時、茂庭さんにとって俺という存在はいつまで経っても生意気で面倒事を押し付けられる一つ年下の後輩なのだと自覚する。それがムズ痒くて、同時に落ち着く。

「もう、入社して5年目ですからね」
「はは、そうだよな。けど二口が大学卒業して五年って。高校時代ってもう十年も前か―――」

悠遠を見つめるかのような眼差しに茂庭さんはなった。十年と言われ、年月の重みが双肩にずしっと伸し掛かってきた。

「まぁ久しぶりに会えたんだから喋ろう、二口。用事はないだろう?」
「そりゃ、結婚式なんで一日中空けてますけど」
「なら良かった」

茂庭さんは俺にビールを注いだ。注がれていると鎌先さんとか笹谷さんとかが寄ってくる。青根は花嫁の横で近づいてくる来客達に頭をぺこぺこ下げているので、この場にはいないが、まるで高校時代、そして飲み会に集まっていた時に戻ってきたかのようだ。自分から避けてあの場所を出て行って勝手に落ち込んでいるのに、変わらないこの人達が相変わらず羨ましくて堪らなかった。

「しかし、青根が一番初めに嫁さん貰うとはな――」

鎌先さんが酒をジュースのように飲みながら唾を飛ばし喋りまくる。その横で「鎌ちだって藤野さんともうすぐだろう」と茂庭さんが鎌先さんの彼女と思われる人の名前を出した。親しみが籠った口調だったので会社の同僚など幾度も面識がある人なのだろう。
酒を飲みながらぐびぐび話は進む。
この人達は飲むスピードが速いが今日のスピードは異常だ。いくら祝いの席といえ特に茂庭さんは飲み過ぎのような気がした。
時間があれば飲み会を開いて集まるような人達だからお酒に強い人は多いが、各々、嵌めを外さないように調節が出来る人達だった。だから、こんな風に自己管理が出来ないんじゃないかと俺が危惧するような飲み方をするような人じゃなかった。

「ちょっと茂庭さん――」

泥酔した茂庭さんが千鳥足で俺の肩にもたれかかってきた。奈良漬がまるまる入った匂いがして、俺が来る前からどれだけ飲んでたんだこの人――! と呆れたくなる。理性が持ちそうにないから俺に無防備な顔を見せるのは止めて欲しいと下唇を噛み締める。

「二口」
「笹谷さん。なんですか」
「茂庭もうヤバイから連れて帰ってくれる?」

年季のこもったニヒルな笑いを零した笹谷さんは俺の背中を押した。準備良く用意されていたタクシーに押し込まれる。気付いたら青根と全然、喋ってなかったけどアイツには後日、改めて会いに行けば良いか。大勢の前で自分のことを喋るのが得意なタイプでもないからな。お互い。
それより笹谷さんだ。俺の気持ちを知っていながら、随分な扱いだと唇を尖らせる。けど、俺の肩で規則正しく揺れる茂庭さんの寝息は心地よい。暫くの間だけ、この狭い社内で茂庭さんを独占しているような気持ちになる。
タクシーの料金は俺が払っておこう。普段なら茂庭さんは年下のお前に払わせられるか! なんて言ってくるだろうけど、田舎の工場で働いている茂庭さんと東京で一応一流企業で働いている俺とでは貰っている給料はボーナスを含めると俺の方が上だろう。それに偶には先輩風を吹かせるこの人が俺に甘えてくるといった疑似体験をしてみたかった。

「二口――」

泥酔していると思った茂庭さんの口が薄ら開く。酒臭くて色気もない筈なのに、俺から見た茂庭さんは襲って下さいと言わんばかりの表情をしていた。

「なんで暫く帰ってこなかったんだよ」
「え?」

まさか気にされているとは想像していなかったので、思わず疑問の声が漏れ茂庭さんを眺める。茂庭さんは酒のせいか泣きそうな顔をしていた。潤んだ眸。俺がこの人の、こんな張り裂けそうな弱弱しい姿を見るのは初めてだった。引退試合の時だって気丈に胸を張り、同学年だけの空間にならないと泣かなかったような先輩達だ。

