見渡せば白の世界。
山も、草も、湖でさえも真っ白に塗り潰されていた。
かろうじて、ぬかるんだ道があると分かるだけだった。
そんな場所を、少女がただ一人歩いていた。
仕立ての良い厚手のコートを着た、金色の髪の小さな少女だった。
大きなトランクを持って歩いているが、どろどろの地面にうんざりしたのか、その場にすぐに立ち止まってしまった。
それから、どこか遠くで鳥が鳴いた少し後。
「……助かったわ」
「うん。本当にね」
少女はむすっとした顔で馬車の荷台に乗っていた。
近くの街へ向かう農夫が通ったところで、運良く馬車を捕まえることが出来たのである。
隣には黒髪の青年。
汚れた革袋を肩に引っ掛けて、呑気に風景を眺めている。
「ねえ、君の名前は?」
白ばかりの風景に飽きたのか、青年は少女に話しかけた。
「人に名前を聞く前に、自分が先に名乗るべきだわ」
青年が笑顔で聞いたのに、少女は見向きもせずにそう言った。
「あー……ごめん。えっと、僕の名前はアベル。君は?」
「……私はマーシャ」
「君はどうしてこんな所を歩いてたの?この辺りは何もないのに」
「街に行きたかったの。汽車に乗るためにね」
「へえ、お婆ちゃんにでも会いに行くの?」
「違うわ。旅をしているのよ」
「旅って……君いくつだい?」
マーシャは、青い瞳でアベルを一瞥すると、投げやりに言い放った。
「丁度12よ。子供で悪かったわね」
「いや、そんなことはないけど……」
「何よ?文句あるの?」
「それもないけど……どこから来たの?」
「ここから西に行った街。一ヶ月かかったわ」
「……もしかして君家出したの?」
「ええ、そうよ」
マーシャはふう、とため息をついて空を見上げた。
「パパもママも、私をお人形か何かだとしか思ってないのだもの。毎日おんなじことの繰り返し。立派なレディになりなさい、なんてもううんざり!」
そう言ってから、マーシャは肩を落として呟いた。
「……自分のことは自分で決めたいのに」
「それは……大変だったね」
アベルは困ったように笑って、マーシャの頭をそっと撫でた。
マーシャは頬をちょっと赤く染めて、ふん、と鼻を鳴らした。
「もう、本当にね!だから私は家を出たわ。初めて自分で何かを決めて、実行したの」
「でも、どうしてこんな場所に来たのさ?ただ寒いだけだろう?」
マーシャは何も言わず、トランクを開けて一冊の絵本を取り出した。
絵本のページをめくると、今、馬車が行く道とよく似た、雪に囲まれた風景が描かれていた。
「……この風景が見たかったの」
「それ、どんな話なの?」
「女の子が、寒い国でただ一日を暮らすお話。でも、気ままで自由で、とても綺麗」
マーシャはそう言って、絵本のページを愛おしそうに撫でた。
「……もう、ないよ」
突然、アベルがぽつりと呟いた。
「え?」
「その絵本ね、僕のふるさとの話なんだよ。今はなくなっちゃったんだけど、ね」
マーシャは、目を見開いて口をパクパク動かした。
何か言いたいけれど、何も言えない。そんな風に。
「結構前に描いた絵本だけど……そんな風に思って、旅をするのにこの場所を選んでくれたことが嬉しいよ」
「あなた……が描いたの?いえ、ふるさとがないって……」
アベルは一瞬、泣きそうに笑ってそうだよ、と言った。
「雪崩でね、村は消えちゃった。まあ、僕の家族はもう街に引っ越してたんだけど」
アベルがマーシャを見ると、マーシャは大粒の涙を流して泣いていた。
「そんな……」
アベルは何も言わずに、マーシャを抱き締めた。
マーシャはただぼろぼろと涙を溢していた。
またどこかで鳥が鳴いた。
今度は少し悲しげだった。
しばらくして、アベルはマーシャの頭を撫でながら言った。
「僕、次の絵本を描くために南へ行こうと思うんだ」
マーシャは何も言わなかった。
「だから……良かったら、一緒に行かない?」
マーシャはぴくりと肩を震わせた。
「あ……いや、突然の話だし、君も女の子だし、その、心配だろうけど」
「……いく」
「え?」
「行く。ついて行くって言ったの」
マーシャは目をごしごし擦ると、さっきまでの不機嫌そうな顔でアベルを睨みつけた。
「いいかな?……って何よ!男の癖におろおろして!無理矢理私を連れていくくらいしてもいいじゃない!」
「……あはは。ごめん」
「なにへらへらしてんのよ」
「いや、君が元気になって良かった」
「……ふん」
マーシャは鼻を鳴らすと、アベルの肩にそっともたれかかった。
「ご飯もベッドも、妥協はしないわよ」
「はは……頑張るよ」
ごとごとと馬車の行く音がする。
何処までも空気は澄みきって、マーシャの赤い目を冷ましてくれた。
春も南も、まだ遠い。
一応、春には戻ると書き置きをしたけれど。
当分、帰れなさそうね。
マーシャは、駅に着いたら手紙を出そう、と思った。
選んだ理由
(私がそうしたかった、)
(ただそれだけ)
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お題:選んだ理由
101114 joieさまに提出
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