「うち、お父さんが転勤するんよ」
まだ寒い三月の中ごろ、私はそんなことを聞かされた。幼なじみの佳代ちゃんからだった。
何もない山奥の、人もいない集落。
さびれて古ぼけて寂しいけど、何故か私はこの村が好きだった。
テレビの中だけで見られる都会にも憧れるが、それは所詮憧れで、自分には合わない場所だと何処かで悟っていた。
小さい頃から変わらぬ顔ぶれで学び、遊び、暮らしていく。
今日で中学は卒業したので、春からは山を下って高校に通うのだけれど、今までもこれからもそれは変わらないことなんだと思っていた。
だから、佳代ちゃんの言っていることが、最初はどういうことかわからなかった。
転勤、というのがこの村からいなくなることだなんて、突然すぎて理解出来なかったのだ。
「転勤って……どこ行くん?」
「イギリスやって。遠すぎるわあ」
そう言って佳代ちゃんは笑った。
イギリス、イギリス。
それは何処だろう。都会よりも遠い場所だろうか。
頭の中から世界地図を引っ張り出して、ようやく場所はわかったけれど、だからと言ってこの村からどのくらい行けばそこに着くのか見当もつかなかった。
「でも、佳代ちゃんはこっちにいるんやろ?」
「……ううん。お父さんと一緒に行くで」
「高校行かんの?」
「向こうで通うよ。英語は出来んけど」
私は上の空でそれを聞いていた。混乱してたのだろう。やけに周りの梅の花が目についた。
佳代ちゃんが遠い異国に旅立つことよりも、これから先の私の日常から佳代ちゃんという一部が欠けてしまうのが怖かった。
何も変わらないものだと思い込んでいたのに。
ふと顔を上げる。
白と赤の、梅の花。
まだ少ししか咲いていない。
暖かくなれば花は開く。
けれど、蕾のまま終わる花もあるのだろう。
それはどんなに周りが変わっても、そのままずっと自身を固く閉ざすのだ。
そんなことを考えた所で、どうということもないのだけれど。
「佳代ちゃん」
「どしたの、里ちゃん」
「この村から出てくの嬉しい?」
「うーん……ちょっとだけやけどね」
ぐいっと大きく背伸びをして、佳代ちゃんは言った。
「イギリスなんてそうそう行ける場所やないしのう。それに、うちはいつか街に住みたい思うてたし」
「……うち、寂しいわ」
「なんやの里ちゃん。今は手紙もメールも届くやろ?」
ちゃんと送るさかい堪忍してや、と佳代ちゃんは言った。
それでも、私の心は晴れなかった。
毎日起きて、顔を洗い髪を三編みにして、朝食を食べ、佳代ちゃんと待ち合わせ、バスに乗って学校に行き、授業を受け部活をやり、朝と同じようにバスに乗って帰り、宿題をやり夕食を食べ、そして寝る。
そんなお決まりの日々が、私にとって絶対なのに。
そういえば佳代ちゃんは、色々な所が変わっていた。
髪も、表情も、服も、仕草も、持ち物も。
ゆるやかに少しづつ、けれど確実に。
この村を出るという甘美な目標に向けて、佳代ちゃんは遠く離れてしまったのだ。私よりも一足先に大人になってしまったのだ。
「もう会えないん?」
「また帰って来ると思うわ。一年に一回くらいになるけん」
「ほんまにうち寂しいわ。どうせ早くに行ってしまうんやろ」
「まだ三日くらいあるで。里ちゃんも携帯買うから大丈夫やって。別に連絡つかなくはならんよ?」
佳代ちゃんは優しいから、本当に手紙も書いてくれるし、メールもしてくれるだろう。
でも、もう駄目なんだ。
私と佳代ちゃんのこころは遠く離れてしまった。
文字や言葉なんかじゃ埋められない。
私だけこの山の中に縛りつけられて、このたましいはふるさとというふわふわしたものと同化するのだ。
逃れられないのだ、ささやかなものからも。
私は開かぬ蕾。
いつまでも固く閉じたまま、飛び立つ鳥を見送るだけ。
きっとそれが、私の役回り。
「……絶対、手紙忘れんといてな」
「もう、里ちゃんは大げさやなあ」
ぴゅう、と小さな風が吹く。
もう夕方になるのだ。
「うち、帰るね」
「うん、ばいばい」
いつものまた明日、は言えなかった。
その言葉は日常が続いていくことを確認する言葉で、日常が断ち切られてしまった今、それは何の意味もなさないのだ。
それでも私は変われないのだけれど。
さよなら、佳代ちゃん。私の日常の一部。
何故だかたましいが切られたような気がして、鈍い痛みから目をそらす為に私はぎゅっと目を瞑った。
最後のさよなら
(「また明日」なんて)
(言えないんだ)
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お題:最後のさよなら
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