調査隊長の記録///

「唄う幾星霜」続き。


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 細い指がそのぼろぼろの紙切れを丁寧にめくった。

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 村から巫女がいなくなってはや十数年。村から人が去ってしまって数年。風習も途絶えたが、それも仕方がないことだった。
 俺だけが残された。ハンターである俺だけがいまではここに足を運ぶことができた。調査を続けている俺のことを大半は馬鹿だとなんだと随分なことを言うが、今更他に気が向くわけでもない。無謀とは言えど、不要ではないからこそギルドの連中も俺のすることに邪魔だてはしなかった。

 記憶を頼りに足を運ぶ。二十年あまり、だれも足を踏み入れ無かった場所だ。記憶といくらか違ってしまっているところも多かったが、存外に覚えているものだった。


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 俺のいた村で剣の蛇として崇められていた存在が正式に認められたのは近年になってからだった。俺がその遭遇を果たしてすぐにはとうぜん認められることがなかったが、何度か調査を行い、とうとうその存在が確かになった。

 そうそう。かつて俺が生まれ育った村も戦火に飲まれて今はすっかりと残っていない。だが生き残った何名かからはその時の様子で興味深い話を聞いたことも記しておこう。

 当時の…すでに若い連中には遠い話になってしまったその人間どうしのささやかな戦争は俺たちの村にまで到達した。時にモンスターとの対立も深めながら、愚かしい兵器があちこちを焼き尽くしていった。森に火が放たれたのに気がついたのは、村がすっかりと炎に囲まれたあとだったそうだ。
 俺はそのころちょうど別地の調査で村を留守にしていたことを今でも悔いている。

 あの時。村が少しずつ焼けて、暴徒化した連中が村になだれ込んだ。女子供もなく、男たちも抵抗むなしく殺されていった。血なまぐさい話だ。
 いよいよほとんどが殺されて、村最大の建物にその魔の手が迫った時… そのとき、歌が聞こえたという。歌っていたのがだれかを俺たちは知っている。彼女だ。俺の幼馴染で、村でも最も優秀だと言われていた捧げ巫女だ。
 彼女の歌を暴徒たちは嘲笑ったが、その歌を止めさせることはなかった。滑稽に思えたからか、それともやはり彼女の歌はそれほど価値あると理解したからかはわからない。

 事件が起きたのはその後だ。

 山が動いた、と彼らは言っていた。何が起きたかはわからなかったが、彼らはそういった。俺にはわかる。確かに山が動いていたのだろう、と。
 轟音とともに山が動き、巨体が現れた。その巨体の赤い目がぎろりと睨みつけ、そして空が瞬いたという。彼女はずっと歌っていた。まるで歌につられて現れたかのようなその存在に恐れおののき、彼らはとうとう… とうとう、彼女に

 その後のことは簡潔に聞いた。「死に絶えながら彼女は歌い続け、紅玉の瞳はそれを見ていた」そうだ。その後、青白いひかりを発した巨体が身を竦めてしまうほどの咆哮を発したかと思うと、次の瞬間には周囲で爆発が連続したらしい。
 どういう原理でそういうことが起きたのか、未だに原因は分かっていないが… おかげで村は壊滅。同時に敵方も全滅したそうだ。しばらくその怪物はそこに留まっていたそうだが、やがて誰もいなくなったことに気がついたそれは去っていったらしい。

 言い伝え通りの姿だったと彼らは言う。それ以来、俺はこうして千剣山の調査を繰り返している。


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 聞いてくれ。そこに君がいるんだったら、聞いてくれ。ほんとうにいたんだ。俺たちが小さい頃に聞かされた、おとぎ話みたいな神様は本当にいたんだ。
 神はちゃんと君の唄を聞いていたよ。君がいつかいってたことも本当だったんだ。
 俺は、私は、やっと、剣の王をみたんだ。なんて恐ろしく、なんと強靭で、そしてなんて、美しく見えるのだろうか。
 神は君を愛していた。このわたしたちを愛すように。


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 その瞳から涙を零したんだ。本当に赤い瞳だった。宝石のように煌めいていた。禍々しいと誰かは言ったそうだが、おれはそうは思わない。あの目を俺たちは知っている。いつも遠くから俺たちを見ていた目だ。神の瞳だ。いつだっていつだって、俺たちを見守っていたあの瞳をおれは覚えている!
 俺の歌を聞きながら、誰かを懐かしむようにして。空から星が落ちてきた。ぼとりとおちた星が澄んだ色で輝いていた。

