社会人




私は二五歳になった。
兄ちゃんととびおは三十を過ぎたけど、未だにバレーボール選手として活躍している。
二人して全日本の選手に選ばれ、とびおが兄ちゃんにあげる変人トスは未だに世界中の人間を魅了してやまない。高校時代と比べると少しだけ身長が伸びた兄ちゃんだけど、選手の中ではまだまだ小さくて。小さくてもバレーボールは出来るということを体現してきた。
三十を過ぎるとバレー選手は殆ど引退で、二人とも一年後に待ち構えるオリンピックに出場して引退すると決めたそうで。バレー界を引っ張ってきた大きな二人がいなくなるのは私や彼らを目指してバレーを始めた人間にとって、青春の隙間がごっそり抜け墜ちてしまうような寂しさを孕んでいた。
兄ちゃんととびおは引退した後でコーチになるようだ。あのコミュニケーション能力が皆無なとびおに誰かを教えることが出来るのか不安だけど、昔よりへたくそだったとびおはいなくなってきていた。
色んな人と喋って、いろんな人のことを考えて、バレーという競技がけして一人ではできないことだというのを悟っていったのだ。そうやって、とびおはへたくそだった会話を徐々にだけ出来るようになっていったんじゃないかなぁって私は思う。
けど、基本的に天才タイプだからバレーを指導するのには向いていないんじゃないかと私はとびおを見て考えたりするのだけど、天才にしかわからない悩みを共有できれば良いねって、三十を過ぎたおじさんが進路について悩んでいる背中を私はぱん! と叩いた。とびおくらい凄い選手だったら、教えて貰えるというだけで嬉しい人間もいそうだしね。
兄ちゃんはあの性格だから、きっとどこでもやっていけるだろう。頭は馬鹿だけど体育教師の免許はもっていたから、教師とかどうだろうか。まぁ、どちらにせよ、彼らが決める事なので私が口出しすることではないのだ。

兄ちゃんととびおはまだ付き合っている。
二人が恋人同士だと知っているのは私を含め、バレー部の仲間だった山口さんと月島さんの三人で、けどバレー部の先輩とか他の人達も兄ちゃんととびおが付き合っているという事にうっすら気付いてはいた。きっと、それは私の母と父もだろう。
私が大学生の時に、母さんが神妙な眼差しで家へ遊びに来たとびおを見つめたことがあった。
あれは誰かを見定める眼差しだった。母さんはあっけらかんとして毒気がない人間なので、他者を評価する眼差しというのを滅多に使わない。母さんのあんな目をはじめて私は目撃した。大きく口を開けている私に気付いて「はしたないわね!もう!」と私の頭を引っ叩いて、お腹が空いていると勘違いしたのは牛乳パンを口の中に突っ込まれた。
そうじゃないのに、と思いながら牛乳パンを咀嚼した。あの眼は、すべてを見透かしていた。見透かしたうえで、自分の息子が選んだ相手に狂いがないのかを品定めていた。親の愛情がつまった暖かさのなかに厳しさがある眼差しだった。
母さんはそんな目を見せてから、とびおと喋った。家に遊びに来るとびおと母さんが喋ることは珍しくなかったけど、その時ばかりはちょっぴり私は緊張しながら牛乳パンを食べていた。
とびおに母さんは、兄ちゃんと仲が良いわねぇという切り口から入り、兄ちゃんのどんなところが好きで一緒にいるのかと尋ねた。とびおは単細胞だから、好きじゃ! と沸点を高くして反論しそうだったけど、目の前にいるのが恋人の母親だと気付き、口を閉じた。十秒ほど考えた後に、とびおは語った。

