27歳。
若くとも年寄ともいえない時期。会社なんかに入っていると新人と言って可愛がられないし、かと言って先輩という程、威厳もない。仕事にも慣れてきて、学生時代とはまた違った怠惰な時間をお金かけて過ごせるようになる。
適当な遊び盛りの時期だ。俺の周り、学生時代から続く友達とかもそんなもん、結婚っていう重たい足枷をつけられちゃった友達だけが別枠。それ以外は、適当に仕事を熟して、そろそろ徹夜するのが辛くなってきたと言いながら一日中、飲み耽っていたりする。下らない、第二の青春なんじゃない。
同窓会なんかに行くと、一瞬学生時代のノリを思い出して楽しくなってくるのも、この時代の醍醐味でもあるけど、一瞬だけで、冷静になれば怠惰でどうしようもない自分が見え隠れして、勝手に身体が重くなってくる。今までは前だけを見て走っていれば良かったのに、一瞬、世界が暗闇に包まれて、あれ、俺が立っている場所ってここで良かったっけ? と睥睨して戸惑う。
まぁ、学生時代から人間の根幹が出来ている奴は揺るがないけど、そんな人間、そうそう、いない。
俺なんかはね、戸惑っちゃう人間だった。
俺は良くも悪くも周囲に流されやすいというか、楽な方に流れれ良いんじゃないかなぁっていう所がある。要領が良い方、自分の生きやすい方向を無意識に見つけていくのだ。それは悪い事じゃないし、楽な方に生きようとするのは人間の生存本能でもあるんだから、抗うことが出来ないんじゃない? って感じだけど、流石に30歳を手前にして自分の生き方に問いかけた時、疑問符を浮かべちゃうことが俺にでもあるのだ。
しかし、どうやら俺の好きな人は違ったらしいと、同窓会の席でビールを飲んでいる天然パーマを後ろから見つめながら思う。
茂庭さん。
会うのは久しぶりだった。
茂庭さんは高校を卒業して自動車の部品を作る工場に就職した。朝から晩まできつい仕事だけど、家に持ち帰って書類をする必要はないから楽だと、遊びにきたバレー部の体育館を眺めながら言っていた。
当時「もうバレーはしないんですか?」と尋ねると茂庭さんは「今は仕事を頑張りたいから。けど、慣れたらまたしたいと思う」と言っていた。俺はその話を聞きながら、今を頑張りたいという言い訳を利用して青春時代の思い出を消していく人間は良くいるよなぁと舐めて罹った態度で挑んでいた。だが、茂庭さんは本当に一年経つ頃、バレーを再開していた。
俺と青根の卒業式、先輩達は顔を出してくれた。皆が工場のつなぎを着ていた。工業高校での就職率は工場が一番多い。別に不思議な話じゃない。現に茂庭さんと鎌先さんは同じ会社に就職している。つなぎの色は汗と油が混じって艶やかなブルーがくすんだどぶ色みたいになっていた。それなのに後輩の卒業式に着てくるってどんな神経してんだよ! と思ったが「午前中仕事でさ、今来たとこ」という科白で解決された。わざわざ来てくれたのかと思うと嫌な気はしなかった。
茂庭さんは俺達を体育館へ誘導した。クラスの打ち上げはどうせ6時くらいからだろう? という言葉は間違っていない。6時からですけど家帰って着替えたりしたいじゃないですか! という言葉が咽喉元までせり上がってくるけど、茂庭さんたちの頼みだったら聞いてやらなくもないという気分になった。暑っ苦しい上着を脱ぎ捨て、三年間世話になった体育館にあがった。
バレーをしていると茂庭さんたちの動きは一年間ブランクがある人の動きには思えなかった。休憩時間、疑問に思った俺が尋ねると「地元でチーム作ったんだよ、な鎌ち!」「おう!」「ちなみに俺も入ってるけどね」という言葉が飛んできた。草野球じゃあるまいし、男子バレーでチームを作る人なんかいるのか? という驚きと、逃げて現状に追われて美化するための言い訳でなかった科白に酷く感動した。茂庭さんが率先して作ったんでしょう? と聞くと鎌先さんと笹谷さんは「巻き込まれたんだよなぁ」という顔をしていた。内心、嫌じゃないのは目に見る様にわかるが、茂庭さんは必至になって、な、なんでそんなこと言うんだよ! という言葉を吐きながら焦っている。
前から知っていたけど、茂庭さんの言葉には嘘がない。この人のいうことは、いつだって真剣なんだ。勿論、それが鬱陶しいと感じて煩わしくなったりする時もあるけれど、自分の芯が出来ている人というのは、きっとこういう人のことを指すんだなぁと灌漑深く茂庭さんを眺めた。
眺めていて、仕草をみながら、やはり好きだと思った。茂庭さんのことが。強い人という訳ではない。どちらかというと、誰に対しても丁寧な人と表した方が良い。親身に誰に対して(自分に対しても)接することが出来る人なのだ。俺は彼のそう言った、偽りのない姿の傍にいるのが好きだった。恋愛感情なのか、友愛なのか、信仰心に近いものなのか。結果として文字に形容するのは難しいだろうが、俺は茂庭要という人のことがとても好きで堪らないのだと思った。