 悲しい。なんと悲しいことか。悲しくてたまらなかった。

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 災厄だと若いものが言った。俺がいくらその存在が悪いものではないといったところで聞く耳を持たない。すでに同胞の多くが殺されているからか、尚の事その、どこから生まれたかもわからない恨みがとめどなく連鎖している。

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 俺には止められない。もはやどうするのが正しいことなのかもわからない。本当に、あれは… ダラ・アマデュラと名付けられたその存在が、俺たちが代々守り続け、崇め続けてきた神は悪しき存在なのだろうか。

 そんなはずはない。そんな存在であるのなら、きっと神は涙など流さなかった。彼女があの時死んだことを祭壇で告げた時、涙を流すはずがない。

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 とうとう討伐隊が組まれた。ダラ・アマデュラの存在を放置するにはあまりにその強大すぎる力が危険だという上層部の指令によって。
 いや、正しくはすでに討伐隊が結成されなんどか送り込まれている。そのほとんどが死亡。かろうじて生きて帰ったものも、二度とかつての生活は送れない姿となっていた。
 生き残った者たちが恐慌しながらその存在を語る。剣の王は、きっと傷ついていることだろう。
 

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 討伐は断念されたようだ。先鋭のみで組まれた特別討伐隊がほぼ壊滅して帰ってきたのだから、仕方がないことだろう。懸賞金だけが残され、あとは恐らく、伝説になってしまう。私はこれまでのことをここに記しておいておくことしかできないが、きっとこの手記はいずれ役に立つと信じている。

 だがいつか読むものに知っていてもらいたい。ダラ・アマデュラと名付けられた太古の竜は、剣の蛇は、災厄ではない。強靭すぎるその力で我々を圧倒し、いともたやすくいのちを潰えさせる力を持っていても、である。

 
【その後、詳細な討伐隊の記録がなされている】


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(空白のページや破りられたあとが続く)


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 とうとう山に登るにはいささか体力が衰えてきたようだ。昨日、彼女に別れを告げてきた。あの頃と全く変わらない瞳で、少しは残念がってくれているように思える。
 いや、それとも、案外彼女はああ見えて… 大きな子供のような振る舞いを見せる。

 私がここに記すのは最後になるだろう。だからこそ、今まで誰にも告げずにいたことをここに残しておきたい。

 私は以前より、ずっとあのダラ・アマデュラの存在を認知していたことは周知の事実だろう。だが、私が長らくその存在と直接相対し続けてきたことはあまり知られていないと思う。とうぜん、討伐隊にも内緒で、たった一人で祭壇に趣いていた。
 そこでなんどかあの存在に直接触れ合ってきたが、彼女(代々私のいた村ではその存在は女性であると言われていた。神事を執り行うのが女だったのも、女性のほうが神により近しいと言われていたからである)は一度たりとも私に牙を向けなかった。

 そうそう、彼女の好きなものも記しておこう。ドンドルマにも流通していない、こちらの地域で作られる清酒。それを彼女はいたくきにいっていた。祭壇も台分破損してしまったが、くぼみのある巨大な石柱は残っていたと思う。あの石柱は酒を注ぐために作られたもので、そこについでおけば彼女がのんきに酒を飲むことだろう。

 恐らく、私が彼女とこうして交流する最後の人間になると思う。そうなれば、彼女を知る者はどこにもいなくなる。我々が敬愛した神は私が死ぬと同時に死んでしまう。
 それが残念でならない。

 いつか未来、彼女に会うものがいたら伝えて欲しい。
 私がすでにいないことを。神である必要がないことを。自由であることを。

 そして、今は亡き我らが一族は剣の神を、彼女を愛していたことを。

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 XXX年冬。記録者没。代筆……


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 XXX年XX月XX日。
 ダラ・アマデュラの討伐が行われました。およそ  年ぶりの遭遇でしたが、僕がこの記録を確認していたためその生態について戸惑うことはありませんでした。
 確認したところ、記されている特徴と合致したため、記録者の遭遇していたダラ・アマデュラであることが判明しております。
 稀代の古龍へ記録者の遺言をお伝えできたのはすでに討伐完了直後でした。しかし、その言葉を伝えることはできたかと思います。
 以上を持ってダラ・アマデュラの報告とさせていただきます。