「一緒にいると、楽です。アイツとは……じゃなかったら、同じバレーボール選手でも続いてないと、思います」

運動部で鍛え上げられた敬語を駆使してとびおは告げた。私はとびおが兄ちゃんのことを愛してやまないのも、一緒にいて落ち着く相手なのも、兄ちゃんしかとびおにあげられない様々な愛情があることを知っていたが、とびおの口からそれが肯定的に吐き出された姿を見るのは初めてだった。ツンデレっていえばいいの。とびおは素直じゃない所があって、特に恋愛感情として兄ちゃんと向き合った時に、褒める点を探すなんてこと恥ずかしいと思っているから。携帯を起動させて録音して、あとで兄ちゃんに聞かせてあげればよかった。
母さんはとびおの言葉を聞いて、にっこりと笑窪を作った。そういう相手が息子には見つかって良かったわ、というように、とびおの背中を叩いた。まぁ、だから兄ちゃんととびおの仲は、本当は親公認なんだけど(父さんは母さんが決めたことにあまり文句をいわないだろうし。兄ちゃんと似たような性格をしていてあっけらかんとしているので問題ないだろう)とびおと兄ちゃんは精一杯隠しているのだ。
仕方ないとは思う。幼い私には判らなかったが、同性同士で恋人になるというのは想像以上に大変なのだ。世間から理解されないことの方が多く、人によるが、暴露することで親子の縁まで切られることがある。誰であっても告げにくいものなのだ。
私は二人を見ていて、あんなに素敵なのにそれを喋れないなんて、なんてもったいないんだろう、ということは良く思う。私が兄ちゃんととびおのことを大好きだというのに関係していると思うのだけど、二人にしか紡ぎだせない空間を眺めているのが本当に好きだ。人生であそこまで誰かを信頼して寄り掛かり、本音をぶち撒けて、コート場での感動も、終わった後の安堵も。感情のすべてを共有して、それを丸め込めるような場所に落ち着ける相手なんか滅多に見当たらないと思う。二人からはそれらがきらきら、きらきら、と発せられていて、私は見ているだけで幸福になれるのだ。二人とも、大好きだな。






「夏――! そろそろ結婚式場に行くわよ」

母さんが部屋をノックして入ってきた。わかっているよ、と慌てて立ち上がって荷物が運び込まれ、空っぽになって部屋に幼い頃から使い込んできた学習机の傷をなぞった。
私は25歳になった。もう結婚できる歳になり、大学時代に付き合っていた人と結婚することになった。
その人は身長が大きくて、無口だけど優しい人で、破天荒な私にはぴったりの人だった。夫となる人は兄ちゃんより一歳上で、本当は大学を卒業する時に結婚する予定だったのを私の都合で三年待って貰ったのだ。私の都合というのが、社会で働いて自立した女になってから嫁ぎたい、というもので、夫となる人は、黙って首をさげて許可をくれた。三十を過ぎていて周りから早く結婚しろと言われているだろうに、優しいなぁと思いつつ私はその優しさに甘えた。
そうして三年経ち、本日、めでたく私は結婚する。はじめて、夫となる人をとびおと兄ちゃんに紹介した時は口を大きく開いて驚いていた。「なんでテメェが!」と、とびおは口を荒げた。妹みたいに思っていてくれた私の相手が知り合いでびっくりしたんだろう。
兄ちゃんからは「夏は影山みたいのが好きだと思ってたから、コイツショックだったんだって――」と言われた。
あはは、確かに私はとびおのことが大好きで、もしかしたら美しいとびおに見惚れたのは初恋だったかも知れないけど、あくまで兄ちゃんと一緒にいるとびおが好きなのだ。それに、とびおみたいな彼氏は疲れそうだし、私は嫌かな。愛しているっていう気持ちより憧れが先にきて、一緒にいて気が落ち着かないと思うから。
それに比べて、夫となる相手は落ち着くことが出来る。疲れた時に泣き出して、大きな体に抱きしめられ赤ん坊のように背中をぽんぽん、と叩いて貰うだけで、安堵するのだ。
兄ちゃんととびおみたいに私と彼が、きらきら輝いているか判らないけど、選んだ相手に間違いはないと信じている。
二人も今日のサプライズに許可をくれた夫だと判ったら、認めてくれるんじゃないかな。今日は二人には内緒だけど、とっておきのサプライズを用意している。私は二人の関係が、私が結婚の報告をしに行った時のように、皆に祝福されるものにしたいなぁって、そんな細やかなことを企んでいるのだ。




