空を渡って君のハートへ


バギー。と。
名を呼ぶ声に知らず深海に沈んでいた意識が浮上してゆく。
起きろ、と呼ぶその声は、どこか懐かしさを孕んだ声で、バギーは眠りと覚醒の間でそろりと瞼を持ち上げた。徐々にクリアになる視界の中にぼんやりとした姿が浮かび上ったそれは、遠き日の懐かしき元仲間の影に似ている様な気がしてバギーは首を捻った。
軽く押えられている様に見えてその力は意外なほど強く、日に焼けた肌に屈託の無い笑顔とそれを象徴するような帽子、そして。
「あかが、みぃ〜!?」
「おう」
がばり、跳ね起きると腹の上に跨ったそれ、シャンクスが、麦わらの下で赤い髪を揺らしながらニカリと笑った。
「久しぶりだな、バギー」
よぉ、と片手を上げるシャンクスに、バギーの切り離された手首が飛び掛った。けれどさらりと避けられる。カッとして捕まえようと更に両手を飛ばすが、シャンクスはそれも避けるとふわりと軽やかにバギーの上から飛び降りた。
「てめぇどっから入ってきやがった」
「さぁ?」
いくら夜中とはいえ、誰にも気付かれず海賊船に乗り込むなんて芸当そう出来るものではない。それに、誰かが部屋に侵入すれば自分が真っ先に気付くはずで。
「ふざけてんじゃねぇぞこの派手ボケが!」
茶化すように肩をすくめてみせるシャンクスめがけ、ナイフが飛んできた。しかしナイフはシャンクスを掠りもせず床にざっくりと突き刺さる。次々に飛んでくるナイフを最小限の動きで避けながら、シャンクスがトンと床を蹴った。そこにもまたナイフが突き突き立ち、ふわりと跳躍したシャンクスがまたバギーの腹の上にすとんと乗り上げた。
「ホントに、気がついたらここに居たんだって」
「ンなわけねぇだろうが、」
ほら、と自分の姿を見せ付ける様に両手を広げたシャンクスに、バギーが思わず眉を顰め言葉を詰まらせた。
「てめぇ、何だそのカッコ…」
よく見れば、同じ年のはずのシャンクスが自分よりもかなり小さいように見える。
というか、遠い昔、共に過ごした頃と寸分変わらぬ姿にしか、見えない。
呆然と指差してぱくぱくと口を動かすバギーに、シャンクスがまたさぁ?と肩をすくめてみせた。
「なんかさ、気がついたらこんな事になっててなー」
「ンなわけあるか」
「じゃぁこれは?」
何だと現実を突きつけられて、バギーはむっつりと唇を尖らせた。
というか、何が起こってもおかしくないこの海域では、これが現実かどうかも怪しいもので、夢を見ているのか、それとも、変な海流の中にでも入ってしまったのか、なんて勘ぐりたくもなる。
どうせなら夢オチであってくれれば一番ありがたい。
「知るか。てか帰れ」
しっし、と追い払う様に手を振るけれど、シャンクスはその手を掴むとベッドから飛び降りた。
「バギー、デッキに出よう。星がきれいなんだ」
言うとバギーの手を取りバタバタと駆け出して行く。
「オイコラっ」
止めようとするバギーを振り切り、切り離した手首を掴んだまま、シャンクスはデッキへとまっすぐに走りさってしまって。その背中を見送り、舌を打つ。
持って行かれた右手が妙にそわそわする。久しく感じていなかったジンとした温もりにバギーはもう一度舌を打つと上着を羽織りベッドから降り、デッキへと向かった。

デッキに出てみると思った以上に明るく、バギーは思わず目を細めた。見れば満天の星が空を埋め尽くしている。
風はほとんどなく波も穏やかで、静かな潮騒の音が聞こえてくるだけだ。見張りのクルーが居るはずだが、その姿も見えない。眉を寄せ船首に目を向けると、シャンクスが船縁から身を乗り出す様にして空と海を眺めていて。
「昔もさ、こうやって空眺めたよな」
「あぁ?」
何の話だと鼻白むが、シャンクスは気にせずしゃべり続ける。
「それ思い出して空見てたらさ、なんかバギーに会いたくなったんだよ」
それで、会いに来た。なんて微笑うシャンクスに、バギーはフンと鼻を鳴らしてみせる。
「あー、そーかい」
俺は会いたくなかったがな。出来れば、この先もずっと。
そう言ってやるが、その言葉の真意はシャンクスには届かない。昔から人の話なんてこれっぽっちも聞きやしない奴だったなと思い直し、相手にするだけ無駄かと踵を返した。誰も居ないデッキの上にドスドスと足音を響かせる。
自室まで戻ってドアノブに手をかけ、ふと船首に目を向けた。
そこにはまだシャンクスが居て、飽きもせず夜空を眺めていて。
星は満点に輝き、風も波も音もない。
突如現れた少年のままの元同僚。
これが夢でなくてなんだというのだ。
それも、とびきりの、悪夢。
「バギー」
「あん?」
呼ばれて、振り返る間も無く身体が前に後ろに揺れた。襟首をぐいと引かれ、気がついた時には目の前にシャンクスの顔があって。
「オイ…」
「バギーに会えた事だし、帰るわ」
言うが早いか、トンと床を蹴ったシャンクスがひらりと船縁を飛び越えた。まっすぐに紺碧の海に飛び込むけれど、何時までたっても水音は聞こえず、代わりに凪の音が遠くから静かに蘇ってくる。
「ンだよ、いったい…」
ガリガリと頭をかき、ふと見ればシャンクスにもって行かれた右手があるべきところにきちんと納まっていて。
「あー…くそっ」
飲みなおすか。
その右手でぐいと口元を拭えば、戻ってきた風が懐かしい潮の香を運んできた。



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バギーが見た夢かシャンクスが見せた幻か
ふとした時に思い出す
それくらいがちょうど良い、のかも