「俺さ、なにかしたのかなって……――あの時、彼女が出来たばかりで浮かれていたし、お前になにか失礼なことしたんじゃないかって気になって……――」

茂庭さんがぐずっと鼻水を啜っている。
俺は心臓が飛び跳ねそうなくらい動揺して、思わず大声で「違います!」と怒鳴ってしまった。
肩に寄り掛かった茂庭さんの腕を掴み向き合うような体勢になる。
違う、違うんだ――茂庭さんは何一つ悪いことはしていない。俺の問題だ。そもそも、彼女が出来たのだって当たり前じゃないか。成人男性に女がいることの何が可笑しいっていうんだ。

「俺、おれの仕事が忙しかっただけなんです。いや、ほんと会社勤めが大変で。ぜんぜん、ぜんぜん茂庭さんのせいってわけじゃなく、て、ですね」

上手く喋れない。視線を逸らし、座席に引かれた透明のビニールシートを眺めてしまう。
普段なら、軽く浮くような言い訳が簡単に飛びだすというのに茂庭さん相手には、同じようにいかない。理由は分かっている。この人が俺に対して向けてくる言葉はすべて重みを持っていて、俺がこの人に向ける言葉は測りきれない重量を孕んでしまっているからだ。
それに、好きな人を悲しませておいて、自分はなんて身勝手なんだ――という感じだが、茂庭さんが俺のことを気にかけてくれていて嬉しかった。五年間も音信不通だった俺のことを。

「ちょっと暇になったんで、また帰省した時は集まります」
「ん。なら、いいんだけど。こっちこそ、突然、変なこと言い出してごめんな」
「べ、別に。茂庭さんの頼みならしょうがないですよ」

照れ隠しと、泣きそうな顔を隠して告げると茂庭さんは頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。この人は、本当に大事な所が変わらない。
俺の目だって、盲目過ぎるほど、盲目ではないのだから、茂庭さんが昔のままに映っているわけではない。肌は荒れているし、皺も目尻によっていた。真っ直ぐに伸びていた身長は、腰が少し曲がっているみたいだ。体育館の匂いがしていたのに、車特有の油の薫りが項から流れており、歳をとったのか、筋肉が落ちている。幼い顔つきは残しているが、幼かったままではない。大人になった彼が俺の横で、酒に酔いながら、ぐでんとしているというのに、茂庭さんは俺が欲しがる所を何一つ、変えずに横にいる。

寝息をたてはじめた彼を横目で確認して、溢れ出してどうにかなる愛しさを止めることが出来ずに、走り続けるタクシーの中で茂庭さんの唇に口づけた。
俺だってもう大人だ。なりたくなかった、適当な気ままに生きれる27歳。茂庭さんと会わない時期に、女でも男でも抱いたことはあるし、キスをしたことだって数えきれない。そもそも、数えようっていう考えすらない。
なのに、茂庭さんへの口付けは、初めて誰かにキスをした時より、どきどきした。俺の中のファーストキスは他の誰がどういおうと、茂庭さんに違いないと、指先が痺れた。
このまま、タクシーを俺の家まで走らせたい。寝ている茂庭さんに好きなことをしたい。
忘れていた気持ちが蘇ってくる。
二回も、三回も、茂庭さんには惚れ直させられる。きりがない、ループを抱いてしまい断ち切るというのも一種の手だろうが、その後の自分を想像して、動き出しそうな口が止まった。
高校時代は、好き勝手動いていた(そのせいで、良く喧嘩にもなったし茂庭さんにも迷惑をかけた)口が貝のように閉じてしまうのを確認して、本当に彼と過ごした時間から十年経過したのだと思った。



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