冷たい食卓


目覚めると身体はまどろみの中にいた。眠たいからじゃない。身体が鎖で括りつけられたように痛かった。ベッドの中はいつもの安全空間じゃない。自分の香りがしない。異質なカプセルホテルの中にいるみたいだ。
おれは重たい瞼をゆっくり、開けて眩しい光に目を開けるのを億劫になった。けど、現実を見なくちゃいけないと分かっているから、ゆっくりと、心臓を摺り切らしながら起きた。ベッドシーツの皺くちゃの波は昨夜と違って、おれを落ち着かせてくれない。現実を直視したかのように、煩い。
おれは半裸の身体を確認して、痛がる後孔に耐えた。この、排出器官に過ぎないおれの孔にクロの一物が入ってきては、出てを繰り返していたのかと思うとベッドに向かって吐いてしまった。セックスしている最中も吐いたのかも知れない。異物は、クロを受け入れるのを無理だというように、叫んでいたのだ。それなのに、容赦なく、入ってきた。クロは優しく、酷く残酷な手付きでおれの頬を撫でた。「大丈夫か」という問い掛けに、おれはコクン、コクンと無事を表す合図として首を必死に下げた。おれが否定しないことを判っていて、クロはおれへ問い掛けてきたのだ。
昨晩の熱を吐瀉物と共に外へ出していると、クロが戻ってきた。クロはおれの背中を擦った。心配そうに蕩けてしまう眼差しでおれを見てきた。その恍惚がおれを心配しているからではなく、ようやく欲しいものを手に入れた時にクロがする眼差しだということをおれは痛いほど知っていた。おれが、依存して、ずっと一緒にいて欲しいと願っている相手は、酷く残酷なのだ。
残酷という言葉はとても似合う。優しくないわけじゃない。愛してくれていないわけでもない。おれが欲しいものをくれないわけじゃない。
そうじゃない。変わりに、おれを手に入れようとして、クロは平気で他の女と寝るし、きっと今後、おれが離れていこうとすると、数年がかりの計画を立てて、おれを引きとめる手段を狡猾に計算するのだろう。だから、残酷って言葉が一番、似合う。最悪じゃない。残酷なんだ。おれが離れていけないから。
本当に、クロを思って、クロが大好きで愛しているのなら、こんな偏愛を向けてくる相手のことは拒絶するか全てを背負いこみ幸せにしてやるくらいの気合を見せなければいけないのに、あくまで自分自身の欲を追求している。
等の昔に周知の事実だった筈なのに、頭の中で繰り返される警報の音を無視して、おれはクロの腕の中へ飛び付いたのだ。

「研磨、ほら、口濯げ」
「ありがと」
「無理するなよ」
「うん、ごめん、部屋くさい」
「洗えばいいだろう。お前が元気になったあとのがいいんだろうけど、気持ち悪いだろうから風呂連れていってやるよ」

クロは慣れた手つきでおれをお姫様抱っこした。女の子にも、こんなことやっていたよね?という眼差しで見つめる「研磨に重ねてな」という科白が、躊躇いなくクロの口から出てきて、心をどうしようもなく寂しくさせた。
風呂場まで連れていかれ、シャワーを上からかけられる。おれは排水溝へと流れていく水をずっと見つめていた。


「クロ……おれに言いたいことがあるなら、言って」

早く、言葉にだしておれを縛ってしまって、とシャワーを上からかけられながら、クロを見つめる。クロは中途半端に優しいから、僅かに躊躇いの色が浮かんだけど、睥睨することなく俺への強い眼差しを送り続けた。シャワーを放り投げ、服を着ている筈のクロも水を被ることになったけど、気にせずクロは喋り続ける。

「好きだよ、研磨」
「そう」
「お前がいればいいから、傍にいろ」
「おれがクロの傍にいるんじゃないよ。クロがおれの傍にいてくれるんでしょう」

違うの? と首を傾げると、クロはその通りだというように、俺を抱き締めた。肩へと手を回し、俺の骨が折れてしまいそうなほど、強く抱擁する。ぎりぎりして、痛い。セックスより、ずっとずっと痛い言葉だ。ずっと、ずっと、痛い距離だ
クロは俺の耳元を舐めた。舌先が嫌に熱い。
クロの舌先は自然とおれの口許へと近づき、吸いこまれた。クロの中へ一緒に落ちていくようだった。
大好きだと言う関係ではけしてないけれど、この日、おれたちは晴れて一生一緒にいる関係になったのだ。
一生一緒にいるというと、おれとクロの関係性はまるで家族のようだ。昔から、お互いに一人っこで、誰よりも一緒にいる時間が長かった。食卓も一緒に囲んだ。ずっと一緒にいた。

けれど、一生一緒にいる約束をした変わりにおれたちが囲む食卓は、冷たいものへと変わってしまったのだ。俺が持ってきた、肉じゃが今も廊下に転がっているみたいに。同じ食卓を囲んでいるのに、冷えてしまった残飯なのだ。
それでもクロは俺の背中へ手を伸ばし満足そうに微笑む、おれはそんなクロを離さないと言うように、痛みに耐えた。



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