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「付き合い出したけど退屈かな」

 及川はアイスクリームを舐めながら呟いた。冬の炬燵に入りながら食べるアイスクリームほど美味しいものはない。岩泉は真横でその会話を聞きながら蜜柑の皮を剥いた。岩泉の家の居間で昨年買い換えられた液晶テレビが光る。二人とも部活が休みのため、暇を持て余しているのだ。デートでもしろよ、と岩泉が嘆いてみせたところ、先ほどの返事が及川の口から紡がれた。

「贅沢な悩みだな」
「え――! そこは、そう言って切られちゃうわけ! つっこんでよ、ねぇねぇ」
「めんど――」
「溜息吐き出さないで! 新しい恋でもしてみろよって言ったの岩ちゃんなのに!」

 岩泉に言われてから、及川は数人の彼女と付き合った。もともとモテていたので引く手あまた。数ある女子から選ぶことができた。はじめ付き合った子は影山とは似ても似つかない化粧が派手な女の子だった。次に付き合った子は影山と雰囲気が似たテニス部のエースだった。次に付き合ったのは地味な図書委員。その次はまた戻ってきて派手な女子と、ジャンルを絞らず付き合ってみたが、どれも及川の胸にすとんっと落ちてこない。
 誰かと喋ったり、一緒に時を過ごしたりするのは苦痛じゃない。彼女なら尚更なはずなのに、声を出しているのか、息を吐き出しているのか判らない状態になってくる。退屈を絵に描いたような。欠伸の出る時間が襲い掛かる。

「適当に付き合えってアドバイスじゃねぇだろう。このモテ男」
「蜜柑の皮を投げててこないで岩ちゃん」
「お前も蜜柑食えよ。美味いぞ」
「アイスの後に? まぁ、食べますけどね。で、誰とでもじゃなかったら、どういう意味だったの」
「誰とでもじゃなかったら? 好きだって思った奴と付き合うんだよ。決まってんだろ。今のお前見たいに告白されたら片っ端から付き合うとかじゃなくて。些細なことでもいい。告白してきたときの仕草が可愛かったとか、印象的な目が好きだとか、んなことでも良いから、ちょっとでも好きになった相手と付き合うんだよ。お前のは、南瓜と付き合っているのと変わりねぇだろ」

 南瓜か、上手くいうな、と及川は感心しながら蜜柑を食べた。アイスの後に口の中で弾ける果実はすっぱかった。背景と一緒だ。好きと言われたから付き合う。だから、キスしたいとか、手を繋ぎたいとか、セックスしたいとかいう欲望が湧き出さない。彼女たちと寝るくらいなら、オナニーした方がましに思えてくる。

「岩ちゃんは恋愛したことある」
「嫌味か」
「小学生の時はモテてたじゃん」
「小学生と今を一緒にするなよ」

 バレーばっかしてて、顔も普通で特別モテるわけねぇだろ、俺だって可愛い彼女が欲しいよ、と最後の蜜柑を放り投げて岩泉は告げた。
 すでに二個目の蜜柑に中央に置いてある竹を編んだ籠へ手が伸びる。
 蜜柑をもしゃもしゃと食べる岩泉を見つめながら、及川は不思議だと思った。彼女欲しい、可愛い彼女が欲しいと、告げている岩泉は自分のようなゲイとは関わりない世界にいる人間に見える。普通、そういった人間は拒絶する。
 岩泉は愛されて生まれてきた子どもだ。自分の常識が世界の常識であるように喋る。裕福な暮らしの余裕が造りだした快活さを備え、有り余る庇護を当然の権利として受け取ってきた。何もかも容易に手に入れてきた人間しか持っていない、余裕がある。及川とて同じだ。ただ、ゲイであるというだけで。他は岩泉と同じように与えられてきた。しかし、両親に「ゲイである」ことが白日の下に晒されると軽蔑の眼差しを向けられるだろう。
 愛がある余裕からくる常識というのは非常識を嫌うのだ。
 それはしょうがないことだ。手塩にかけて育ててきた子どもが自分を裏切っていることになるのだから。及川はバイであるので、男も女も抱けるが、だからと言って結婚して女だけを抱くとなると違ってくるだろう。きっと抱くこともキスをすることも容易いのに、本質的には男しか愛せない性癖なのだと及川は自覚していた。
 だからこそ、岩泉が影山と付き合っていた時の自分を受け入れてくれたのも、不思議でならなかった。
 今も「ウゼーウゼー」と言いながらさらさら言葉を漏らしてくれるのは、どうしたなのだろうか。