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もっと早くにあの存在に告げていれば、結末は変わっていたでしょうか。
そしてあの時、あの赤い瞳から流れていったのは、涙だったのでしょうか。

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「何を見てるだ?」
「んーん、昔の記録」

 かつての貴重な記録がいくつも並べられているその施設に訪れるには、それなりの権限が必要である。
 今しがた、古いダラ・アマデュラの文献を丁寧に読み解いていた彼女もまた、研究者としてその地位をそれなりに確立しているもので、その後ろから覗き込んでいる男はその友人でもあるハンターである。

「ダラ・アマデュラ?」
「うん」

 最後のページが閉じられた。

「興味があったのか」
「ダラ・アマデュラに? ううん、違うよ。」

 男が問いかけるが、彼女は緩やかに首を振る。
 じゃあなぜ、と彼が問いかけたので彼女は笑いながら答えた。

「懐かしいなって、思っただけ」

 首をひねる男に、けらけらと彼女は笑った。
 彼女の瞳は赤い宝石の色をしている。ともすれば禍々しいその瞳も、だが彼女が笑っているからか、暖かな色にしか見えない。

 男はふと思う。
 今日もほんのりと青く輝くその白銀の髪が、まるで研ぎ澄まされた刃の色にそっくりだと。
 その色はまるで、今しがた彼女が読んでいたおとぎ話のような存在の色を彷彿とさせてやまない。そんな存在にあったことはないというのに、彼にはふと、ダラ・アマデュラとは彼女のような色を持っているのだと強く確信していた。

「あなたは?」
「俺?」

 ちりりと脳裏をよぎるのは、見知らぬ連峰。そしてその奥底から、山々に巻き付きながら現れる星を呼ぶ神の姿。

「……じゃあ、酒、もってかねぇとなぁ」
「あ、それいいね」

 飲みたくなってきちゃった。と彼女が男の腰元を見る。
 彼はいつも酒瓶を持ち歩いていることで有名で、彼女もそれは知っていた。入ってないの?と問われるのを見越して、今日は用事があるから空なのだと告げればあからさまにがっかりとする。

「ねーぇ」
「ん?」

 記録を両手でしっかりと持ちながら彼女は立ち上がる。女性にしてはかなり高い身長の彼女が立ち上がると、男との距離はぐっと近づく。

「あのね、ずっと言いたかったんだけど…」
「おう?」

 文献をもともとしまわれていた…古龍研究書物が整然と、しかし時折乱雑に詰め込まれた棚に戻しながら、彼女はへにゃりと笑う。
 明かりに照らされた頬が少しばかり赤く染まっているのを彼は見た。

「ちゃんと伝言、聞いてたからねぇ」

 ふふふと照れくさそうに笑いながら彼女は男の手を取った。伝言なんかしただろうか、と疑問符を浮かべる男にわからなくていいと彼女はまた笑う。腑に落ちないとありありと顔に書かれていたが、彼女はそれを無視してぐいぐいと手を引き、歩き始めた。

「用事は終わったんでしょう? じゃあ、飲みに行こうよ。フラヒヤの地酒がねぇ、今日は入ってきてるんだって」
「昨日もたらふく飲んでたよなぁ……」
「明日はドンドルマ一番人気の丘陵アイルービールだよ」
「もうあしたの予定決めてるのか!? 蟒蛇め……」

 すこし薄暗い部屋を出れば、外には星がきらきらと瞬く時間だった。あ、と彼女が声を上げた。

「そういえばね、私特技があるんだけどね」

 つないでいた手を離して彼女が両手を空に掲げる。
 一体どんな特技を見せてくれるんだと男が呆れ半分に聞き流しているが、彼女はそんな男の様子にめげた様子もない。どころか、見て驚けとばかりに楽しげに笑っている。

「みんなにはね、内緒だよ」

 ぱくりと口を開けて彼女が声を出す。聞きなれない音が彼女の喉からこぼれていく。旋律がくるくると舞いながら、空に溶け消えていく。同じようにステップを踏みながら、彼女は楽しげに歌い、踊る。

「へぇ、歌、うま」

 歌、うまいんだな。
 男がどこかで聞いたことがあるようなその旋律に感心しながら空を見上げて、目を見開いた。
 
 彼女の不思議と鏡のように夜空を写し込む髪の中を。
 呆然と夜空を見上げる男の瞳の中を。

 そしてその夜、無数の星が流れていった。



mae  tugi
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