結婚式場についてからは大変だった。着せ替え人形になったように顔へ化粧が積み重ねられていき、純白のウエディングドレスに身を包んだ。何度か夫になる人と一緒に式場まで足を運び試着を繰り返したドレスだから私にとても良く似合っていた。結婚式は女の子が主役だっていうけど、その通りだね。夫も身長が高いから白の燕尾服が良く似合っていたけど。
椅子に腰かけて式まで時間を潰していると扉をノックする音が聞こえた。お母さんは付きっきりだったし、御父さんはさっききて私の前で号泣して帰ってから、次に訪れる人はおのずとわかる。

「夏!」
「兄ちゃん! とびお!」

兄ちゃんが似合わない礼服を着て私の前に飛び出した。吹き出しそうになるのを我慢していると、背後にとびおが映った。うわ――とびお、とっても綺麗。カッコイイ。顔つきが元々、整っていて目つきは悪いけど王子様みたいだから、普段の適当な恰好と違って(とびおは、ジャージかパーカーくらいしか着ないのだ。残念なことに)正装はとびおの容姿にとても似合っていた。まぁ、一番、似合っているのはユニフォームだけどね。

「お前、影山に見惚れんなよ!」
「なによ、別にいいじゃない! とびお、相変わらずカッコイイね!」

私がハキハキした調子で喋ると今まで一言も喋らなかったとびおが口を開いて、私の手のひらを握りしめた。なになに、って驚く隙もなく、感極まって涙を双眸からぽろりと流すとびおが見えた。喋らなかったのは我慢していたみたいだ。

「俺の妹なのになんでお前が泣いてんの!」
「ウッセ――! 夏、お前マジで結婚すんだな」
「そうだよ! そう言ってんじゃん!」

とびおは、ぐずぐずと子どもみたいに抱きしめた。あはは、可愛いと私は思ってしまい、ぎゅっと抱きしめてあげたかったけど手を握りしめるだけにした。私が抱きしめ返さないのを見ると、兄ちゃんが背伸びをして、項垂れるとびおの頭を自分の肩から含めて抱きしめるようにして撫でた。もっともっと私が子どもだったら、簡単に抱きしめてあげられたんだけどな。
とびおは兄ちゃんに抱き締められていることに暫くした後で気付いて、腕を振り払った。鼻水を啜り、とびおは私を見た。

「ねぇ、とびお、私ってどう映る?」

花嫁に言わなきゃいけない台詞があるでしょう! と強請る。
とびおは私の言いたいことを理解してくれたようで、少し照れて頬を赤らめながら告げた。

「綺麗だ、夏」

へへへ、その言葉だけで十分結婚して良かったって思える。にっこりと笑った私を見て、とびおはまた寂しそうな顔をした。幼い頃から知っている人間の成長というのは、嬉しい反面、自分と開いていく距離に寂しさを覚えることがあるけど。大丈夫だよ。とびおにはずっと兄ちゃんが一緒にいてくれるから。折り重なる時間の波を一緒に体験して、死ぬまで共にいられるのが、多分、結婚するという事で誰かを好きになって恋をすることなんだって私は思うから。二人はずっと一緒だよ。






結婚式が始まって、ステンド硝子の色彩が網膜に映り、父親と共にヴァージンロードを歩くと、目頭が熱くなってきた。埋め尽くされた席には兄ちゃんの高校時代共に部活を過ごした面々や私の友人なんかもいたりした。会社の人とかは二次会からの参加で、結婚式は身内で執り行われた。私が最後にすることを予定しているサプライズに関係しているのだ。
オルガンが鳴り響き、鐘が響き渡る。差し出された夫になる人の手をとって、見つめ合った。
誓いのキスは夫が屈んでくれて、私の指に嵌められた輝く指輪を見つめながら、本当にこの人の元へ嫁いだのだと嬉しくなった。私は昔から破天荒で、身長が小さかったせいもあり、飛び跳ねるのが癖みたいになっていて、夫に抱きついてしまいたかったけど、我慢した。
堪えたのは、この後に待っているサプライズの為だ。
私はブーケを持って会場をあとにする。普通(私くらいの年だと未婚の友達の方が多いから)トスされたブーケを受け取るために、女の子たちが率先して前に出てくるのだが、誰も出てこない。けど、謎だと首を傾げる心配はない。後ろから高校時代の友人によって押し出されてくる、とびおと兄ちゃんがいた。