「岩ちゃんって俺のこと好き?」
「なんでいきなり、そうなるんだよ。頭の中は空っぽか」
「え――だって」
「だってなんだよ」
「岩ちゃんったら俺のこと、全部、受け止めてくれるし」


 拒絶しても良いのだ。岩泉は及川を受け入れる義務はない。なのに、及川は岩泉に拒絶される所なんて、考えたことがなかった。幼い頃から、手を引っ張って、背中を蹴って、頭を撫でて、岩泉は隠された穏やかさで及川を受け入れてくれる。バレーをしている時も。バレーをしていない時も。

「はぁ? 馬鹿か。バカ川か、お前」
「その言い方、やめて下さい――」
「はいはいはいはい。止めます、止めます」
「どうして俺が馬鹿ってなっちゃったわけ? 俺の方が実は頭良いのに」

 廊下に張り出された期末の成績を暗喩して言い放つ。
 頭を調子に乗るなとべしっと叩かれた。余韻が残りじんわりと痛さが蔓延っているが加減された痛みは心地よい。

「お前が俺のこと好きなんだろ」

 得意気に笑った顔は生意気だった。は、岩ちゃんったらなに調子のってるの、ちょっと、止めて欲しいんですけど、俺が岩ちゃんのこと好きとか――! と言って囃そうとしたが、及川の口は一言も動かなかった。固まったまま、体温があがっていくのがわかる。

「俺って岩ちゃんのこと好きなの?」
「まぁな」
「へ、へぇ……」

 両手を顔で抑える。今すぐ炬燵の中に入ってしまいたいくらい恥ずかしかった。そうだ、好きなんだ、と気付いた。恋愛感情とか、判らないけど、難しいこと考えないで済むくらいには岩泉のことが好きで堪らないのだ。
 信頼している。無駄な不安に陥らなくても良い。その中に、親しき仲に存在する礼儀なんてものは取っ払われていて、なにをしても大丈夫な揺り籠に抱かれているようだ。今日だって、暇だから寝させてとアイスを持ってやってきて、炬燵に入りながら居間でテレビをだらだらと見ている。相手が迷惑なんて微塵も思ったことはない。

「なに照れてんだ」
「突かないでよ岩ちゃん! そっか、俺って岩ちゃんのこと好きだったんだ」
「おう」
「そして、岩ちゃんも俺のこと好きだったんだ」
「まぁな」
「俺、恋愛的な意味でも岩ちゃんのこと好きになりそうって言ったら、さすがに引く?」
「引かねぇよ」
「付き合ってくれる?」
「嫌。俺、そういう性癖ねぇから。まぁ、可能性があるか、ないか、でいわれると、あるんじゃね? けど、今は嫌だ」
「そっか――なら、頑張るしかないじゃん」


 ごろんと寝転んで岩泉の腰骨にまとわりついた。付き合ってきた女の子よりも、太く、影山のより、色気がない、見慣れた岩泉の身体だった。
 性的な興奮を覚えるかと尋ねられると微妙なところで、幼馴染として対象外に見てきた時間が長すぎてわからない。けど、身体は正直に勃起してしまうのだろう。ためしに、今晩抜いてみるかと下世話なことを考えていると頭を引っ叩かれた。


「岩ちゃん、好き。いつか付き合ってね」
「お――いつかな。幸せにしてやるから、お前も俺を幸せにしろよ」
「確信が持てたら付き合ってくれる?」
「ああ、付き合ってやるよ」




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