−10秒の白
君は忘れてしまっている。
どれもこれも、何もかも。
「ねえ、昨日の夕飯は何食べた?」
「んーとね、ハンバーグ!」
「先週僕と遊びに行った場所、覚えてる?」
「海とレストラン……と本屋」
「僕の誕生日は?」
「8月23日でしょ?」
にこにこと笑ってはいるけれど、君の覚えているのはこれだけとあと少し。
「昨日は何してた?」
「覚えてない」
「君のクラスは?」
「忘れちゃった」
「腕の怪我はいつできたの?」
「……わからない」
君は、忘れるから苦しまないのだ。
嫌なことは何もかも、記憶の海の底の底へ。
沈めて捨てて、君は溺れた。
でも、君は泡になんかなれないんだ。
「なんでそんなこと聞くの?」
「いや、何でもないよ」
ああ、君は知らないままでいい。
君が2日前に自分の髪をめちゃくちゃに切り刻んだことも、昨日階段から突き落とされたことも、ついさっきクラスの女子にたくさん殴られたことも。
何もかも知らないでいて。
記憶の重さを知るのは僕だけでいい。
君を泡にして消えさせはしないよ。
だから、僕には重みを背負わせて。
いやなことは何もかも、僕が覚えているからさ。
君は永遠にいつまでも、海の底で眠っていてよ。
僕もすぐに沈んで行くからさ。
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