眺めていると茂庭さんがこちらを見てきた。「お――い試合するぞ!」と第一印象から変わらない少々、間抜けな声が響き渡った。
次に茂庭さんと会ったのは俺が大学二年生の時だ。俺は工業高校には珍しい四大進学組。しかも国公立だった。別に俺くらいの頭があれば好きな所を受けられたので、とりあえず日本で一番有名な大学を受験すると受かった。日本の大学は受かるまでが大変で、受かってからは楽だ。ユルゲーと言っても良いんじゃない。ただ、誤算だったのは宮城を離れなければいけないということだ。受験を決めたのは気紛れで、東京で過ごす自分という姿を想像してはいなかった。けれど、人間関係を構築するのなんて簡単で、東京でも楽に過ごした。
楽に過ごすという事は怠惰に過ごすということだ。俺がどうして茂庭さんに対してあそこまで惹かれるかというと、俺自身が彼の対極にいるような人間だからだ。俺は流されて楽な方に行くのが好きで、怠惰を好む。人間関係なんて楽で当たり前、一人、一人、親身になり接していたら時間が勿体ないとさえ感じてしまう部類の人間。しかも、他人を傷つける言葉を不用意に吐いてしまったとして、俺は自分で責任を持とうなんて考えない、軽い男なのだ。けれど、そんな自分が稀にどうしようもなく嫌になる時がある。嫌になった時に茂庭さんの傍に行くと、ああ、自分は大丈夫だ、ちゃんとやっていけている、と安心してしまうのだ。
二年間もあの人に出会ってから会わないのは初めてだったので、どんどん、自分が嫌になったり周りが面倒だと言う時も出てきたけど、祖父の三回忌に久しぶりに地元に帰り、寺から家に帰る途中で茂庭さんと出会った。茂庭さんは犬の散歩をしている最中で俺を見て酷く驚いていた。
「二口――! 久しぶりじゃん」
「茂庭、さん」
「お前、全然帰ってこないからさ。大学はやっぱ忙しいのかなぁって言っていたんだよ」
自分のことが未だに話題に上ることが嬉しくて、目頭が熱くなりそうだった。同時にこの人達は高校時代の延長線上に未だ居られるのだと思うと酷く妬ましかった。俺には、あんなにバレーを一生懸命やっていた日々が嘘のように空虚な日々が続いていた。遊んではいるけど、カラオケに飲み会に、バイトして、眠たい身体を起こして大学に行くという屑みたいな生活だ。勉強は遊びの二の次になって、なにをしたいか判らないから大学に行ったのに、考えることすら放棄しているような時間。バレーボールだって久しく掌で触っていない。自分はもう、きっとあの輝かしい延長線上にいない。先輩達が引退した時、悔し涙を部室で流していた、あの光景を見ると眩しくて焼けてしまうくらい、腐っている。今の俺には空っぽだという表現が良く似合うような気がした。
「おい、二口どうしたんだよ。あ、良かったらこれから飲むか? お前、成人式にも帰ってこなかったからさ。青根とは一緒に飲んだんだぜ。青根……すぐに顔真っ赤にしてたけどな」
悪いことしたなぁ、と茂庭は漏らしながら二口の顔色を少しだけ覗き込んだ。昔から茂庭さんは俺が何か言いたいのを待っていてくれる。人が喋る時、聞いてくれる姿勢になる。軽く言うことが出来ず「行きたい、です」と顔を真っ赤にしていうと、屈託のない笑みを見せられて「8時に俺の家な」と言われた。
茂庭さんの家に行くと高校時代の懐かしい面子が揃っていた。居酒屋に行くのかと思えば、茂庭さんの家で飲むらしい。確かにこの周辺で居酒屋に行こうとすると電車が通っていないので車が必要になる。皆が飲む気満々だというのに、車だと飲めない人間が一人出てくるので、宅飲みの方が良い気がする。通された茂庭さんの家は昔からある日本家屋で、廊下を歩いていくと、襖で区切られた和室があった。横が仏間で、ここは客が来たら寝て貰う部屋らしいが、今はもっぱら宴会用の部屋になっているらしい。
料理は何度か会ったことのある茂庭さんのお母さんが届けてくれた。「お久しぶりです。すみません手ぶらで」と話すと「イケメンと話せてうれしいわ」という返事がきた。この大人数の料理を一人で茂庭さんのお母さんが面倒見ているのかと思うと申し訳ない気分になったが、元々料理を作るのが好きなのだということ、面倒な時はスーパーで皆が御惣菜を買ってくるんだという話を聞いて納得はした。それでも料理を運んでくる茂庭さんのお母さんを見ている間に料理が好きというより人の世話をするのが好きな人なのだろうと思った。そうでなければ、大人数を家の中に招き入れることを承認しない。顔は父親似なのか、茂庭さんとあまりに似ていなかったが、やはり茂庭さんのお母さんなのだという気がした。
酒の酔いが回ると茂庭さんにだけ聞こえる声で俺は弱音を吐露した。席はずっと茂庭さんの横をキープしていたので、図々しくも酔っている振りをして肩を借りた。本当は正気を保てる程度には酔いは回っていない。茂庭さんは俺の話を聞きながら軽く手を摩った。

