笹木くんは、優しい人だ。

物腰柔らかで、怒った顔なんて見たことはない。いつも静かに読書に勤んでいる。
暗いとか堅物とか、そういう人じゃない。もっと、上品で柔らかで爽やかなのだ。
授業中も、休み時間も、お弁当の時も、彼の周りだけ爽やかで清らかな感じがする。

でも、クラスの女の子達は笹木くんが地味で影が薄いと言う。
確かにサッカー部のエースの浅田くんとか、吹奏楽部部長の石神くんとかに比べるとどうしても地味かもしれない。
だけど、私には笹木くんの方が彼らよりずっとすごい人に見えて仕方ない。
理由は色々ある。
顔もかっこいいけど、難しそうな本をすらすら読んでいく所とか、掃除を真面目にやる所とか。

でも一番大きな理由は、「ありがとう」だ。
彼はしおりとかシャープペンとか、色々なものをよく落とす癖がある。
私がその落ちたものを拾うと、彼は必ず「ありがとう」と言う。
「サンキュー」でも「ありがと」でもなく、「ありがとう」。
美しい声ではっきりとそう言うのだ。

人間、お礼の言葉をきちんと言えるかどうかで色々なことが分かってしまう、と私は思う。
だから、笹木くんは良い人に決まってる。多分、このクラスの誰よりも。

「宮田さん」
「わっ」

そんなことを考えながらぼんやり外を眺めていたら、後ろから突然笹木くんに声をかけられた。
「さ、笹木くん」
驚いて振り返ると、笹木くんがいつものような柔らかな笑顔で立っていた。
「こんな時間だけど……宮田さん帰らないの?」
「え?あ……もうそんな時間だったんだ」
一体どれくらいぼーっとしていたのだろうか。
教室には誰もいない。窓の外には夕焼け空が広がっていた。運動場からも人がぱらぱらと消えて行く。
「何してたの?勉強?」
「あ、ううん。ちょっと考え事」
優しい瞳が私を見ている。
笹木くんのことだよ、なんて口が避けても言えない。
「夕焼けきれいだね」
笹木くんがそっと私の隣に立ってそう言った。
とくん、と小さく心臓が鳴った。
「考え事したくなるのも分かるなあ」
夕日に照らされている笹木くんの頬は、滑らかで美しい。
瞳の中にも光がきらきらと舞っている。
こころの様子を映しているのだ。きっと心ではじける光が、溢れ出している。
今この時間だけ、私が彼の横顔を独り占め出来ることがたまらなく嬉しかった。
「宮田さん。もしよかったら……一緒に帰らない?」
だから、笹木くんのその一言に私はとても驚いた。
この夕日のように優しい声音で、でもこれは冗談なんじゃないかと思うようなそんな一言。
平凡な私が、あの美しい彼にそんなことを言われているのだ。
私はこの光景が幻や夢だと思い始めていた。
「い……いいの?」
「夕方でも女の子一人は危ないし、確か方向も一緒だよね?僕も一人は少し寂しいし…駄目かな?」
「わ、私は全然大丈夫。笹木くんがいいなら、むしろ一緒に帰りたいっていうか」
何を言っているんだろう私は。
そっと見ていただけの笹木くんが話しかけてくれたからってこんなに浮かれて。馬鹿みたい。

「ありがとう。宮田さん」
ああ。美しい言葉が聞こえる。
この言葉は彼が言うからこそ美しいんだ。この美しさは、彼の心の色だ。
「それじゃあ、帰ろうか」
「うん」
鞄を持って、彼は一歩教室の外へ近付いた。

影が長く伸びる教室の中。柔らかく降り注ぐ夕焼けの光。何処かで誰かが笑う声。ぶつぶつと音の途切れそうな校内放送。
そして、微笑む笹木くんの顔。

今、私の目の前には美しい光景が浮かんでいた。
神さまというのが存在するなら、是非感謝したい。

私の赤い顔を夕日がきらきらと隠す。
みんな、ありがとう。
窓の外をちらりと眺めてから、私は心の中で誰にともなく、彼のように優しく言いながら、私は誰もいない教室を後にした。




ありがとう
(うつくしい君が)
(紡ぐことば)


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お題:ありがとう
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