二人は首をぎょろぎょろ見渡して、背中を押す手を振り払おうとしていたけど、さすがにお世話になった記憶がある菅原さんの手とか、大地さんの手とかを薙ぎ払えなかったみたいで、観念して前に出てきた。

「ちょ、俺、男なんですけど」
「俺もだって!」

二人はそう言い放ちながら、戸惑っていたけど、私は気にせずブーケを投げた。

「男がブーケトスを受け取っちゃダメなんて誰が決めたの! いつも、とびおは放つ側で兄ちゃんは叩いてばっかりだったでしょう! たまには私のトスを受け止めてよ!」

セッターとスパイカーの性質をなぞって私は言い放つ。にかっと笑って、トスをあげて、その花束は二人の手によって受け止められた。
未だに茫然として、口を半開きにする兄ちゃんたちは戸惑っているようだったから、私は振り返って告げた。

「二人も幸せになってよ! 周りの人からも喜ばれる二人だってことをちゃんとわかった上で!」

もう二人の仲は公認だよ! と私は言い放つ。
これが私の計画していたことだ。兄ちゃんととびおが付き合っているということを、周囲の人にちゃんと理解してもらって祝って貰うということ。私、一人だけ幸せになっても楽しくないもん。
勿論、周りからの反感もあった。結婚式にやる必要がないとか、もっと人を選んでやりなよ、とか色々な意見。人は選んだよ。二人が関係性を暴かれても良いって思っている人たち。二人が大好きな人達ばかりを私は選んで結婚式の案内を出した。わざわざ電話したりしてね。
私が関係を告げる前に、ほとんどの人が二人の間には恋愛感情があるって気付いていて、気付いていなかった人も「二人は恋人同士なんだよ」というと、納得した顔をしていた。
私の友人も理解がある人ばかりを呼んだつもり。主役の座を奪われるよっていわれたけど、奪われても別にいいんだ。それより、二人が幸せになれるなら。承諾してくれた夫には本当に感謝だ。結婚する年齢を伸ばす我が儘といい、私の我が儘をどうしてそんなに引き受けてくれるの! と以前、問い詰めたことがあった。振り回されるのばかりに慣れたらダメだよって。そしたら「夏の我が儘は、気持ちいい。お前の我が儘は人を幸せにするだろう。俺はそんな君が好きなんだ」だってさ。珍しくいっぱい喋ったかと思うと、惚気てくれるんだから、顔が真っ赤に染まった。

「私、二人が大好き」

二人も私のこと好きでしょうという顔で笑いながら、せっかく用意した化粧がぼろぼろになるまで泣いて、式場の扉が閉まった。扉の向こうでは懐かしい面々の声を聞きながら、祝福される二人の戸惑った様子が繰り広げられていると目に浮かぶ。お母さんとお父さんも、二人に駆け寄りぱちぱちと手を叩く。
ああ、よかった。私のしたことに間違いはあったかも知れない。もしかしたら、二人の恋愛は密やかな方が良かったのかもしれない。けど、私は後悔なんかしないし、どれだけ自己満足だと言われようが、二人の幸せに繋がったと信じている。

ほら、その証拠に、ぐちゃぐちゃに揉まれて皆から幸せの言葉を受け取った二人が扉を開けて駆け寄って、私に抱きついたのだから。


私、二人が大好き。
二人のなかにある、きらきらしたものが本当に大好きよ。


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