「今、それに気付けたんなら、だ、大丈夫だって。あ、二口がさ、悩んでること自体が成長じゃないかな」

そんなことを言われて泣けてきた。茂庭さんに「お酒が入っているせいですから」と拗ねた素振りを見せながらいうと、茂庭さんは朗らかな表情で笑い「二口もなにも変わってないって」と言った。この人は俺の知らない俺を発見するのが本当に上手い。



俺はそれから、ちょくちょく帰省するようにした。長期休みがあると、大半を地元に戻ってきて過ごした。茂庭さんに会うと、駄目な自分を見せないよう必死になったり逆に一瞬で、弱い自分を見せてしまったりする。そのコントロールが俺の支えになっていることは間違いなかった。
俺は昔、この人のことを敬愛か、友愛か、信愛か、恋慕か、信仰心かその形が何かわからないと思っていた。けど、違う。俺がこの人に求めているのは紛れもなく愛情だった。巷でいう軽いものじゃない。少女漫画みたいな変わりがいる恋愛じゃなくって、この人がいないと俺は駄目なんだとそう思わせる恋愛感情だった。



けれど、現実というものは厳しくて、甘い世界に居た俺を一気に引き戻した。
俺が大学を卒業する時、茂庭さんに彼女が出来た。当たり前だ。今までいなかった方が可笑しいんだと、恒例となった茂庭さん宅の飲み会で、可愛らしい彼女を紹介された時、目の前が真っ暗になった。彼女の作る料理は茂庭さんのお母さんが作るん料理より塩っ辛くて、けして美味いとはいえなかったけれど茂庭さんはこの世で一番おいしい料理を食べるかのように口に含んでいた。そりゃそうだ。彼が自分の彼女が作った料理を不味いなんて思う筈がない。俺には泥みたいな味がしていても。
少し笑うのが苦しくなって、地元の企業に就職する気でいたのに、貰っていた内定を取り消して、東京にある企業で働きだした。
地元に帰ることは滅多になくなってしまった。
そうして気づいたら、あっという間に自分がなりたくなかった人間像を抱えたながら27歳になった。


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